それは心を繋ぐもの 2

 夜まで眠りまくったあたしは、夕飯の頃になって目を覚ました。ご飯、と思ったけれども出かける気力が出なくて、ガウリイも呼びにこないので、そのままごろごろしていたらまた眠ってしまった。
 はっきり目覚めたのは、翌朝だった。
 いつものように宿のベッドの上で迎える目覚め。あたしは体を起こし、髪を梳いて、水桶で顔を洗う。着替えようと思ったらいつもの服がなかったので、椅子の上に置いてあった服に着替える。
 どうやら、あたしの服は処分したか洗うかしているらしい。まー着られる状態じゃないだろうし。
 新しい服は、ガウリイが用意してくれたものなんだろうか。一応旅に適した厚い布地の上下で、下はすっきりしたデザインのズボンである。
 あたしの服はあれで魔道装備を施してあったので、捨てたんだとしたらこれにも細工しなきゃいけないけど。とりあえず、及第点だろう。
「んーっ」
 大きく伸びをして、声を出してみる。
 一日半ぶりに出した声は、ちゃんと自分の声をしていた。
「あーあーあー。……うん」
 大丈夫。体も痛くない。全部元通りだ。
 けっして取り戻せないものを除いて。
「ふう」
 あたしはちょっとだけ苦く唇をゆがめた。
 傷ひとつ残らなかった細い腕を、自分の手のひらでなでる。
 なんともまあ、ひどい初体験になったものだ。
 こういう生活をしているし、我ながら乱暴な行動が多いので、可能性としてはありうると理解していたのだが。やはり、頭で思っているのと実際にそうなってしまうのとでは違う。
 思った以上に、気分の悪いものだ。
 もうほんとにいろいろ、油断していた。

