何日かゆっくりと街道を歩いたあたしたちは、近隣でちょっとした商業都市として栄えていたロアラ・シティに到着し、そこに腰を落ち着けた。
あちこち旅をして回ってるあたしたちにとっては、地鶏がちょびっと有名である以外これといって見るべきもののない、ごく普通の都市である。強いて言うなら、地鶏目当ての観光客がそこそこいるらしく、宿の作りがお洒落で、気が利いている。居心地はいい街だ。ある程度大きな街なら流れものが居着いていてもあまり目立たず、気楽なところもいい。
そこであたしがしていたことといえば、ガウリイと一緒にちょっと名のある小さなレストランをめぐったりとか、魔道士協会で本を漁ってきたりとか、借りた本を部屋でごろごろしながら読んでいたりとか。そんな何でもないことだった。
ガウリイは、落ち着いているとあまりすることのない無趣味な人間なので、気が付くと剣を振っているか装備を磨いている。おかげで鎧も剣もあたしの分までぴっかぴかで、顔が映り込むくらいだ。
あたしはあたしで、自分の新しい服とガウリイの服に魔力を込めた糸で縫い取りをして、魔道結界を作ってみたりして。
装備は無駄に整った。
窓の外は白い雲がうっすらとたなびく、好天。初秋の空気は、ほどよい涼しさを含んでいる。絶好の旅日和だ。
これだけのいいお天気に、部屋にこもって裁縫をしているとは。
窓の外から聞こえる、他愛ないおしゃべりをしているらしい人の声を聞きながら、あたしはため息をこぼした。
「ちょっと飽きてきた」
「そうか?」
あたしより何もしてないはずのガウリイは、相変わらずせっせと腕立て伏せなどしながら器用に首を傾げる。ちなみに片手。その上片足。
ガウリイの部屋のベッドに陣取って裁縫道具を広げていたあたしは、ひと段落して用の済んだそれらを片付ける。
こう毎日じっとしていると、自分が腐ってきそうな気がする。ちゃんと休んでるかどうか、保護者の監視付きだし。
「リンゴ食べるか?」
ガウリイは、小さなベッドサイドテーブルに置いてあるリンゴのお皿を目で示す。一階の食堂からおやつ代わりにもらってきたものだ。
「そうじゃなくて、体動かしたい」
「公園でも散歩してくるか?」
あたしはがっくりとうなだれた。
「そんな、人生引退したじいちゃんみたいなこと言わないでくれる……」
そう、こういう時あたしが取る行動といえば……。
「やっぱ、こう……盗賊のアジトでも襲ってぱーっと気晴らしするとか」
うっかり協力してくれないかなーと思って言ってみたのだが、返ってきたのは予想していたような呆れた声ではなかった。
「まだ懲りてないのか!!」
それは、本気の怒りに満ちた怒鳴り声だった。
あたしは思わず、ベッドの上で姿勢を正す。
「……何よ」
立ち上がったガウリイが、つかつかとこっちに寄ってくる。
怒りと悲しみに満ちた目でじっと見下ろされて、あたしは心持ち身を引く。
「お前な……自分がどんな目にあったのか、わかってないのか?」
「わかってるわよ、もちろん」
ガウリイじゃあるまいし。
「ぷち倒した盗賊たちに逆恨みされて、付け狙われてるのに気が付かずに罠にはまっちゃって、無理矢理すけべえこまされたわけよね。わかってるわよ。ひどい目にあったと思ってるわ」
「そう思ってるなら……!」
あたしは、言葉を遮るようにガウリイをひたと見つめる。
「わかってるけど。大したことじゃ、ないじゃない。怪我も軽いもんだったし、もう完全に治ってるわ。それなりにショックだったのは認めるけど、それもももう落ち着いたし」
「そういうことじゃ、ないだろ……」
「じゃあどういうことなの? あんたは、あたしがまだどっかおかしくしてるように見えるの?」
「怪我は、ないかもしれんが……」
「落ち込んでるように見える?」
ガウリイは、口元を手で覆ってうつむいた。
「――見えるよ」
そーかなあ。そんなつもり、ないんだけど。
「ま、そうだとしたら、なおさら気晴らしが必要でしょ。で、乙女が一番気分爽快になることって言ったら、悪人をしばき倒すことじゃない。それも、規模が大きければ大きいほどいいわよね? ほら、盗賊いじめに行くってことで間違ってないでしょ」
「盗賊いじめはだめだ」
「だから、どうして」
「お前は冷静じゃない」
「冷静よ」
ガウリイは、あたしが立ち上がって部屋を出ていくのを防ぐように、あたしの前に立ちはだかっている。保護者保護者と言いながらあまりあたしの行動に制約をかけたりすることのない彼だが、今は違う。力づくでも行かせない、と全身で言っている。
