「キスしてよ」
 女の真剣な眼差しと言葉に、男は笑みを刻む。
「仰せのままに」

 キスだけでは足りなかったから、女は男を求め、男はそれに従った。





--+--- レンアイ症候群−蜘蛛の糸− ---+--



BY ニイラケイ






     
 
  行方の見えない関係と、コントロールできない焦燥感。
  そういった諸々の関わりに終止符を打ちたい、と願っていた。多分、かなり前から。
  他人との関わりは、とても愛しい反面酷く脆い。
  ほんの小さな事で、あまりに呆気なく、人と人を繋ぐ糸は切れてしまう。
  だから、意図すればもっとずっと簡単に、儚く。


 見合いの席に座っている間中、綾子は退屈と眠気が襲いかかってくるのを必死で堪えていた。
 大体、いまどき高級ホテルの庭で二人で散歩でも、なんて、時代錯誤も良いところだ。
 慣れない着物なんて着るんじゃなかった、と綾子が渋い気持ちを抑えきれずにいると、
 相手の男(名前も忘れてしまった。確か、道とか橋とかそんな文字が入っていた気がする)がにこやかに話しかけてきた。
「綾子さん、お好きな映画とかは?」
 先ほどから万事この調子だ。さっきは「好きな音楽」で、その前は「好きな言葉」と「好きな本」だった。
(アウト…)
 綾子の中で彼はあっさり失格の判を押されてしまった。
(こんなガキ、相手にしてらんないわよ)
 何が楽しくて、わざわざこんなダサい会話を選ぶのか。
 これで見た目が抜群だったなら多少のことは目を瞑ってやらないこともないが、(家柄は既に保証されていることだし)
 不細工とまでは言わなくても、十人並だ。
 これと言った特徴もなく、街中ですれ違っても目に留めることのないタイプ。
 少なくとも、綾子は今後彼とどこかで出会っても、おそらく気付かないだろうと自信をもって言える。
 もうちょっと気の利いた会話が出来るようになってから見合いを申し込んでこい。
 と、綾子は心の中で力いっぱい怒鳴りつけたが、流石に口には出さずに適当な映画のタイトルを答えておく。
 相手はその映画を知っていたようで、やたらと褒め称えているが、綾子自身はその映画を見たことは一度もない。
 テレビでCMが流れているのを見たことがあるだけだ。恋愛映画は好みじゃない。

 彼女は気分が悪いフリをして、見合い相手のナントカさんを庭に置き去りにしたまま、タクシーを使ってホテルを後にした。
 綾子の叔母から「今回はご縁がなかった」という返事が、
 名前も覚えて貰えなかった青年に後日、電話口で告げられたのは言うまでもない。


 大体、折角自分が見合いをしようと意気込んだときに限ってあんな相手なのだろう。
 出会い運の悪さのせいなのか、単なるタイミングの問題なのか。
 男運がないのだとは間違っても思いたくない。
 どちらにしても、見合いに対する意気込みはこれで半減以下だ。
 綾子は紫煙と共に溜息を車内に吐き出した。
 タクシーの後部座席で煙草をふかす綾子を、バックミラー越しに運転手がちらちらと窺い見ている。
 雅な和服に身を包んだ派手な顔立ちの女が突然ホテルで乗り込んできて、しかもこの不機嫌。
 何かトラブルでも持ち込まれたら堪らない、と彼は思っているのかもしれない。
 あるいは、もっと単純に、自分の車の中で煙草を吸われるのを厭うているのかもしれない。
 が、勿論当の綾子は、たかがタクシードライバーの杞憂などという些末事に、一切興味はない。
 それよりも、ここまで上がってしまった不快指数を、どう鎮めようかと思考を巡らせることで手一杯だ。
 こんな時間からでは飲みにも行けない。
(一人で飲む気分でもないし)

 見合いをする、と決めたあの夕方以来、渋谷のオフィスには行っていない。
 滝川からは一度の連絡もない。
かなり習慣化していた深夜の訪問も途切れていた。
(別に、待ってたわけじゃないわ)
 それでも、脳天気な様子でひょっこり顔を出すような気がして、毎晩遅くまで起きていたのは何故だろう。
 彼の好む酒を台所に揃えていたのは何故だろう。
(期待なんかしない)
 期待した気持ちの分だけ、裏切られたときに痛みが増すのを知っているから。
(期待なんかしてないわ)

