罪を犯すもの 第一章 4
木内朝美の友人が出て行くのと入れ替わるようにして入ってきたのは、小柄な男子生徒だった。彼は泣きながら出ていく女生徒を気にするように振り返りながらベースに入ってきて、ぴょこりと頭を下げた。
「お邪魔します」
「あなたは?」
ナルが聞くと、男子生徒は大きな目をしばたたいてナルを見、次に破顔した。
「僕、幽霊を見たんです。そういう人はこちらへ来るようにと言われたんで。あの、若い方ばかりなんですね。あ、失礼します」
先ほどの少女と対照的に屈託なく言って、少年は椅子に腰掛けた。
機材が入っていない今は普段ほど変わった様子ではないのだが、彼はもの珍しそうにベースを見回した。
「それは、いつですか?」
「あっ、すいません。ええと、ちょうどゴールデンウィークの頃です。そのあとすぐ柳沢さんが亡くなったんで、すごく印象に残ってます。……なんて言い方したら失礼なのかな」
柳沢礼が自殺したのは五月七日の月曜日だ。彼女は自室で首を吊って死んでいるところをやはり母親に発見された。脇には『私は罪を犯す者』の文面で紙片が残されていたが、自殺の動機は不明である。
「正確な日付や時間は分かりませんか?」
「それはちょっと……。でも放課後でした。ちょうど数学科準備室でお説教されて出てきたところだったって友達に散々しゃべったんで、よく覚えてます」
ナルは少し手元の資料をめくり、首をかしげた。
「柳沢さんが亡くなったのは五月七日。これはゴールデンウィーク明けの月曜日だったのですが、あなたがその幽霊らしきものを見たのは、ゴールデンウィークに入る前か後か、分かりませんか?」
「あっ、だったらその日です、七日。本当に直後だって思ったんですよ、亡くなったの」
ナルはうなずき、ファイルにペンを走らせた。
「では、あなたが見たのはどんなものでした?」
少年は少し居住まいを正し、ナルを正面から見た。
「女の人でした。高校生って雰囲気じゃないし、セーラー服じゃなかったから、目に入って、妙だって思ったんです」
「着物?」
滝川が言ってみると、少年は目を見開いた。
「そうです! 真っ白な着物で、そうだな、何歳くらいかな……」
「真っ白?」
滝川は眉をひそめた。先ほどの女生徒の話に出てきた赤い着物の少女とは別件なのだろうか?
少年は、ええ、と滝川にうなずいた。
「そんなによく見たわけじゃないけど、白は確かですよ。いや、もしかしたらクリーム色とか灰色だったかもしれませんけど」
「なるほど。いや、いいんだ。それで?」
「はい、それで僕追いかけたんですよ。あんまり変な感じだったんで。その女は階段のとこを曲がったんですが、走って追いかけたのに僕が着いた時には誰もいなくて。本当にすぐ近くにいたんですけど。窓とかものぞいてみたけど、飛び降りた様子もありませんでした」
整然と少年が説明すると、ナルはうなずいて彼を見た。
「分かりました。その他には何か?」
「いいえ、それだけです。何か参考になりましたか?」
「ええ。ところであなたは、自殺した方の遺書に何と書いてあったか、ご存じですか?」
「え、遺書ですか? さあ、聞いたことないです」
「そうですか。ありがとうございました」
慇懃なナルのあいさつにまた少年はにっこりと人好きのする顔で笑うと、ひとつ礼をして席を立った。
ナルがペンで軽くファイルを叩いた。
似たような怪談は、合計で十五、出てきた。
廊下、階段がもっとも多く、次いでトイレ、特別教室という順に目撃談が出てきた。そのどれもが誰かの死の前後であることと、目撃されたのが白い服の女であるという点だけが共通していた。ただ歩いていた、誰かを探している風だった、とその女の行動は積極的に害を及ぼすものではないところが怪談としては特徴的と言えそうだった。
放課後は短く、自殺者たちに関する証言は大して集まらなかった。気楽と言えば言える幽霊目撃談ばかりに証言が集中したのは、同胞の自殺に関する生徒たちの口の重さを表していたのかもしれない。
その日ベースを訪れた生徒達の中に、遺書の内容を知っている人間は存在しなかった。
安全を考慮し基本的に夜は働かないという方針のナルの下、SPR最大の重労働、機材の設置が行われた。七月の半ばだから日暮れはさほど早いわけではない。放課後が終わり相談者が引いていった六時ごろから、彼らは作業を始めた。
「廊下と階段を中心にしてカメラを置いていく。合わせてマイクも設置。特別教室にはマイクだけでいいだろう」
「トイレはー?」
質問、とばかりに手を上げた滝川に、ナルは軽蔑の視線を投げてきた。
「すべて女子トイレなんだが、のぞき魔になりたいのか?」
「残念。高校生は趣味じゃねーなぁ」
あきれたように、ナルが息をつく。
「まだ危険の度合いが分からない。日が暮れたら一人にならないこと。設置が終わったら今日は撤収する」