いや、あたしだって別にガウリイを力で排除してまで盗賊いじめに行こうなどと思っているわけではないが。ここまで一方的に切り捨てられると、逆に意地でも行ってやりたくなってくる。
「つまりあなたは、あたしがこないだのことで精神的にダメージを受けていると思っている。そして、そのせいで盗賊たちと戦うのに冷静さを欠いて、結果として返り討ちにあうことを心配しているわけね?」
「え? ええと……ああ。ああ、そうだ」
整理してやると、ガウリイは少し考えてから一生懸命にうなずいた。
「盗賊いじめそのものに反対してるわけじゃないのね?」
「いや……まあ、できればやめてほしいが……」
苦い顔でぶつぶつ言うのは、無視。
「じゃあ、こうしましょう。ガウリイが一緒に行くの。おおっ名案っ! これならあたしは思いっきり攻撃呪文が使えて、保護者さんも安心じゃないっ!」
我ながらいい策だと思ったのだが、ガウリイはため息をついた。
「リナ……」
「あのねー。それでも文句があるわけ?」
「落ち着けよ。他に楽しいことなんか、いっぱいあるだろ? もう少し穏便な気晴らしを考えてくれ」
「穏便なことってあんまし好きじゃないのよねー」
「リナ」
「だって、いつまでこうしてればいいのよ?」
あたしは、ため息をつく。
「もう何日こうしてるわけ? 盗賊にちょっぴし仕返しを受けた程度のことで、ショックを受けて、ミスしそうだから休養ってね。駆け出しの魔道士じゃないんだから」
「お前は――怖がってるよ」
「そーかしら」
言いにくそうに、ガウリイはつぶやいた。
「ミスをじゃなくて……盗賊を」
「はあ!?」
「ていうか……男を……か? どっちにしろ、冷静に戦える状態じゃない」
盗賊を怖がってる?
リナ=インバースともあろうものが?
「あのね。あたしがあいつらごときを怖がる必要なんて、ないでしょ? こないだは油断して罠にかかっただけで、戦って負けたわけじゃないし。正面切って戦ったら、負けるわけないんだから。そうよ、むしろここでしっかりお礼返ししておかないと」
「リナ」
ガウリイが、深い声であたしを呼ぶ。
「やられっぱなしで泣き寝入りなんて、趣味じゃないわ。あたしにちょっかい出したらどうなるか、しっかり思い知らせてやんないと」
「泣き寝入りじゃないだろ。あいつらはもう全員……死んだよ」
「やったのはガウリイでしょーが。あたしは何もできなかったわ」
「あの場合、仕方ないだろ」
「仕方なくない。まあ、単なる仕返しだから」
「リナ!」
立ち上がろうとしたあたしを押しとどめるように、ガウリイが踏み出した。
ぎし、とベッドが軋む。
ガウリイの腕が、少し汗ばんだ胸が、あたしをぎゅっと包み込む。
その強い力に、拘束された時のことを思い出して少しだけたじろいだ。
「だめだ」
「んもーガウリイ。放してよ」
声が、少し震えた。
「どこにも行くな」
「だから大丈夫だってば、あたし冷静だから」
ガウリイは、あたしの肩を軋むほどに強くつかんだ。
「お前さんは……全然、わかってない」
あたしはガウリイのシャツを引いて、その顔を見ようと身じろぎする。
ガウリイはそれを許さず、抱きしめる腕の力をさらに強めた。
「あのね。あたしが何をわかってないっていうの?」
「お前さん自身が、どんだけ傷ついてるか、ってことをだよ」
ガウリイは、大きな手であたしの髪をなでる。大事に、包み込むように。
その体が、少しだけ震えているような気がした。
「気付いてないんだろ? お前さん、さっきからずっと手が震えてる」
「え」
あたしは、ガウリイの腕の隙間から自分の手を見る。
震えてる? あたしが?
震えてるのは、ガウリイじゃなくてあたしの方なの?
「あれからしょっちゅうぼーっとしてるし……あんまり食欲ないし……ずっと笑ってない。自分ではわかってないんだろ?」
あたしは驚いてガウリイを見上げる。首のところしか見えなくて、その表情は分からない。
「お前さん、自分でわかってないだけで、普通じゃない。全然、割り切れてなんかいない。だから、だめだ。行くんじゃない。これ以上危険なまねはするな。せめて……せめて、ほんとに立ち直れるまでは、だめだ」
あたしが震えてる……?
盗賊と対峙するのが怖くて……?
それほどに傷付いている……?