 外を流れる景色を眺め、ふと窓に映る自分を見た。
 着慣れない着物。見慣れない自分。
 似合わないわけはない。似合うものしか買わないからだ。
 けれど、確かに普段の自分とは違う顔がそこにはある。
(…ちょっとした憂さ晴らしにはなるかもしれないわね)
 綺麗に結い上げた髪も、時間をかけて着込んだ着物も、まだまだ崩すには早すぎる。
 綾子は煙草をぎゅっと押し消して、運転手に話しかけた。
「渋谷へ行って。道玄坂のほう」



「わあああ! 綾子キレー!!」
「おや、これは素晴らしいですねぇ」
「今更当たり前のこと言っても、何にも出ないわよ」
 普段とは違う赤の口紅を、意識的に綺麗に曲げて笑う。
 いつも通りのオフィスにいつも通り入っていくと、
 予測していたとおり、そこにはいつものメンバーが雁首揃えて暇を持て余していた。
 約一名、今一番会いたくないなと思っていた茶色い髪の生臭坊主の姿はない。
 ほっとする反面、残念に思う気がするのは、
 ここの扉を開く前に決めた覚悟が拍子抜けしてしまったからに過ぎない。
(期待なんか…)
 するはずもない、と自分に言い聞かせるのは、これが何度目だろうか。