「了解」
それぞれが了承の意を示し、恐怖の機材運搬が始まった。
駐車場に停めた事務所のバンから、特注のごついカメラやらモニターやらを運び出す。これらがあるから、リンの運転するこの車にはほとんど人が乗れないのだ。
なにしろ今回は人が少ない。指揮官であるナルも働きはするが、やはりメインになるのは働きアリたる滝川になるのであろう。いつもなら安原少年や麻衣の心強い協力があるのだが。
バンの後ろを占領した異様なモニター群をながめ、滝川はあきらめのため息を吐いた。
「少年と嬢ちゃんが恋しいぜ……」
「あたくしもやりますわ」
呟いて小さな手をモニターにかけたのは真砂子だった。
焦って、滝川はその手を止める。モニターは数十キロの重さがあり、小柄な真砂子の胸部にあまる。トレードマークの着物姿で黒い箱に手をかけるその姿は、いくらなんでも危なっかしすぎた。
「いいって、真砂子ちゃんは。ラックでも組み立ててくれよ」
「でも、麻衣がいませんから」
「無理をして壊されたらたまりません。できないことをやらないでいただきたい」
ナルの声が背後から突き刺さる。
振り向き、真砂子は眉を寄せた。
「あたくしも麻衣も、同じ女です。あたくしには任せられませんの?」
「何の話をなさってるんです?」
冷血とは、こういう男のことを言うのだろう。
真砂子は口を開き、何か反論をしようと試みたが、結局ため息をついてモニターにかけた手を放した。バンの端に寄せてあったラックのためのパイプを手に取る。
「……これはベースでいいんですわよね」
「ええ」
早足でまっさきにベースへと向かう小さな後ろ姿を見送り、滝川は複雑な気分で、こころもち不機嫌そうなナルをながめやった。口出しすることではないと知っている。だが、真砂子の態度が今までと違う。それは、滝川にはどこか危うく思えた。
何事もなかったかのように、リンがモニターを抱え上げる。その壁のような背をも見送り、滝川は頭をかいた。ナルはバンの端に軽く腰掛け、校内図をながめている。さて、声をかけるべきか否か。
迷った挙げ句、気になっていることを聞いておくことにした。
「ナルちゃんや」
「何か」
「今回、ずいぶん機材が少ないんじゃないかい?」
「もっと運びたいのか?」
顔を上げもせず、ナルは皮肉に笑う。
運びたいわけがない。どれもこれも腰が抜けそうな重量なのだ。
「おまえさん、幽霊騒ぎは信用してないの?」
ナルは持っていた地図にため息を落とし、滝川を見た。
「一概に事実だとは思いがたいな。すべてが作り話かどうかには検討の余地があるけど」
「まあなあ。トイレに美術室、生物室だろ? 怪談の定番みたいな場所だもんなぁ。連続死のあおりに乗って出てきたって感じだ」
「ああ」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花。こんな状況じゃ白いシーツも女に見えたってしょうがねえ。連続自殺だってわかったもんじゃない。あれはもともと流行る質のもんだし」
奇妙にも思えるが、自殺は流行る。
特にセンセーショナルに取り上げられる自殺は、後に続くものを生み出す。これは統計的にも明らかなことだ。人の口に上る自殺ほど追随者が出るのだ。
「他殺された木内朝美のケースはともかく、それ以外については案外異常な流行かもしれない」
「可能性はあるよな。真砂子ちゃんの見立てじゃ霊はいるらしいが。それが原因とは言い切れない、と。でも、遺書は?」
少し首をかしげ、ナルは指先で地図をひっかいた。
「人間は、特に思春期においては、異常な事態をより異常なものとして騒いで、そのフラストレーションを晴らそうとする傾向がある。いわゆる怪談がその典型。その舞台は彼らが実際に矛盾を感じていたり、恐怖を感じていたりする場所なければならないが、日常的すぎてはならない。学校がしばしば騒ぎの中心になるのはこの考え方で説明できる。生徒は学校から逃げるわけにいかないから、その中で解決できる方法を選ぶわけだ」
「解決できる方法って、学校を恐怖の舞台にしちまったら、よけい学校が苦痛になるんじゃないのか?」
「そう。言葉にできない苦痛を、幻想的な、実際に害のない苦痛に代えることで表現する。現象は異様であればあるほどいい。そこから現実感というものが失せ、立ち向かわねばならない病理からは目をそらすことができる。たとえば、自殺。これには何か理由があるわけだが、同級生の自殺の原因など、真面目に取り合いたくはない。霊のせいであった方がいい」
「不可思議な遺書を、呪いであるように受け取るわけだ」
「同じ死にたいような気持ちを持ってる人間ならなおさらだ。それが自分にも及んでいるという幻想を持つことで、自殺を呪いのせいにして肯定する。呪われて死んだのだと思い込むために、同じ遺書が必要だ」
「遺書は、演出かもしれないってことか?」