「おはよーガウリイ」
 朝食を食べるために降りてきたあたしは、すでに食堂の席についていたガウリイに手を振る。
 振り向いたガウリイは、何とも言えない表情をしてあたしを見た。
「リナ……」
「なぁーに辛気くさい顔してんのよあんたは。あ、おっちゃーん、あたしベーコンエッグセット三人前ねー」
 椅子を引いて座りながら、軽い朝ご飯の注文を済ます。
 旅の途中で立ち寄っただけの小さな村だ。村にたった一つだけの宿は、出立を控えた旅人たちでそこそこの賑わいを見せており、宿を経営する親子が忙しげに立ち働いている。
 ざわつく人々の声が、あまりにも日常すぎてまだ馴染めない。
 帰って来たのだ、と頭では理解しているのだが。
 平和すぎて可笑しくなってしまう。
 いつもなら一緒に注文するガウリイは、何も言わずにじっとあたしを見ていた。
 テーブルの上に、ガウリイの分の食べ物は置かれていない。あたしを待っていたのだろう。
「大丈夫か……?」
「大丈夫よ? どっか怪我が残ってるように見える?」
 あたしは肩をすくめた。
「リナお前、昨日のこと……まさか」
 ガウリイはおそるおそるという感じであたしの顔をのぞきこむ。
「まさか?」
「覚えてない、とか……」
 それは、飛躍しすぎというものだろう。
「あのねえ。ちゃんと覚えてるわよ。ガウリイぢゃないんだから」
「しかし……」
「いーの。大丈夫だから」
「だがリナ……」
 ガウリイは納得してない様子だ。まあそれもそーか。
 あたしはふうとため息をつく。
「まあ、全然気にしてないとは言えないけどね。でも、こんな生活を続けてたらこういうこともあるかもしれないって思ってたし。別にどってことないわよ。ほら、魔族と斬ったはったやらかすのに比べたら、それほど痛い思いをしたわけでもないし?」
 これはもちろん強がりだが、まったくの口から出まかせというわけでもない。
 少なくとも、そう考えようと努めてはいる。物事、悪い方へ考え始めるとそればっかりになってしまうし。重たい時には、少し強引にでも前向きに考えて乗り切るというのが、あたしが今まで学んできた生活の知恵である。
 あたしの保護者を自称するガウリイは、あたしの言葉に眉をひそめた。
「それはそうかもしれんが……」
「いつまでも気にしてたって、いいことないでしょ? ここはさくさく頭切り替えて、旅を続けましょ。ちょっぴしひどい目にあった、ってことで」
「……お前さんがそう言うなら、オレはかまわないが……」
「えーと、次はロアラ・シティに行ってみようって話だったんだっけ? 地鶏がおいしいとかなんとか」
 正直、今は『地鶏がお腹いっぱい食べたい!』という気持ちにはなれなかったけど、まあ食べたらおいしいんだろうし。おいしいものを食べれば、元気も出てくるものである。やる気が出ないと言ってうだうだしていたら、いつまでもこの村から出られなくなってしまう。
「ベーコンエッグセット三人前、お待ち」
 目の前に朝ご飯のお皿が並べられて、あたしはフォークを手に取った。
「ありがと、おっちゃん。ガウリイは?」
「オレ?」
「朝ご飯、食べたの?」
「いや、まだだ。じゃあ、オレも同じの」
「へ? これって、二人分じゃなかったんですかい?」
 宿のおっちゃんが目を丸くする。
「嬢ちゃん、細っこいのによく食べるねえ」
 そう言っておっちゃんがちらりとあたしの体を見る。
 別段すけべな意味合いはなかったのだと思うが、体を検分するようなその視線にわずかばかりたじろいで、身を引く。
「まーね。これでもけっこう鍛えてるんで、燃費悪いのよ」
 いつもならあまり言わない牽制の言葉が口をついた。
「へえ。女の子は見かけじゃわからんなあ。怖い怖い」
 肩をすくめて、おっちゃんが厨房へ戻っていく。からみついてくるように思えた視線が外れて、なぜだか少しほっとした。
 その様子を見ていたガウリイが、珍しく何かを考えるような顔をして唇に手をやる。
「先に食べるわよ?」
「あ? ああ」
 ベーコンエッグをナイフで切り分けて、一口。
 味は淡泊だが、まあ田舎の食堂ならこんなものだろう。
 あたしが半分くらい食べ終わった頃、ガウリイの前にも同じものが置かれた。しかし、ガウリイはそのお皿には手を付けずにあたしを見た。
「その、なんとかって町で、何するんだっけ?」
「だから、地鶏を食べるの」
「それだけか?」
「そーだけど?」
「じゃあ」
 ガウリイは、微笑みながらもどこか強い口調で言う。
「そこで、しばらく休もう。何にもしないで」
 あたしは、フォークを動かす手を止める。
「なんで?」
「なんででもだ。路銀に困ってるわけじゃないんだろ?」
「別に困ってるわけじゃないけど……」
 これは……心配されているんだろうな。
 しかし、休んでいる必要があるほど傷ついたわけじゃないし、体は元気そのもの。自分では、特に休養を取る必然性を感じないのだが……。
「それなら決まりだ。そうしよう」
「まあいいけど……」
 常にない強引さで言い張るガウリイにつられるようにして、あたしはうなずいていた。
 そういえば、いつだかもガウリイがこんな風に強引になったことがある気がする。
 あれは確か、サイラーグで魔王のかけらと戦った後だ。あたしの実家に行こうと、妙に強引なことを言った。後にわかったのだが、あの時もガウリイはあたしを休ませようとしていたらしい。
 あの時ほどキツいわけではないのだが。ガウリイが心配する気持ちも、わからないでもない。
 こうなってしまっては気まずいばかりなのだが、実のところガウリイとは最近なんとなくただの旅の連れとは言い切れない関係になっていた。どうしても持って回った言い方になってしまうのだが、要するに、男女の関係というか。いや、具体的に何かがあったわけではなく、精神的なものだけど。
 なんとなくお互い好きなんだなーと確認して、スキンシップの内容に若干の変化があった。それだけだ。
 明確な言葉は口にしていなかったし、今はまだそれでいいとも思っていた。
 あのまま、ゆっくり穏やかに変わっていくんだろうと思っていたのだ。
 いずれは体を重ねることも考えていたが、それは霧に包まれたやわらかな未来の内にあった。
 それがまさか、こんなに生々しく痛々しい形になろうとは。
 ガウリイの複雑な心中を考えると、ごめんなさいとしか言いようがない。
 ……まあいいか。たまには甘やかされてやっても。
 あたしは肩で息をついて、目の前のベーコンを切り分けた。

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