「よお似合てらっしゃいますね」
 神父の笑顔に、麻衣のはしゃいだ声が続く。
「キレイキレイ! どうしたのこれ?」
「買ったのよ。大分前だけど」
「へー、すごいねぇ。いっつも真砂子見てても思うんだけどさ、着物って高いんでしょ?」
「ピンキリよ。洋服だって、高いのは特別高いでしょ?」
「へぇ、そっかー」
 物珍しそうにしげしげと着物を眺める麻衣に、綾子はアイスティーを注文する。
 真砂子が普段から着物を身につけているのだから、着物自体が珍しいのではないだろう。
 今日綾子が着ているのは、大小さまざまな華やら鳥やらが、
 袖や裾下から見事なバランスで配置された、いわゆる「派手」な着物だ。
 帯にも大きな柄が施されていて、色も原色が多用されている。
 逆に真砂子は、どちらかというとシンプルで大人しい色合いや柄の物を好む傾向にある。
「でも、綾子って着物似合うんだねぇ」
 アイスティーをトレイに乗せて戻ってきた麻衣は、まだ綾子の着物から目を離そうとしない。
 麻衣の反応はあまりに予想通りで、安原やジョンから向けられる笑顔も予想通り。
 それが自分を楽しませる予測だっただけに、綾子は自然、口元を綻ばせる。
「元がよければ、なに着たって似合うものなのよ」
 と、それまで沈黙を守っていた真砂子が、日本茶をすすりながら楚々とした様子で意見を述べた。
「慣れないものを着て、転んだりなさらないで下さいましね。
折角のお着物が台無しになるのは勿体ないですから」
「…相変わらず可愛くないわね。もうちょっと素直に褒めたら?」
「申し訳ありませんけど、あたくしウソはつけない性格ですの」
 じろりと睨み付けてやっても、しれっとした顔で笑みを作る日本人形はびくともしない。
 けれどその問答さえ、今の綾子にしてみれば、なかなかに楽しいものだった。
「まぁいいわ、今日のアタシは寛容なの。負け犬の遠吠えくらい、笑って許してあげるわよ」
 真砂子が少し左に避けたので、綾子は着崩れを起こさないよう注意を払ってソファに座り込んだ。
 まもなく運ばれてきたアイスティーは、ホテルで飲まされた千円もする飲み物なんかよりかなり上等で、
 そのこともまた綾子を喜ばせた。
「今日は良いことでもあったんですか?」
「んーん、逆。今日は朝からサイテーだったのよ。
憂さ晴らしに真っ昼間から一人で飲むのもなんだし、ここに来ればとりあえず美味しいアイスティーにありつけるじゃない?」
 極力軽口に聞こえるように一息で告げた綾子の声に、いち早く返ってきた返事は、
 地の底を這うような不機嫌さを伴っていた。
「ここは喫茶店ではありませんが」
「あーら、ナルいたの?」
「ええ残念ながら。…麻衣、お茶」
「はぁーっい」
 麻衣がそそくさと給湯室へ消えたので、ナルも用は終わったとでも言うように、出たばかりの所長室へ戻っていった。
 所長室の扉が完全に閉まるのを確認してから、安原が綾子のそばへ寄ってきて耳打ちする。
「今日、朝から大変なんです」
「大変って、こっちでも何かあったの?」
「なんと、所長が不機嫌なんです」
「…いつものことじゃないの。何を今更…」
「じゃなくて。不機嫌なくせに覇気がないんですよ、今日の所長。
さっきだって、いつもなら嫌味の10や20は負荷されてくるはずでしょ?」
「なるほどね」
 ナルの機嫌が悪いことなど日常茶飯事で、むしろ彼の機嫌がすこぶる良い日など怖くて傘は手放せない。
 それほどにここの所長は扱いにくいのだ。
 が、覇気がないナル、というのは確かに珍しい話だ。
 嫌味を言わないナルというのは更に珍しい。
「体調が悪いとか?」
「いや、何て言うか…そういうんじゃないみたいなんですけど」
 珍しく歯切れの悪い安原の視線の先には、給湯室から出てきた麻衣がいる。
 彼女は片手にトレイを持ったまま、所長室の扉を叩いて中に入っていった。
 そういうことか、と綾子は何となく理解した。
 何が原因かは分からないが、ナルと麻衣の間で何らかの事件なり軋轢なりが生じたのだろう。
 扉を叩く一瞬、躊躇う気配を見せた麻衣は、正直にして素直すぎる。予測は容易い。
「ずっとああなの?」
 綾子の問いに、安原が肩を竦めて答える。
「所長が出勤してきたのがお昼前なんですけど。
谷山さんは朝から来てて、彼女もちょっと元気なかったんですよね、実は」
 松崎さんが来て、少し元気が出たみたいですけど、
 とさりげなくこちらをおだてる配慮も忘れない辺り、やはりこの男は抜け目がない。
 綾子は麻衣が準備した飲み物に口を付ける。
 久々に飲むアイスティーが、ささくれだった心を癒していく気がして、綾子は溜息をついた。
(癒されてると感じるってのは、疲れてたってコトね、つまりは)
「はよう仲直りしてくれはるとええんですけど」
 心配そうに眉をひそめて所長室を見やるジョンに、真砂子は素っ気ない答えを返した。
「放っておけばいいんですわ。あの二人は年がら年中衝突してなければ、
お互いの気持ちも確認できないんですから」
「そうそう、何とかは犬も食わないってヤツです」
 安原が付け加えた馴染みのあることわざは、どうやらジョンには通じなかったようで、
 不思議そうにしている彼へ、真砂子と安原が解説を入れている。
 綾子はそれを眺めながら、何気なく壁の時計に目をやった。
 そろそろ時刻は夕方を示している。珍しく、坊主は現れない。
 もちろん、毎日ここに来ているわけではないだろうから、
 今日も必ず来るとは限らないのだが。
「ねぇ、ところで、ぼーずは?」
 安原たちの会話が途切れたところを狙って、
 できるだけ自然に、と意識しながら綾子が問うと、
 ちょうど所長室から出てきたところだった麻衣が、その綾子の言葉に反応した。
「ぼーさん? 今日は来ないらしいよ」
「あれ、連絡あったんですか?」
「うん、携帯に。今日の夜、ご飯奢って貰う約束だったんだけど、行けなくなったって」
 楽しみにしてたのにさー、と無邪気に笑う麻衣の笑顔が、綾子には遠かった。

  見合いをすると宣言したわけではない。
  だから、自分が見合いをしたことも知らないだろう。
  毎晩やってくると約束したわけでもない。
  待っていたのは、自らの意思だ。
  そもそも、付き合おうという言葉も出たことがない。

(アタシが悩んでることなんて、アイツは知らない)