「そういうことだな。内容の流出なんて、教師の管理外でいくらでも起こりうる」
滝川は腕を組んでうなった。
自殺の流行。その裏にはいろいろな感情から死にたいと考える多くの人間の存在があると言える。その本質は「死にたい」ではないかもしれない。「逃げたい」、「自分を罰したい」、「何かをしたい」、そういった漠然とした感情が、自殺という形を取るのかもしれない。
自殺という方法を取った誰かの存在が、人にインパクトを与える。その方法があったかと気付く。苦痛にとらわれた異常な自分の心を、異常な演出と自殺という異常事態で自らにアピールすることで、実際の苦痛から目をそらすのだ。
「加えて、事件は春から夏にかけて起こった。自殺は春に一番多いんだ」
「へえ?」
「春、秋、夏、の順。情緒に引かれて自殺企図するようだな。特に情死にこの傾向は強いらしいが」
「願わくば、花の下にて春死なむ……ってか」
ナルが首をかしげ、滝川は苦笑した。
彼だけはそういう方法を取りそうにないのは、ありがたいことだ。
はっきり言って彼は情緒に無縁だ。
「ただし、今日聞いた範囲では遺書の内容を知っている人間がいなかった。少なくとも大規模な流出は起こっていない可能性が高い」
「だな。遺書の内容知ってんのを隠したって、何の得もないだろうし」
「木内麻美が殺された状況も気になる。怪しい点は多いな。十分注意してかかるべきだろう」
ナルは再び地図に視線を戻す。
「りょーかい」
滝川はため息をついて、今己がやるべき機材の運搬に従事することにした。
階段がないのを幸い、モニターを置くためのラックを運んだ真砂子は、その組み立てにまた途方に暮れることになった。普段麻衣やリンの手であっという間に組み立てられるそれなのに、真砂子にはどこをどういじっていいのかが分からない。
パーツをひっくり返しネジとにらみ合いをし、でたらめに組み始めていると、リンがモニターを抱えて会議室の扉を開けた。
「あ、すみません……」
ラックがなければモニターが置けない。先ほど自分が持とうとして分かっている重いモニターを抱えて彼女を見るリンの静かなまなざしにいたたまれなくなり、真砂子は慌ててパイプを重ねた。
「いた…」
ただでさえおぼつかない作業をしていたのに慌てたものだから、指をラック同士の間に挟んでしまう。後ろでモニターを机に置く音がして、真砂子はなおさら焦った。
「すみません、すぐにできますので」
ちゃんとした位置にずらし直す。そうして持ち上げたラックをはるか天高くからさらわれて、真砂子は瞬いた。見上げたずっと先にリンの頭とラックがある。あまりに苦もなく持たれてしまったことに真砂子は思わず茫然とする。
リンはパイプを重ね合わせると、それを押さえながら長い腕を伸ばし、机の上の接続具を取った。
「あ、あの教えて下さればあたくしがやりますわ」
無表情な瞳に見下ろされて、真砂子はナルの時に負けず劣らず緊張した。
「押さえていて下さい」
「はい」
真砂子がしっかりと両手でパイプを支えるのを待ってから手を放し、リンは手早くネジをはめていく。すべてがとにかく早い。力もあるから手間取らない。押さえてるだけのことが何の役に立っているのだろうとぼんやり思ってしまったほど、リンの仕事は的確で、何の造作もなかった。
次にやる時には自分一人でできるようにと、真砂子はじっとその手元を見つめていた。
「できないことはなさらなくて結構です」
ふいに低い声がそう言い、真砂子は身を小さくした。
「申し訳ありません……」
リンが振り向く。沈黙してただ見られて真砂子が居辛くなった頃、彼は再びラックに向き直り、組み立て終わったそれを確かめた。
「そういう意味ではありません」
「え?」
「原さんには、霊視をお願いするために来ていただいたのですから」
「ええ、でも……麻衣もいませんし、困ってらっしゃるでしょう?」
「谷山さんの仕事を代わっていただく必要はありません」
「必要はないのかもしれませんけど……」
端的な物言いに、何と返していいのかとまどって、真砂子はリンの真意をはかりかねる。メンバーの多くが彼とまともに話をしたことがなく、それは真砂子も例外ではなかった。
「谷山さんを意識する必要はないと思いますが」
言われたことが突然で、真砂子はまじまじと大きな背中を見つめてしまった。確かにあからさまなことをしていた。だが、この男に看破されるとは思わなかった。いや、注意を払われるなどと真砂子は思っていなかったのだ。
「そう……かも、しれませんわね」
それきりリンはまただんまりを決め込み、モニターを組み立てたラックに載せた。
仕事をもらいに真砂子は駐車場に戻る。そうして歩きながら、彼の不器用な気遣いも含め、いろいろなことを思い巡らした。本当に、いろいろなことを。
彼らに出会ってから今までの、たくさんのことを。

