アリスのお茶会

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罪を犯すもの 第二章 1

 彼らの宿には貸し別荘がひとつ、あてがわれた。
 これは木内朝美の父親がそこの操業をしていたことからで、宿舎にと快く貸し出されたものらしい。避暑地といえば何といっても別荘、図らずもその恩恵をこうむることになった滝川は、ガッツポーズで喜んだ。
 白い女の目撃された場所と、木内が赤い着物の女を見たというクラスに機材を設置すると、彼らは暮れてしまった空の下そそくさと学校を後にした。通説ではあるが、霊は夜になると活性化する。時には口うるさいほど慎重なナルは、安全が確認されるまで夜の仕事を控える傾向があった。
 いつのまにか近場に来て図書館ごもりをしていた安原を車で拾い、滝川はリンの車に遅れて別荘にたどりついた。
 それは緑の中を抜け、林に隠された家々をながめながらの、短い森林浴のようなドライブだった。それぞれに趣向を凝らした小さなドールハウスのような別荘ばかりが続いている。この林の中では機能性など必要ない。都会を忘れさせてくれるものであるほど、いい。
 ご多分にもれず、木内の貸し別荘もおもちゃのようにかわいらしかった。レストハウス風の木造二階建てで、ガーデンパーティーができそうな庭と広いベランダ、駐車スペースにはみだした林の演出が涼しげだ。
 車から玄関まで、林の中に通る小道を歩きながら安原はしきりに辺りを見回していた。
「すっずしいですねー。町自体涼しいけど、ここは特に涼しいな」
「木が多いからなぁ。東京もこうなら、もうちっと涼しいんじゃないの」
「無理でしょう。場所がありません」
「まったく、まったく」
 内装も洒落ていた。床は木の色、壁はくすんだ白。家具も合わせて木材が多いのが、落ち着いた雰囲気をかもしだしている。実際に使うことができそうな暖炉、その上のマントルピース。中でも滝川らの興味を引いたのは中二階を占領したビリヤード台だった。
「少年、ビリヤードの心得は」
「任せて下さい」
「俺らの世代ってのは、ビリヤードにこったもんだよ」
 妙に嬉しそうに、滝川が布を持ち上げて台をのぞきこむ。
「おじさんを認めるんですか、滝川さん」
「熟練した技に勝てるか、少年」
「大丈夫です、僕天才ですから」
 笑いかわして対戦の約束をすると、滝川の指揮の下、彼らはさっそく夕食の調理にかかった。一同の中では、一人暮らしをしている滝川が一番料理の腕がいい。
 自称天才の安原は大体なんでも器用にこなす。奥座敷深くおこもりあそばして育った真砂子は、魚の頭でも落とそうかという勢いで肉を切り刻み、お料理教室屋に変身した安原の華麗なフォローを受けた。横で泰然と大根かつらむきを披露するのはもちろん、滝川である。
 言及するまでもなく、ナルやリンは二階の和室にこもって打ち合わせを行っていた。
 夕食が終わって、安原が昼間の調査結果を報告するため二階に上がる。
 仕事を終えた安原が二階から降りてくると、滝川はキューを差し出しながらにやりと笑った。
「お仕事ご苦労さん。これからが勝負だ」
「あっ、ちょっと待って下さい。所長から電話をするように言われたもんで」
「おお。相変わらずどんな用事も自分じゃやらねーな、ナルちゃんは」
「所長ですから、いいんですよ」
 安原が居間の電話を取り、手帳を開きながらダイヤルする。滝川は思い付いたように玉を台にセットし始めた。手持ちぶさたな真砂子は、近くの椅子に腰掛けて見るともなくそれを眺める。
「もしもし、安原ですが。……ご無沙汰してます。……はい、お察しの通りの用件通達人でございますー」
 急にくだけた安原の口調に、滝川は口元をうごめかせた。所長から頼まれた仕事の電話で、安原が気安い相手、それはひとつのことを示していると言えた。
「……綾子か、ジョンか」
「松崎さんじゃありませんかしら」
 真砂子が呟くと、滝川が首をひねる。
「綾子が使えそうなもんがあったかー? ……あ」
「社ですわ」
「だな」
 滝川らが調査に行った池では、生徒たちが水質検査や植物採集に精を出すらしい、ということを後の聞き込みで知ることができた。しかし、校長がその土地を使っているのは社を置くためというのが大きいようだ。
 この小さな社は、もともとは今高校が建っている辺りにあったらしい。校舎を建てるため邪魔にならない場所に移転したのが明治時代のことだそうである。校長の父親が丁寧に清めていったことらしく、数十年前から今までそのたたりと言えるような怪異はなかったと言う。