「じゃあ、谷山さんも一緒しませんか?
今夜は僕たちご飯食べていこうと思ってたんですけど」
「みんなで?」
「ええ。谷山さんと滝川さんがデートだって言うから、
あぶれものは仲良く盛り上がろうかと思ってたんです」
 安原の言葉に、ジョンがにこにこと頷く。
 真砂子が溜息をついたところを見ると、どうやらこの話は、安原の口から出任せらしい。
 麻衣を元気付けようという、心ばかりの配慮だろう。
 けれど安原のその言葉に、麻衣は困ったような表情を浮かべた。
「いやー、実はたったいま先約が入っちゃって」
 安原がちらと所長室へ目配せをすると、麻衣は頬を染めて照れ隠しのように頭をかいた。
「それは残念。じゃあ、僕たちとのデートは次の機会に、ということで」
「うん、ゴメンなさい」
 麻衣と安原のやりとりを眺めながら、綾子の隣で大人しく座っていた真砂子が呟いた。
「放っておけばいいんですわ。…どうせ元々両思いなんだから」
 儚いほどに小さな呟きは、オフィスの中の楽しげな笑い声に掻き消されて、
 綾子以外の人間の耳には届かなかった。



 30分と経たないうちに、安原とジョンは真砂子を連れてオフィスを出ていった。
 どうやら本当に揃って食事に行くつもりらしい。
 綾子も声を掛けられたが、着物のまま騒ぐわけにもいかなければ、
 そんな気分にもなれなかったので、適当な理由を付けて断った。
 麻衣は自分の机の上を片付けながら、ときどきそわそわと壁に掛かった時計を見ている。
 ここの就業時間は所長の一存でころころ変わるので未だにはっきりしないが、
 どうやら今日は、18時には仕事納めをするつもりらしい。
 いいかげん腰を上げなければ、と綾子は思う。
 折角あのナルが珍しく自分から行動を起こしたようだし、それを邪魔するほど野暮ではない。
 今日は一度も顔を出していないが、資料室には黒いスーツがいるだろうし、
 彼を誘ってバーへでも行くのも良いだろう。
 とてもじゃないけれど、この時間の渋谷駅に舞い戻って電車に乗る気にはなれない。
「綾子、おかわりは?」
 麻衣が給湯室へ向かう途中で声を掛けてきた。
「もういいわ。そろそろ帰るし」
「電車で? この時間だと混んでるから、着物崩れちゃわない?」
「リンいるんでしょ?」
「リンさんなら、今日はお昼すぎからお出掛け中だけど」
 また秋葉原へ買い物にでかけたみたいだよ、と麻衣が続ける。
「そうなの? …まあ良いわ、その辺でタクシー捕まえるから」
 綾子の答えに、麻衣はいつもと同じ、翳りのない笑みを見せた。
「じゃあ、もうちょっと待っててよ。あたしたちもタクシーで移動するから、一緒に乗ろ?」
「良いわよ、お邪魔にはなりたくないもの」
「もー、またそーいうこと言うし〜…」
 頬を赤らめた麻衣は、同性である綾子の目にも愛らしく見える。
 麻衣が育みつつある恋は、柔らかな光に照らされた未来があるのだろう。
(それにひきかえ…)
 綾子は自分の現状を思って小さく溜息をついた。

  例えば、綾子と滝川の間をつないでいた糸があったとしたら。
  名もないその細い糸は、あの日、あまりにも呆気なく途切れてしまったのだろう。
  それは、綾子が彼を突き放したときかもしれないし、彼が追いかけてこなかったときかもしれない。
  どちらにしろ、それをよりどころにしていた恋という名の小さな蜘蛛は、
  存在さえ認めてもらえないまま、地上に落ちてしまったのだ。
  可哀想に、と子供のままの自分が泣く。よくあることよ、と大人を装う自分が強がる。