ガウリイがそう言うのなら、そうなのかもしれない。あたしだってこう見えてもうら若い乙女なのである。暴行を受けて傷付く繊細な神経のひとつくらい持ち合わせていた、としてもおかしくはない。
それならそれで、仕方ない。
だけど。
「――もしガウリイの言う通りなら、なおさら行かなきゃ。きっちり自分の手で盗賊吹っ飛ばして、克服しないといけないでしょ」
「リナ!」
「怖くなんかないわ」
あたしは、自分に言い聞かせるためにつぶやく。
「ここで逃げたら、今までみたいにはいられなくなる。あたしはおとなしく縫い物して一生過ごす気なんかないわよ。少なくとも、今はまだね。それなら、立ち向かわなきゃいけないわ」
「いいんだよ、リナ」
「……あたしは、こんなことで怖じ気付いたりしない。こんなところで、立ち止まったりしないわ」
「リナ」
「――戦わなきゃ」
激しい葛藤がガウリイの中を駆けめぐったのがわかった。
力任せに止めるのか、あたしを説き伏せるのか。少なくともあたしがやすやすとあきらめることはない、というのは伝わったようだった。
そしてガウリイが取ったのは、前者の方法だった。
腰掛けていたベッドの上に、背中からどさりと倒れる。押し倒されたのだ、ということはすぐにわかった。
「――これでもか?」
自分の方が痛そうな顔で、ガウリイが言う。
怖い、と言わせたいのだろう。
上から見下ろすガウリイの顔に、ブタの醜い顔がかぶる。
確かに、押しつぶされたように心臓が痛んだ。あの小屋の中に充満していた、なんともいえない生臭い匂いを嗅いだ気がした。淀んだ闇の中に堕ちていくような錯覚を覚える。全身が緊張して、体の中にいる誰かがこの体勢はイヤだと叫ぶ。
だけど、これはガウリイだ。
怖れる必要などない。
震えてわめく誰かの声を押し殺して、あたしは低く言った。
「――それで?」
「それで、って……」
ガウリイが戸惑った顔で眉を寄せる。
まったく怖くないとは言わない。だけど、これはガウリイなのだ。恐ろしいものではない。
きちんと認識できている。
あたしは冷静だ。
「どうして、あたしがガウリイを怖がらなきゃいけないの? あんたにその先ができるわけないのに」
ガウリイは顔を歪めた。
「……ほんとに、するぞ」
「できるんなら、したら?」
できないんだろうけど。
その度胸があるなら、とっくに手ぐらい出してるだろう。あたしは別に一度だってガウリイを拒んだことなんかないんだから。
皮肉な思いが湧いてきて、ため息をつかずにはいられなかった。
せめて、そうしていてくれればよかったのだ。あれが初めてでなければ、多少はましだっただろう。
あたしは、体を投げ出すように力を抜いて見せた。
「……てゆーか、ほんとにしてもいいわよ。今さらだし」
ガウリイは唇を曲げる。
「投げやりになるなよ」
「投げやりになってるつもりはないけど。ただ、ほんとに今さらだから」
もう、むきになって守る必要はなくなった。
そもそも、拒む理由など始めからないのだ。
「なんか、むやみに怖がってたけど、どういうもんだかよく分かったし。あんたがあいつら以上にひどくするわけないんだから、確実にこないだよりマシなわけでしょ? そんなに怖がるようなもんでもなかったわ」
ガウリイは、黙ってあたしを見下ろした。
いつもはあたしを包み込むように微笑んでいる青い瞳が、妙に真剣で凄みを帯びている。
イヤだ、と訴える誰かをあたしは胸の中に押し戻した。
怖がる必要ははない。初めてが少々乱暴なものだっただけで、その行為そのものは怖がる必要のないことだ。
初めて敵を絶命に至らしめた時だって、それなりに怖かった。だけど、繰り返すことでその怖さは克服した。今あたしが怖れずに戦えるのは、あの時逃げなかったからだ。
あたしは、逃げない。
そのためには、繰り返すという方法も有効なはずだ。
しばしの沈黙ののち、ガウリイはかすれた低い声でつぶやいた。
「……あいつらがしたのは、違うぞ」
「違うって?」
「オレがリナとしたいこととは、違う」
「あたしとしたいってことは、認めるのね」
からかうように言った言葉に、ガウリイは顔を顰めた。
「だから……違うんだ。違わないけど、違うんだからな」
「何言ってんのかわかんないんだけど……」
「違うんだよ、あれは……ぜんぜん違うもんなんだ」
「ふうん?」
そりゃあ、手順とかムードとかは違うだろうけど、結局やることは同じだろうに。
男というのはロマンチストなものだ。
「ちゃんとしたのを教えてくれるんなら、それでもいーわよ」
「リナ」
「ふつうにすれば、怖がるようなもんじゃないんでしょ?」
「それは、そうだが……」
「ガウリイは、優しくしてくれるのよね?」
「もちろんだ」
この問いばかりは、明快な即答だった。
そう、だから怖くないはずだ。
「とにかくあたし、こんな風に立ち止まっているのはイヤなの。心配してくれるのはありがたいと思ってるけど。あたし自身に恐怖が残ってるって言うなら、それを克服したいのよ。待ちの姿勢は趣味じゃないの」
静かに、見つめ合う。
「どっちでもいーわ。外に出て戦ってみるんでも、ここでソレを試してみるんでも」
ガウリイを引き留めていた糸が、バチンと切れたようだった。
何かに絡め取られたようにガウリイの顔が降りてきて、唇にふれた。
迷うようなふれるだけのキスだったけれども、その中に一滴の熱情が混じっているのを、あたしは確かに感じていた。