「大丈夫か?」
何度目かにガウリイが聞く。
実のところ、あまり大丈夫ではなかった。裸にされた辺りから心臓が早鐘を打ち始め、息が詰まって苦しくなってきた。
胸の中の誰かが、イヤだと叫んで暴れている。
だけど、心の別の部分は、『これは全然違うものだ』と冷静に認識している。実際、それなりに快感らしきものも覚えている。
大丈夫。大丈夫だ。
自分に言い聞かせる言葉を、口に出す。
「大丈夫よ」
「……もうちょっと、濡らさないとな」
「っ……う……そーゆーことを口に出さなくていいの!」
慣らすように、こぼれだすものを広げるように、長い指が秘めた場所を行き来する。
とぷんっと水面が揺れるような音がした。
「……っは……あ……」
「……大丈夫か?」
「大丈夫だって……言ってんでしょ。蹴るわよ」
「……ああ」
ガウリイの長い指が、体の中に沈む。
痛みはなかったけれども、あの時以外誰にもふれられたことのない場所へと侵入してくるものに、体が震えた。
痛みよりも、嫌悪感を思い出す。あたしを苛むためにふれられた場所。忌むべき凶器で、嬲られた場所。
「……っ」
「力抜いてないと、痛いぞ」
「ん……うん」
その場所を広げるように、ゆっくり円を描いて出し入れされる指に、恐怖がこみあげる。
力を抜けと言われたのに、それができない。
体の中に潜り込んだ異物が動く。
たぶんそれは、敏感な場所に当たっていたのだと思う。
強い刺激が体を駆け抜けて――
「んんうっ……」
涙がにじんだ。
全身にどっと汗が吹き出す。
だめだ。
下卑たブタが歪んだ顔で笑う。
吐き気をもよおすような嫌な汗がつたう。
『こんなもんで済むと思うなよ、リナ=インバース』
怖気をふるうような、低い声がささやく。
いやだ。
だめだ。
忘れたい光景が、封印したはずの恐怖が、荒れ狂う嵐のように体を駆け巡る。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
「は……うっ……」
長い時間嬲りものにされたかのように、息が苦しかった。
これから先に起こることを考えただけで、体が震えてくる。
圧倒的な痛みと無力感が襲ってくる。
怖い。
(違う、怖くないはず)
ガウリイは、乱暴なことなど何もしていない。これからも、絶対にしないはずだ。怖がる必要などない。
押し殺さなくては。理性でねじふせなくては。
震えを止めるのだ。力を抜くのだ。
余計なことを考えるからいけない。精神のコントロールには慣れてるはずだ。
でも――。
息が……苦しい。
「……っごめん、ガウリイ……」
あたしは、間近にいるガウリイにも聞こえるかどうか怪しいくらいの小声でつぶやいた。
「こ……こわい……」
「ああ」
ガウリイはささやくように答え、唇を切れそうなほどに噛みしめてうなずいた。
「……ああ」
気付けば、とっくに指の動きは止まっていた。
ガウリイはあたしの中から異物を引き抜き、ぎゅっと強くまぶたを閉じた。
もう一度まぶたを開いた時、彼は笑っていた。優しく、やわらかく。
「今日はもうやめような」
「……わ……悪かったわね。あたしが誘ったのに」
「何言ってるんだ」
ガウリイは、ため息を漏らしながら、きつくあたしを抱きしめる。先ほどと違って、物理的な問題から息が詰まった。
すがるように、抱き潰してしまおうとするかのように、ガウリイの力強い腕があたしを締め付ける。
ガウリイにこれほど強く抱きしめられたことなど、今までなかった。抱きしめられたことそのものが数少ないけれども、わずかなそういった機会には、包み込むようにふんわり抱く人だったのに。
「リナ……」
泣いているような声で、ガウリイがあたしの名前を呼ぶ。
「できるもんなら、見せてやりたい……。オレが、どんなにリナのこと愛してるのか……。どんなに……大事にしてやりたいと思ってるのか……」
耳元にそそぎ込まれた、悲しいほど熱いささやきに、体の芯が震えた。
いつもは固い殻の中にしまわれている、ガウリイの生の言葉を聞かされている。そんな気がした。
「……あたしのこと、愛してるわけ?」
いたたまれなさに耐えかね、思わず混ぜっ返してしまう。
しかしガウリイは、至って真面目に返してきた。
「愛してるぞ」
「うっ……そーなんだ」
少し腕が緩んで、呼吸が楽になった。
ガウリイは、愛おしむように、形を確かめるように、あたしの頭から肩、腕へと大きな手のひらを滑らせる。
「……ちっちゃいなあ、お前さん」
「何を今さら……」
「それに、すごく細い」
「抱き心地がイマイチで、悪かったわね」
ついつい茶化してしまうあたしに構わず、ガウリイは絞り出すように言った。
「……こんなちっちゃい女の子に、なんつーことすんだ、あいつらは……っ!」
これに応える言葉を、あたしは持ち合わせていなかった。
からかう気にはなれないし、『つらかった』と泣いてみせるほど素直でもない。
だから、口をつぐんだ。
この身に加えられた暴力。渦巻くような悪意。
