経験は何にも勝り 前

update: 02.09.21

 カツッ。
 板に文字を書きつけた木炭を置き、リナは集まった群衆に向き直った。
「……と、まぁね。実のところ、こういうことをいくら口で教えても限界があるのは確かなんです。そりゃあたしは魔族に出会った時の対処法として今言ったことが正しいと思って教えたわけですし、実行できる自信もあります。でも、誰にでもできるってもんじゃないのは当然のことです」
 1番前の席で熱心に聞いていた少年に目をやる。
 かわいそうに彼は、大魔王の便所のふたとまで言われたリナにあこがれてしまうのではないだろうか。
「そう考えると、あたしの教えたことは気休めのように思われるかもしれません。しかし、実際に有効な手段なのです。これを下敷きに、各自自分が会ったらどうするのか、どういうことができるのか、それを考えてみてください。あたしの相棒などは、この話を半分も理解してないと思いますが」
 言って、リナはいたずらっぽくガウリイに視線を向けた。
 話を聞いていなかったガウリイは、なぜだか自分に注目が集まったのでとりあえず手など振ってみた。
「ん? なんだリナ、帰るのか?」
 当然、壇上から木炭が飛来した。
「……こほん。まぁ、ああいうヤツです。口先三寸で魔族を追い返す、などということはできません。でも今まで生き残っているわけです。原則も大事ですが、それを踏まえて自分にできることを把握しておくこと、これが重要ですね」
 何人かがひどく納得したようにうなずいた。

 

 先ほど最前列で食いつくように聞いていた少年は、講演後サインを求めに来た。
 リナは上機嫌で応じたし、サインをほしがったのは彼だけではなかったので、被害は拡大しているものと思われた。
 だが、リナにとってはいいことなのだろう。不名誉な噂の数々は、確かに事実も若干、いやそれなりに含まれてはいるが、過剰に誇張されたものであることも確かだ。悪行と同じくらいは行われている善行が、そろそろ評価されてもいいはずだ。
 講演も無事成功に終わり、終始ご機嫌だったリナは珍しく自費で酒を手に入れてガウリイの部屋を訪れた。
 この街に滞在を決めたのはリナの方である。少々険しい道を越えたところだったので、骨休めを言い出した。軽い仕事はないか、と魔道士協会に顔を出して紹介されたのが、講演会だ。ちょうど街ができて50年目の祭りをやっているようで、その企画として講演会があったのだ。
「ガウリイ、いい?」
 ノックの音を聞いて、ガウリイはすぐに応える。
「おう、開いてるぞ」
 ガウリイは暇を持て余してベッドに横になっているところだった。
 街に着いてから3日、すでに武器や防具の手入れも完璧で何もすることがない。
「へへー、いいお酒格安で譲ってもらったのよ。飲まない?」
「おおっ! 飲む飲むっ!」
 酒という言葉に反応して、ガウリイは勢いよく起き上がった。
「どうしたんだ、気前いいなぁ」
「んふふ、講演の打ち上げよ」
 実のところ、その酒は講演にいたく感動した参加者がタダ同然の値段で譲ってくれたものであった。リナはそれもあって機嫌がいいらしい。
「お疲れさん」
「ありがと」
 グラスを合わせて、まずは香りを楽しむ。
「んーいい匂い」
「ふっくらとしてしつこくない」
「ほのかな甘みが素晴らしいわね」
 好きな感想を言い合いながら、ベッドに腰掛けて味を楽しむ。
「いやオレも疲れた」
「一応最後まで寝てなかっただけガウリイにしてはえらいっ! 少しは参考になった?」
「いやあんまし」
「まぁ、そうでしょうね」
 その後に2人が何を楽しんだかは、大人の想像に任せる。