 校舎が初めて建てられた頃町は未開で、社も林の中にぽつんと建っているような状態だった。町のものが有志で世話をしていたが、あまりに古いものなので、誰も由来を知らないということだった。
「どうなのかねー。実際人が死んでて、真砂子ちゃんには霊が見えてるわけだが。そいつらは穏やかで無害だと」
「使役霊なのかもしれませんわね。今までよく見えなかったのはいつもそうでしたもの」
「式に見えるのか?」
「似ていますわ。でも、少し違う……浮遊霊に近いような気がします。女性なのは確かですわ」
「関係あるのか、ないのか……」
「そこでまたまた関係ありそうな記述を見つけちゃったりしたんですよ、僕」
 そう言って会話に割り込んできたのは電話を終えた安原だった。
 中二階に上ってくる安原に、滝川はキューを渡す。
「今日の調査結果か?」
「この町って郷土資料がまとめてあるんで、助かりました。古いってことなんでものすごーくさかのぼって調べてみたんですが、この地方って昔、殉死の風習があったそうなんですよ」
「殉死っていうとあれか、主人が死んだら拙者も、みたいな忠臣蔵な」
「そういう奴ですね。でも、信濃の国の殉死はもっと昔のものですし、ちょっと特殊なんです。夫が死ぬと妻が殉死するんですよ」
「おやまあ。もったいない」
 柱にもたれた滝川が顔をしかめた。
「実際ずいぶんたくさんの人が死んだみたいですね。女性の方が寿命が長いわけですから、無理もありませんが」
「で、それがあの社に祀られてるわけか?」
「それはまだ何とも。ただ、とにかく女性の霊がいっぱい出てるってことでしたんで、女性をキーワードに探してみたら、それらしいのを見つけました。殉死の頃より大分後なんですが、恨みを持った女性たちをまつって怪異を収めたという昔話があるんです」
「怪異? 自殺者がたくさん出るとか」
「だと話が早いんですけどね。死に装束の女性の幽霊だったそうですよ。独り者の女性ばかり狙われたそうで」
「死に装束! そうか、白い着物の女ってのは、死に装束か」
「結論はまだ早い」
 安原が声を低くして一喝した。
「……という、所長からのお言葉です。ただ、夫が死ぬと妻も死ぬという風習があってたくさん女性が死んでいるはずなこと。それからこの地方で人が死んだので、たくさんの女性をまつったという記述があったこと。ひょっとしたらつながったものかもしれないというわけです」
「でもなあ、なんで恨みなんだ? 殉死したら、本望じゃないのか?」
 滝川の質問に、安原は嬉しそうににこにこする。
「よく聞いてくれました。滝川さん勉強不足ですね。一口に殉死といいましても、これは大きくふたつに分けられるんです。いわゆる忠臣蔵タイプの後追い自殺。もうひとつは、殷王朝が奴隷を生き埋めにしたみたいに無理矢理殺す、強制タイプ。信濃で後者が行われていなかった保証はありませんよね」
「けれど、もう長いこと、何もなかったのでしょう? いまだに怨んでらっしゃるのかしら?」
 とげとげしく口を挟んだのは、真砂子は社の女性に恨みの感情がないと霊視したからだ。
 安原はそうなんですよねえと腕を組んでうなずいた。
「雰囲気としては昔まつられた時点で恨みはなくなったぽいんですがね」
「それで、綾子を呼んだわけか」
 松崎綾子は巫女である。社は専門と言えないこともない。
 実際問題として家事能力以外に役に立つことは滅多にないとは言え。
「ご名答です。明日いらっしゃるそうですよ。明日の食事は期待できますねー」
「お役に立てなくて、失礼しました」
 完全にとがった真砂子の声にも安原は動じない。
「やだなあ、僕だって一緒に作ったんですから」
 さあ、と言って安原はキューを掲げた。
「勝負といきましょうか、滝川さん?」
「後悔するなよ」
 二人は目を合わせ、同時に息を吸うと「ジャンケンポン!」、裂ぱくの気合の下にこぶしを振り下ろす。
「あーっ!」
「やりました、安原! 天才の名をほしいままにしております!」
 対照的に騒いで先攻後攻を決めると、白熱したビリヤード戦が始まる。キューで玉を突く小気味よい音が響いた。
 互角の対戦をながめていた真砂子は、ふと物音を聞いた気がして階段を振り向いた。ちょうど梁すれすれのところを頭が通過している。その長身の男は、リンでしかありえなかった。
「どうなさいましたの?」
 真砂子の問いには特に答えず、男はビリヤード台に向かい、無造作に滝川の手からキューを奪い取った。
「お?」
