それは心を繋ぐもの ex その刃を抜く時 前

 リナは炎だ。
 近づく者すべてを焼き尽くす、強くて過激な炎。
 自分は剣だ、とガウリイは思う。
 すべてを切り裂くことのできる剣。
 だがその剣は、常に鞘に納められている。

 平穏な旅の日々が戻ってきた。
 少なくとも表面上を取り繕える程度にはそうなった、とガウリイは思う。
 先日起こった不幸な事故により、リナは休養を余儀なくされた。町に逗留して心と体を休める日々が続いたが、半月ほどが過ぎた頃、もう大丈夫だというリナの主張を容れる形で旅を再開した。
 以前のリナに戻ったとは言いがたいが、とりあえず笑っているし、食欲もあるようだ。
 このまま行けば、じきにあのことは過去になる。ガウリイは祈るようにその時を待っていた。
「ん? あんまり食べてないな、リナ」
 ふとリナの皿をのぞき込んだガウリイは、それがいつもほどの勢いで減っていないことに気付く。
 あてもなくぶらつく中、たまたま立ち寄った宿の食堂である。閑散としているわけではないが賑わってもいない。家族だけで経営しているのだろう、子供までが給仕に走り回っていた。
「んー……」
 リナは顔をしかめ、ガウリイに顔を寄せてそっとささやいた。
「あんましおいしくないと思わない、ここ」
「ああ……そうかもな」
 そういうことならいいのだが、という言葉は胸の中だけでつぶやいた。
 あの時以来、リナ本人以上にガウリイの方が神経をとがらせて過ごしていた。
 リナの食が進まないのは本当に料理がおいしくないせいなのか、迷いながらフォークを口に運んでいると、不意に横手から男のだみ声が聞こえてきた。
「何すんだてめえは!」
 怒鳴られているのは、給仕を手伝っているこの宿の子供、怒鳴っているのは奥の席にいる柄の悪い男らしい。この辺りでは顔なのだろうか、同じテーブルには子分らしい男たちがいて、ニヤニヤしながら成り行きをながめている。
 どうやら、まだ十を少々超したばかりのその男の子が、給仕の際に水をこぼしてしまったらしい。
「ご、ごめんなさい! すぐに拭きますので!」
「ああ? 拭いたら済むと思ってんのか? このクソガキ、なめてんじゃねぇぞ!」
 ちらりとリナをうかがうと、リナもまたそちらを見ていた。
 ガウリイの視線に気付いて、『どうする?』と言いたげな目を送ってくる。
 商売柄、この手のトラブルには慣れている。だが、他人が出ていくことで余計こじれることもある。怒鳴っただけで気が済む輩ならば、放っておいてやった方が親切とも言える。
 その辺りの繊細な判断はリナに任せておくことにしていた。
 だが、もし手を出すと言うならば、行くのは自分一人だ、とガウリイは思った。
 本人は意識していないのだろうが、リナの顔が常になく強張っていた。男の怒鳴り声にすくんでいるのだ。以前ならばけっしてなかったことだ。
 リナはまだ、戦わせられない。
「お客様、どうなさいましたか!?」
 厨房から、宿の親父が駆け出してくる。
「どうもこうもねえよ、見ろよこの服!」
「これは、申し訳ございません、すぐにタオルをお持ちしますので」
「タオルをお持ちしますだとぉ? 親子そろって、しけたこと言いやがって。なめてんじゃねぇって言ってんだよ!」
 男が手を上げた。
 横っ面を殴られた宿の親父は、近くのテーブルに背中から突っ込む。テーブルの上の皿が派手な音を立て、その席についていた客たちは驚いて悲鳴を上げながら立ち上がる。店が一気にざわめいた。
 立ち上がりかけたリナを手で制してから、ガウリイは一人でそのテーブルに向かった。
 親父を助け起こしてから、粋がる男の前に立つ。相手も悪くない体格だが、身のこなしも含めて、ガウリイには遠く及ばない。
「おいおい、たかが水をこぼされた程度で、ずいぶんだな」
「あん? 正義の味方気取りか、おい。なんだおめえは?」
「名乗るほどのもんじゃない」
 後ろの方で、リナが吹き出しているのが聞こえた。
「っんだよ、そのカビが生えたよーなセリフは! 頭くさってんじゃねぇか!?」
「頭がくさったら生きてられないだろ。それより、乱暴はそのくらいにしとけよ」
 これで収まってくれるならば、問題はない。リナなら手と口が同時に出るところだろうが、ガウリイとしてはわざわざ事を荒立てたいとは思わない。被我の実力差を感じ取れるだけの能力があれば、向こうも事を構えたいとは思わないだろう。
 だが、今日の相手はガウリイの腕を見抜けるほどの知恵も腕もなかったらしい。
 一瞬怯みはしたが、威嚇のためだろうか、さらに猛り立つ。
「うるせえ! 優男が口出しすんじゃねぇ!」
 怒鳴ると同時に繰り出してきた拳を、ガウリイは難なく避けた。
 同時に、突き出された腕を掴み、避ける動作を利用してそのまま軽く捻り上げてやる。男は、簡単に悲鳴を上げた。
 造作もない。
「い、いぃってぇ!」
「リナー。こいつはぶっ飛ばしたらいいかー?」
 関節を決めて男を保持したままお伺いを立てたのは、前に何度か断りなくぶっ飛ばして『その前に聞きたいことがあったのに!』と怒られたからである。
「いいわよー。ガツン、とやっちゃって」
 リナは、背後関係なしと判断したらしい。食べ物を口に運びながら、気のない声で答えてきた。
「じゃあ遠慮なく」
 床の空いてるスペースに男を突き飛ばしながら、よろめく背中にガツンと蹴りを入れる。