自分が嗜虐心をぶつけられるモノに成り下がった時の、叫び出したいほどの孤絶感。
他人の手が体の上を無遠慮に這いずり回った時の、吐き気をもよおすような嫌悪感。
あの気持ちを、男であるガウリイはきっと本当に理解することはできないだろう。
だけど、心の別の部分を、ガウリイもまたむごいほどに削られているのだ。彼が何より大切にしてきたものを、横から力任せに破壊されたという意味で。
「オレが……抱いてやりたかった。オレ以外に、さわらせたくなかった」
「……ええ」
「どんだけひどいことされたのかも、わからないままで……。ただの暴力と、何が違うのかもわからないままで……。そんなの、むごすぎる……!」
「……そう……?」
「オレだったら……怖がるヒマもないくらい、優しく、優しくしてやったのに。信じられないくらい……気持ちよくして、絶対……幸せだって、言わせてみせたのに……!」
少し、笑いが漏れた。
そんな風にできるものなのだろうか。
最初の内はどうやっても痛いと聞くけれども。
「……笑うなよ。本気だぞ」
「でしょうね。本気だから、面白いのよ」
こいつに抱かれてみたいなあ、と素直な気持ちで思った。
どんな風にするつもりなのか、あの時とどう違うのか、それを知りたいと思った。
これは、あたしが命までも預けてかまわないと思っている男。
あたしに、命までも預けてくれている男。
あたしを愛してると言う男。
あたしが、この世界でただ一人愛した男。
こいつになら、たとえ壊されても構わない。
あたしはゆっくり瞳を閉じて、そして開けた。
それは、知識欲と紙一重だったのかもしれない。
だけど、確かにそれを知りたいと、そう思ったのだ。
「……ありがと」
あたしはつぶやく。
「あたし、その……あんたの言うようなの……されてみたい、かもしんない」
ガウリイは、少し驚いたように目を見開いた。
そして、悲しそうに、でも優しくふわりと笑った。
「そうか」
その、誰よりも優しい微笑みを見て、あたしもまた、この男にだけ抱かれていたかった、と思った。
「だから、もし……あんたに、このめんどくさい状況に付き合う気があるんなら。もっかい……試してみたい。ゆっくりで、お願いしたいけど。もしかしたら、がんばれないかも、しれないけど」
ガウリイは、しばらく黙ってあたしを見ていた。
この男も、あたしを傷付けるのが怖いのだと思った。
だけどガウリイは、少しだけ沈黙した後、笑ってうなずいた。
「……そっか」
その笑顔は、泣きそうな顔に見えた。
ガウリイはあたしの体にさわりながら、怖いか、とつぶやくように何度も聞いた。
大丈夫か、と優しく囁いた。
自分で『信じられない気持ちよくしてやる』なんて言うだけあって、ガウリイは本気で巧くて、そして丁寧だった。バカみたいに時間をかけて愛撫され、いつの間にか体の強張りが解け、じんわりと火照ってくる。
どのくらいそんな行為を続けられただろう。
もういいです、もう勘弁してくださいと言いたくなるくらいに愛撫され、熱を煽られ、体が溶けそうになった。
イヤだとわめいていた誰かの声も、気付けば遠くなっている。
すごいな、大丈夫そうだ……。
あたしが少しほっとした時、指らしきものが体の中に入ってきた。
「んんんっ……」
途端に、怖い、と、気持ちいい、が同じ強さで吹き荒れる。
さっきとは違う。明らかに体が愛撫に慣れていて、さっきは感じられなかった快感を覚える。
だけど、逃げたくなる思いが消せない。
怖い。逃げたい。気持ち悪い。
「……力、抜けないか? これじゃ痛いだろ」
「痛くはないわ」
ぴりっと引きつれるような感覚はあるものの、痛いというにはほど遠い。
「……痛いはずだぞ」
ガウリイは言って、そうっと指を引き抜く。
「ん……ガウリイ」
「どうしてやったら、いいだろうな」
ため息をつきながら、ガウリイは大きな両腕であたしを包み込んだ。
あたたかい腕の中にすっぽりとくるまって、あたしはガウリイの広い胸にそっと唇を寄せる。
ガウリイの鼓動が聞こえてくる。
それは、常よりも少し早い。
だけど、ガウリイの声がそうであるように落ち着いた音で、あたしの恐怖を鎮めてくれる。
ガウリイがここにいる、と知らせてくれる。
ガウリイに抱きしめられると、どうしてこんなに安心するのだろう。残酷な現実から守られているような気持ちになる。頼りない体の隙間を、埋められたような気持ちになる。
「……いいから、無理矢理でも最後までしてよ」
「何言ってるんだ。しないぞ、そんなこと」
「これじゃあんたに悪いし、あたしも最後までしてみたいし」
「最後までしてみるのはかまわんが……オレに悪いなんて、考えるな」
やわらかいキスが、髪に、首筋に、肩に、たくさん落とされる。
性急さとは無縁の、慈しむようなキス。
言葉にされなくても、愛を告げられているのがわかる。
大事にすると、あたしの体はガウリイの大事なものなのだと、無言で告げられる。
愛しいと、恋しいと、大事なのだと。
「……ほんとに、ちっちゃいなあ……お前さん」
なぜだか、涙が出そうになった。