 背をかがめて弓を引くようにかまえるのも一瞬、静止したのも一瞬のことで、彼はすばやくキューを前に突き出した。かこんかこんと威勢良く玉がぶつかり合い、滝川が攻めあぐねていた玉が綺麗にポケットに落ちる。
 無表情にリンがキューを返す。
「おおーっ」
 滝川と安原がその姿に喝采を浴びせた。
「やっぱりいい男だなあ、リンさん」
「もっかいはじめからやろうぜ。いいんだろ、リン?」
 リンは軽くうなずいた。彼も滝川と同じ世代の人間だということなのだろう。
 微笑ましく、そして少しあきれて、意気投合する男たちを見ていた真砂子は、そっと二階へ目をやった。階下のにぎわいをよそに、そちらは静まり返っている。
 二度こぶしを握って開いたが、指先を動かすのと同じ程度の力で椅子から重い腰を上げることはできない。こっそり唇を噛んだ時、唐突に滝川が声を上げた。
「しまった、学校にノート忘れてきちまった」
「ノートですか?」
「ああ。控えの日本語ノート。俺が預かってたんだが」
「その年で忘れ物とは……」
「うわああ、ボス気付いてないよな?」
「今頃気付いて怒ってるかもしれませんよ」
 控えのノートは麻衣や安原が事件後に記録をスクラップしておくための覚え書きである。調査中はナルに次々と仕事を申しつけられるので、たいていは部屋に持ち帰ってその日の記録をつけるのが習慣だった。
 とはいえ、滝川は渋谷サイキックリサーチの所員でもなく、善意で預かっていただけである。忘れたところでナルに怒られる道理はない。
 真砂子はくすりと笑った。
「人ごとだと思って笑ったな」
「違いますわよ。控えのノートでしょう? ナルだって怒りませんわ」
「いや、あいつは渋谷心霊学校の生活指導教師だから」
「そこまで心の狭い人じゃありませんわよ」
「買いかぶりだ!」
 さて、どうだろう。
 少なくとも真砂子は、ナルを道理の分かる人間だと思っている。惚れた欲目というものだろうか、などと思い、少し苦笑した。ありえる話だ。その程度には惚れている。
(その程度には……)
 真砂子は立ち上がった。今度は、すんなりと立ち上がれた。

 二階には部屋がふたつある。階段を真ん中に右手に和室、左手に洋室。明らかにリンの趣味だろう、リンとナルは和室を使っていた。
 ほとほとと真砂子がふすまを叩くと、タイムラグを置いてうざったそうな応えがあった。
「はい?」
「お邪魔いたします」
 静かに言って、真砂子はふすまを開けた。
 和室の中は、資料の山だった。
 校長から渡された資料、一日聞き込みした分のファイル、安原の調べてきたコピー、これらが渾然一体として紙束の化け物となり、黒衣の背中を取り巻いている。
 窮屈そうに正座するナルは、おざなりに真砂子に視線を寄越した。
「何か」
「少し、いいですか。お話があるんですの」
「見て分かりませんか。仕事中です」
 ナルが仕事中でないことなど、狙っていたらきりがない。
「少しでいいんですのよ」
「後にしていただけませんか」
「少しだけ、お願いします」
 しつこく食い下がって、最後は特上の笑顔。たいていはこれで落とせると真砂子に教えてくれたのは、ライバルであるはずの麻衣だった。
 麻衣にはいつも勝てずにいる。こういう些細なことで真砂子はそれを思い知る。差はもうずっとついていて、決定的な差すらある。それでもまだ、負けたと認めるわけにはいかないのだ。
 ため息をつくナルに微笑みかけて、真砂子はせいぜいしとやかに、入り口近くに正座した。ナルはわずかにななめに体をずらしたが、目は相変わらず資料を追っている。
「今日は、ご迷惑ばかりかけて申し訳ありません」
 返事はない。真砂子は少し口を結び、目を閉じた。
「イギリスに、帰るんですって?」
「……ええ、まあ。とりあえずは」
「麻衣から聞きましたの。それから、これはリンさんから。結婚の話があるんですって?」
「それが、何か」
 口調ににじむうっとおしそうな響き。だが、そんなことは彼の性格からして分かり切っていたことだ。
 真砂子は首をかしげた。
「結婚なさるんですの?」
 ナルは苛立ったように資料を文机に置いた。
「みなさん、僕のプライベートによほど興味がおありのようで」
「まあ、どなたが他に?」
 答えはないかと思って真砂子は微笑したが、ナルは顔を険しくして答えた。
「うちの調査員ですが」
「麻衣には答えましたの? 結婚なんかしないって?」
「別に、何も」
 袖を口元に当て、真砂子はくすくすと笑った。
「それは駆け引きですの? ずいぶん不器用でいらっしゃること」