  落ちたものを拾ってやるほど優しくないわ、と綾子は心の中で小さく呟いた。

「ねぇ、麻衣?」
「ん? なーに?」
 麻衣は、描く机の横に設置されているゴミ箱の中のゴミを、都指定のゴミ袋に集めている。
 少女の動きに合わせて栗色の髪が揺れるのを、綾子は見るともなしに眺めていた。
「なんで、ナルを選んだの?」
 麻衣の動きが止まった。視線をゆっくりとこちらに向けた彼女の顔は、真っ赤になっている。
「…綾子、不意打ちすぎ…」
「そう?」
 で? と話の続きを促してやると、麻衣は少し困ったように所長室の扉を見てから、うーん、とうなった。
「体調が悪かったり、気分が良くない日にね、お母さんの夢を見るんだ」
 淋しげに笑う麻衣の顔を、綾子は真剣な眼差しで見つめる。
「お母さんが死んじゃって、その横でね、ちっちゃい頃のあたしが泣いてるの。
実際お母さんが死んだときは、あたしは中学生だったんだけど、夢の中では5才くらいかな。
で、あたしはそれを遠くから眺めてる、ってパターンなんだけど」
 一つ言葉を切って俯いたあと、麻衣は潔いほどにあっさりと顔を上げた。
「ナルと居ると、そういう悲しい夢や淋しい夢は見ないんだ。だから、かな」
 麻衣の浮かべる表情は、もうけして少女とは呼べない、一人の女の顔。
「もちろん、それだけじゃないけどね〜」
 はにかむように笑う麻衣は、年相応の少女の顔に戻っている。
 こうやって、自分も成長してきたのだろうか。少しずつ、大人の色を混ぜながら。
「そう…素敵ね」
 綾子の呟きを、麻衣が怪訝な顔で見返した。
「綾子?」
(…子供のままの『アタシ』)
 化粧もヒールの靴も、男も知らない無垢で幼いままの。
(泣いてばかりの、『アタシ』)

 …泣かせてばかりいるのは、『アタシ』じゃない。

「帰るわ」
「へ?」
「用事を思いだしたの」
 座り心地の良いソファから立ち上がって、真っ直ぐに出口へ向かう。
「ちょ、綾子ってば」
 すがるように呼びかける少女の声に、綾子はきびすを返した。着物の裾が小さく揺れる。
 麻衣の眼をしっかりと見て、いつものように笑んだ。唇に自信を乗せて。
「ナルと、上手くやんなさいよ。アンタたち、それでなくても不器用なんだから」
「な、何だよいきなり。余計なお世話!」
「アンタはアンタの決着つけてらっしゃい」
「…え?」
 話が理解しきれずに置いて行かれたような顔をする麻衣に、もう一度微笑む。
「麻衣はいい女だって、あたしが保証したげるから」
「綾子…?」
 オフィスを出るまで麻衣の呼ぶ声が聞こえていたが、綾子は聞こえない振りをしてドアを閉めた。



 ビルの外に出て真っ先に、ハンドバッグから携帯を取り出す。
 まだマナーモードになったままの携帯には、友人からのメールが何件か届いている。
 綾子はそれらを無視して、電話帳のメモリを開いた。
 見慣れた番号を表示する液晶にひとつ息を吸って、吐き出す前に通話ボタンを押す。
 コール音が2回。予想より遙かに早い速度で、電波は相手に繋がった。
「綾子?」
 回線を通して低い声が響く。これは携帯に反響しているせいだ、
 と綾子は早くなった鼓動に言い聞かせる。
「そうよ」
 久しぶりに聞く滝川の声は、少々の疲れが窺える。もしかしたら、仕事中かもしれない。
「迎えに来て」
 目一杯尊大に聞こえるように言葉を選ぶ。会いたい、とは、口が裂けても言わない。
 言わなくて良いと、思っているから。
 対する滝川には、当然何のことだかさっぱりなのだろう。
 必要以上に間の抜けた返事が返ってきた。
「はぁ?」
「アタシ今、着物なの。車で迎えに来て。今すぐよ」
 電話の向こうでは大きな溜息。ヤツが腹を立てて電話を切ったら、これで終わりにしよう。
 この男とのことは、今までの男と同じように、いくつかの恥を伴った過去の経験に変えてしまおう。
 できないはずがない。今までだって、してきたことだから。
(わかんないの? アタシは未だ、諦めてないのよ)

 小さな沈黙を破って、滝川の声が響いた。
「…今、どこにいんだよ?」
 今度は、携帯のせいにはできなかった。
「渋谷の喫茶店」
 
     






私、そーゆーの全然詳しくないんですが、着物で煙草ってどうなんでしょうね?(謎)
匂い染みついたらマズイんかなーとか思ったんですが、どうしても「着物で煙草」というシチュエーションが書きたくて…(笑)
っつーか、めちゃ久しぶりに続きを書いたのですが、どうにも綾子の一人称だと詰まっちゃって、
仕方ないので、途中で三人称に切り替えてみました。スンマセンm(__)m
一応、最後まで話は考えてありますので、あとは書くだけです。
…課題が終わったら、書きたいと思います…。←息抜きしすぎ。抜いてる暇無いはずだろ、私!(自らにツッコミ)