 部屋には、光量を落として投げかけた弱々しい明かりがあるだけ。
 ベッドの上でぼんやり言葉を交わしながら、ふとリナは大胆な行動に出た。まだ酒が残っていたのかもしれない。
「そういえばあたし、男の人のってちゃんと見たことないわ」
「はぁ?」
 身体を起こして、胸を隠すのも兼ねて腕を組む。
「人にいろいろ講釈しておいて、いつまでもこの方面の知識にばっかり乏しいのもどーかと思うわよね。ガウリイなんかに負けっぱなしなのも悔しいし。ねぇガウリイ、ちょっと見せてよ」
「お、おいおいっ!」
 何しろハナから何も着ていない。素早いリナの行動をそうそう妨げられるわけもない。
 首尾よくシーツをはぎとったリナの反応は、沈黙だった。
「……リナー?」
 おもむろに、手を伸ばして危険な場所を握ってみたりするリナ。
「うわぁっ!」
「え、あ、ごめん痛い?」
 ぱっと手を放すリナだが、痛い以外の理由があることはそれなりの経験があれば分かる。
「い、いや別に痛いわけじゃないが」
「なら騒がないでよ。痛かったら言ってね」
「えっと……」
 すっかり困惑したガウリイは意に介さず、リナは再び細い指をそこに回した。人差し指と親指で輪を作って回す。
「……ねぇ、これ、大きくない?」
「は? いや、まぁ、小さくはないと思うが」
 やたらに真面目な顔をしているリナを、困り果てて見つめるガウリイ。
 子供だ、これは子供の興味なんだ、と必死で自分に言い聞かせる。
「うん、やっぱしずいぶん大きい気がする」
「比べる相手がいるのか?」
「昔とーちゃんのを見たことある。こんなのよく入るわねぇ」
「リナ……言いたかないが、お前さんの中に入ってる時はもっと大きくなってると思うぞ」
「え、そうなの?」
 非常にあぶなかっしい好奇心でリナの瞳が輝く。
「どのくらい?」
「どのくらいって……なぁ。お前さん、誘ってるのか?」
「へ? 誘……」
 ぼん、とリナの顔が赤くなった。
 ああやっぱり意識してなかったか、とガウリイはほとほと情けなくなる。自分だけ意識してムチャをせずに本当によかった、と悲しい安心をしてみる。
「そ、そういうんじゃないわよ! これは単なる好奇心! 魔道士ってのはね、自分の知らないことに対する知識欲を持ってなきゃいけないのよ!」
「ふーん、大変なんだな」
「あんたも少しは見習えっ!」
 などと、照れ隠し半分だろう、常備スリッパでガウリイの頭を激しくどつき倒すリナ。
 ばったり倒れた勢いで、ガウリイはそのままベッドに沈み込む。このまま楽しく漫才をする気分ではない。頭を冷ましたい気持ちでいっぱいである。
「ったく、あんなに丁寧に説明してやったのに、あたしの素晴らしい講演をちっとも理解しようとしないし。いーいガウリイ、あんた大体あたしと同じ経験をしてるんだから、本来なら説明されなくても分かってるはずなのよ? 何でもかんでもあたしに任せてると、そのうち1人で何とかしなきゃいけなくなった時に大変なんだからね!?」
 自分に都合が悪い時ほど口が回るのは、リナの特技である。
「頭なんてものはね、使わないとどんどん退化してくの! 逆に言えば、使えば使うだけよくなっていくもんなのよ。そのためには、普段から自分の知らないものに興味を持つ! 分からないことは積極的に学ぶ! この姿勢が大事よね。ちょっと、いつまでも倒れてないで、聞いてる?」
「……まーな」
 色気のかけらもない講釈を延々聞かされて、ガウリイはすっかりふてていた。
 さっきまで、あわや、という雰囲気だったのである。胸は期待にふるえ、もうちょっとで身体まで正直に反応してしまうところだったのである。
 これで謙虚な気持ちになれたら偉すぎる。そして、男としてどうかと思う。
「じゃあ、リナも知らないこととやらを積極的に勉強してみるかぁ?」
「あたしはいつだって積極的に勉強してるわよ」
「だって……なぁ。知らないんだろ?」
 思い切り含みのある発言に、リナはぐっと詰まった。ごまかし切れなかったことを悟ったらしい。
「興味あるんだろー?」
 対照的に、風向きがよくなったことを感じてガウリイは強気になる。
 リナはますます言葉に詰まった様子で身体を丸めた。
「ま、まぁ……興味はある、わよ」
「それなら、勉強しなきゃな」
「う……っ」
 夜目にも赤くなったリナは、膝の間に顔をうずめてしまう。
 これは、上手く押しさえすればこの世の天国が味わえそうだなぁ、などと再び期待に胸を高鳴らせながら、ガウリイはリナを刺激しないようその頭をなでた。
 距離が開いてしまうと踏み出しにくいだろうし、かといっていきなり行為に及んだら恥ずかしさのあまり暴れだす可能性がある。あくまでさりげなく、がポイントだ。
 リナは、安全な距離を測る野良猫のように、ちらりと目だけのぞかせた。
「あ、あんたこっち方面には詳しそうよね」
「そりゃ人並みにはなぁ……」
「何が人並みよ。本能と行動が直結してるくせに」
「そんなことはないっ。直結してたらとっくに襲ってる」
「襲……ってあんた何馬鹿なこと……っ」
「馬鹿かぁ? あんなことされりゃ、男なら誰だって」
「やかまし。忘れろっ」
 繰り出される拳を笑って手のひらで受け止め、その指にごく軽く唇をつけた。
「ちょ……っ」
「まぁ確かに、こればっかりはオレの方が教えられるぞ」
「……剣以外で、あんたがあたしに教えられることがあるとはねっ! 何事も習うより慣れろってやつか。特にこういうことに関しては、やってみるのが早いのかしら……」
 ガウリイは苦笑する。どうやったら上手くなるかなんて、真面目に考えたこともない。気が付けば慣れていたし、上達したことも人に指摘されなければ気付かなかっただろう。だが、それがこうして大事な女性との夜に役立つのであれば、学んでみてよかったのだ。
「……やってみるか?」
 イヤだと答えられる程度にさらりと聞くと、リナはわずかにうなずいた。
 参った、とガウリイは内心思う。
 嬉しすぎて参る。

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