「どういう意味ですか?」
「そういう意味ですわ」
「何か誤解なさってるようですね」
「誤解?」
 皮肉に笑って、真砂子はナルを見つめる。
「誤解でこんなこと、申しませんわ。あなたもたまには正直にぶつかってみたらどうですの? 見ていてやきもきしますわよ」
「いい加減にして下さい」
 棘の混じる声から少しでも何かを聞き取れないかと、真砂子は耳をすました。最後の言葉にこれしか言えないなんて、自分は愚かだろうか? 応援はしていない。ただ本当のことが聞きたいのだ。
 幸せになってほしいのだ。
 彼を好きになって見つめて、手に入れた強さで、やっと言えるようになった。
 だから真砂子はまっすぐ彼を見据える。
「麻衣はいつまでも変わらないわけじゃありませんのよ。生きてるんですから。二年前のことも、今の気持ちも……それでも行くんですの?」
 そっと真砂子は手をついた。
「……行かないで」
「原さん?」
「どうぞ、行かないで下さいまし。これだけしか望みませんから、どうか。行かないで」
 静かに下げた頭からさらさらと髪がこぼれ落ちた。無力で、それがひどく口惜しくて、けれど泣くのはもっと口惜しかったからただできるだけ美しく、真砂子は頭をたれる。
「……それほど深刻になることとは思えないのですが」
「手前勝手な理屈ですわね。お互い様ですけど」
「他にどう言えと言うんです」
「鈍いのは罪ですわよ」
 うつむいたまま真砂子は笑みを浮かべ、なお深くうなだれた。
「あなたが好きです」
 言ってしまうと吐息がもれた。長い間体にためてきた重い、苦しい気持ちが涼しい酸素のように、静かに抜けていった。
「……あたくし、そう申しておりますのに」
 ナルは言葉を止めた。
 出会った頃から、何かが変わっただろうか? 
 惹かれ続けたその想いに、重ねてきた想いに……。
 何か未来があっただろうか? 
 昔、初めて会って、がむしゃらに嫌がらせ混じりにつきまとい続けた。他にライバルになるような女もないと、今よりずっと真砂子は自分に自信を持っていた。昂然と人を見下して、いつも笑っていた。うつむかず、うらやまず、泣かず、平和だった。その自分は、真砂子の中に、どこか深くてひどく遠いところに消えてしまって、もう表に出てこれない。
 この人を好きになったから。
 この人を好きになったから……
 出会ってから今までの人生が、あった。
 すっと、真砂子は顔を上げた。
 明日からどんな自分で生きていこう? 
「返事はいりませんわ。これは嫌がらせですの」
 あでやかに、誰よりも凛々しく、自分は微笑むことができているだろうか。
 それは、真砂子の一世一代の強がりだった。
 黒い瞳の注視の中、ゆっくりと立ち上がり、ふすまに手をかける。
「……もしもイギリスへ帰っても、どなたかとお付き合いなさっても、友人でいることは許して下さいますかしら?」
 返事がなかった。真砂子は、思いついたように付け加える。
「……ああ、それとも友人とは認めて下さいません?」
「いいえ」
 低い声が、たった一言だけ答えを返した。
 真砂子は顔をほころばせた。
「ありがとうございます」
 そっとふすまを閉めた。耳には階下の声が明るく響いてきて、真砂子は息を吐いた。
 ビリヤードの試合はまだ続いていた。リンも、黙って参加している。白熱した滝川が、キューを片手にうなっていた。
 中二階に顔をのぞかせ、真砂子は微笑んだ。
「みなさま、あたくし先に休ませていただきますわね」
「おう、お休み」
 口々にお休みなさい、と声をかけられる。あいさつを交わして、真砂子は部屋へと引っ込んだ。
 女性の部屋は一階に当てられていた。居間から玄関を通った先にある扉が、真砂子の部屋だった。
 扉を閉めるとベッドに腰掛け、真砂子は体をしめつける着物を脱ぎ始めた。
 帯締めにかけた手が震えて、解けない。力一杯引っ張ると、爪が結び目から外れた。真砂子は指を口に含んだ。
「つっ……」
 じんじんと痛む指をなだめながら、今度はゆっくり、解いていく。たくさんの帯紐がまだるっこしく、震える真砂子の手ではなかなか脱げなかった。
 力を入れ、白くなった指先にふと水滴がこぼれた。次々にこぼれて、解けかけた帯に染み込んでいく。
「……どうして泣くの!」
 吐き出した言葉を皮切りに、口から鳴咽がもれた。
 慌てて枕に顔を押し付けて、真砂子は声を殺した。

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