 床に沈んだ男は、一、二秒床でもがいていたが、手足を突いてなんとか起きあがる。向かってくるならもう一発殴ってやるつもりだったが、さすがに敵わないとわかったらしい。すごい形相で唾を吐くと、そのままダッシュで店を出ていった。
 困ったような顔で辺りを見回した子分たちも、続いて店を飛び出していく。
 あっと言う間の出来事だった。
 一瞬の沈黙の後、店がわき返った。
「おおおおおっ!」
 ガウリイは、かまわずにさっさと席へと戻る。
「あ、お前オレのチキン取っただろ」
「んふふー。いないのが悪いのよ」
 リナも、当たり前の顔でそれを迎える。
 ガウリイが席につくかつかないかの内に、宿の親父と子供があわてて駆け寄ってきた。
「あ、ありがとうございます! 助かりました」
「いやあ、別に……」
「そんなお礼なんて……宿代をサービスしてもらえれば、それで」
 リナがガウリイの言葉をさえぎるように口を出し、語尾にハートマークを飛ばしながら、しなを作った。
 なるほど、リナは背後関係のなさそうなあの男にこだわるより、宿の主人に恩を売る方が得とにらんだわけか。
 納得しながら、ガウリイは勝手に食事を再開する。
「あ……ええ、もちろんです、宿泊のお代は勉強させていただきます」
「ほんと!? 勉強ってどのくらい?」
「いやもう、そうですねえ……危ないところを助けていただきましたから……」
 ガウリイにはとても真似できない交渉の仕方だ。呆れるほどがめつい、とも思うが、毎度のことでもあるし、リナが元気そうで安心もする。
 ここはリナに任せておこうと割り切って、リナの皿からチキンを取り返していると、子供が走り出てガウリイの横に立った。
 まだリナよりも背が低いくらいだが、どうやら男の子らしかった。彼はわくわくするのを押さえるような顔で、ガウリイを見つめている。
「おじさん、すっごく強いねー!」
「そっか? ありがとな」
「お芝居に出てくる、勇者様みたいだった!」
「んー……そんないいもんじゃないよ」
 気に入らなかったから殴った、それだけのことだ。
 あの男が宿の親父にしたことと、ガウリイがあの男にしたことの間に、大した違いはない。同じ暴力だ。違うのは、その暴力を向けた相手だけだった。
 あの男が復讐をたくらまないとは限らないのだし、本当に見た目通りの悪人だったのかどうかもわからない。後になってみて、放っておいた方が結果的に親切だった、とわかる場合もある。
 だが、そういうことをごちゃごちゃ考えていると、やるべきことを逃してしまいそうな気がする。それなら、別に判断できなくてもいいとガウリイは思っている。やりたいと思ったことをやるだけだ。
 つまりは、気に入らないから殴ったということなのだ。
「僕もおじさんくらい強かったら、いっぱい悪人をやっつけてやるのになあ!」
「それじゃあ、リナみたいだなあ」
「リナってリナ=インバース?」
「お、知ってるのか」
「知ってるよ! 悪人は皆殺しにするんでしょ? うーん、リナ=インバースになるのは、ちょっといやだなあ」
「……それ、あんまり大きな声で言うんじゃないぞ」
 幸い、リナは交渉に夢中でこちらの話に気がつかなかったらしい。
 リナ=インバースはいや、か。
 ガウリイは内心苦笑する。
 確かに、悪人とあれば見境なく吹っ飛ばすリナのことを、ガウリイも日頃から苦々しく思っている。
 だけど、自分だってそう変わりはしない。
 ガウリイは、悪夢のようなあの朝を思い出す。
 リナを犯した男たちを、ガウリイは皆殺しにし、それでも飽きたらず寸刻みにした。
 必要性だけで言えば、その必要はなかった。道理を言うならば、縛って役人に突き出すべきだったのだ。ただ、腹が立ったから殺した。
 言うまでもなく、腹が立ったなどという軽い言葉では表しきれない、体が千切れるような怒りがさせたことだった。頭の芯までバラバラになってしまうのではないかと思った。どこにぶつけても、収まるはずがない。何をしたところで取り返しのつけようもない。その怒りと悔しさと憎しみを、刃に込めた。
 あのことで、誰かがガウリイを責めることはなかった。殺されて当然の奴らだと、誰もが思ったのだろう。
 だが、それは結果だ。事実だけを言えばやはり、腹が立ったから殺した、ということなのだ。
 もちろん、後悔などかけらもない。反省する気もない。もう一度あの時に戻ったとしても、ためらいなく同じ事をすると思う。
 ただ、自分はリナと同様、その気になれば好きなだけ人を殺せる力を持っているのだと、改めて自覚した。
 力は、何のために使うかによって悪いものにも良いものにもなる。
 たとえば、あの光の剣がそうだったように。
 その刃を、いつ誰に向けてふるうのか、それを見極めて生きていかなければならない。強い力を持っているからこそ、それに見合う自制心が必要だ。
「じゃ、そういうことで。よろしくー!」
 宿の主人との間で話がついたらしく、リナが上機嫌に笑った。
「あ、じゃあおじさん、僕仕事するね。助けてくれて、ありがとう」
「おう、がんばれよ」
「あんたも将来は強くなって、ちゃんと店を守んのよ」
 リナが、ガウリイよりよほど愛想良く言って、笑う。
 子供は笑顔を浮かべて、大きくうなずいた。
「うん! 僕も、おじさんみたいになりたい!」
 その気になれば、拳一つでこの子供を殺すこともできる。
 その力を持ちながら、ガウリイは剣を握る大きな手で優しく子供の頭をなでて、笑った。

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