シャドウ トライアングル 1

update: 10.01.28 

 酔った勢いで、ガウリイと寝た。

 あああああああ。
 目覚めたあたしの頭にあったのは、その一文字だけである。
 鎧戸の隙間から、朝の白い光が漏れてくる。
 わずかなその光を受けて、シーツが真っ白な海のように波打つ。
 そこにもぐって丸くなっている巨大な物体は、明らかにガウリイの背中だった。
 なんだかんだで、ケガの治療などのために目にしたことがある。あるけれども……見たことのない物体に見えた。
 固く引き締まった背筋や、その真ん中をすっと通る背骨。隆起した肩はびっくりするくらい大きくて、それが男の体なのだということを主張する。
 息苦しくなるほどに鼓動が高まって、あたしはシーツを裸の胸元に引き寄せながら口をぱくぱくと開閉した。
 昨晩あたしは、あの体に抱かれたのだ。あの背中にしがみついて、爪を立てた。
 広い背中にその跡がぽつぽつと赤く残っているのを見て、頭に血が上った。
 だめだ。恥ずかしすぎて死ぬ。

 というわけで、あたしは自分の衝動に対して忠実に行動した。
 すなわち。その場から逃げたのである。

 自分の部屋に逃げ帰ってきたあたしは、昨晩使わなかったベッドにどさりと体を投げ出した。
 足の付け根あたりがじんわりと痛い。足の付け根というか、正確に言えば……まあその、男性のものを受け入れたあたりだ。耐えがたいというほどではないが、しゃきしゃき歩くのがためらわれる程度の痛みではある。
 正直、痛かった。痛いとは聞いていたが、覚悟していた通りの痛さだった。
 鍛え上げられたガウリイの体に組み敷かれ、そのものを体の中に埋め込まれた時、やわらかいものに内側から裂かれるという通常ありえない痛みに涙がにじんできた。ただ痛いだけではない。下から突き上げてくる圧迫感と、体の中に何か大きなものが入っているという違和感は、すさまじいものがあった。
 だが、不思議な満足感もあった。のほほんとして掴み所のない男が、苦しげに眉を寄せてあたしを求めてくれているという満足感。一つに繋がれたという充足感。
 あたしは、それまでの愛撫のせいもあって少々理性を失い、ただひたすらにガウリイの名を呼んでいた。
 ガウリイは、痛がるあたしを抱きしめ、優しくなだめてくれて……。
「……っ」
 その時のことが鮮明によみがえり、あたしはうつぶせになって枕を叩きつけた。
 あたしとしたことが、なんてことを。
 昨日の昼までは、何の変わりもなくただの旅の連れとして付き合っていた相手だというのに、一時の激情で、あ……あんなことを……。
 熱く火照った顔を、シーツに押しつける。
 この顔が落ち着くまで、ガウリイの顔は見られそうにない。

 しばらく気分を落ち着けてから、おそるおそる一階の食堂に降りていくと、ガウリイはすでにそこで待っていた。
 四人掛けのテーブルを一人で占領して、手持ち無沙汰そうに頬杖をついている。
 その横顔を見ただけで、胸がざわめいた。昨日まであまり意識していなかったが、二十代も半ば近いガウリイの顔は、少しごつごつとしていて男っぽい。あの顔が、昨日あたしの上にあって……。
 いやああああああ。
 食堂に入ったところで立ち尽くしているあたしに気が付いたのか、ガウリイがこちらを振り返った。あたしの顔を見て、あたし同様照れた顔をする……と思いきや、気が抜けるくらいいつも通りの笑顔でさっと手を挙げた。
「リナ、こっちだぞ」
 いや、そこにいるのはわかってるって、ガウリイ目立つし。
 その何気なさはなんなんだと思いながら、観念してガウリイの方へ向かう。
 光の剣に代わる剣を探して旅をしていたあたしたちは、先日、伝説に名を残す剣を発見した。今はこれといってあてもなく、ぶらりぶらりと旅をする途中で、たまたまこの町に立ち寄った。格別に風光明媚というわけでもない、何の変哲もない宿場町である。
 近隣では比較的規模の大きな町のため、ここで一泊する旅人は多い。宿屋の一階に当たる食堂兼酒場は、席の半分くらいが埋まっていた。
 今は朝一番ということでみんな眠そうな顔をしているが、昨晩のこの場所はお酒と食べ物の匂い、そして客の笑い声が充満していた。それまで受けていた仕事が思いの外いい収入になり、気をよくしていたあたしは、ここで大いに飲み食いをしたのだ。そしてその後……。
 いや、余計なことを思い出すのはよそう。
「……あー、昨日は、その……」
 椅子に腰掛けながら、何を言っていいのかわからないなりに、何か言い訳をしようと口を開く。
「昨日?」
 そのきょとんとした顔を見て、あたしの全身から音を立てて血が引いた。
 まさかとは思うが……。
 何も覚えてない、とか……?
 あたしは、大事なことを思い出していた。
 ガウリイは昨日、あたしと一緒に相当飲んでいた。
 こいつは、酔ってもあまり言動に変化がないが、後から完全に記憶をなくすタイプである。あたしにはいつも通りに見えていたが、記憶が吹っ飛ぶほどに酔っていたとしてもおかしくはない。
「どうした、リナ?」
「いや、その……昨日は、ずいぶん酔っぱらちゃって、悪かったわね」
 あたしはとりあえずカマをかけてみた。
 覚えていれば、酔った末に何をしたのか、そこに話がいくだろうし、覚えていなければ反応がないだろう。
 緊張しながら見守るあたしの前で、ガウリイは小憎らしいくらいとぼけた顔で首を傾げた。
「あー。そういえば、昨日リナと飲んでたな。そんなに酔ったのか? オレよく覚えてないけど」
 うああああああ。やっぱり覚えてないいいいい。
 あたしは無言のまま、その場に突っ伏した。
 どこか、こもる穴がほしい、穴。
「なんだよリナ、そんな大事件でもあったのか? もしかして、オレ何か変なことしたか?」
「……ううん、大したことじゃない」
 あたしは、突っ伏したまま平坦な声で呟いた。
 うん、大したことはしてない。
 ちょっとした話の流れで、急にあたしの手を取って黙り込んだかと思ったら、「実はオレ、ずっとお前さんのこと抱きたいって思ってたんだ」とか言い出しただけ。でもって、前からこの脳みそのふやけた男に恋していた純情可憐なあたしは、その言葉をすっかり告白の一種だと思いこんで、恥じらいつつも「いいわよ」なんぞと答えてしまった、と、それだけのことである。
 よく考えてみれば、あんなもん告白でもなんでもない。告白であった可能性がないわけではないが、そうでなかった可能性だって十分にある。
 その上、ガウリイが酔ったら記憶をなくすことなんか、わかりきっていた。たとえ告白だったとしても、あたしは受け流すべきだったのである。
 つまり、昨晩のあたしの行動はまるっきり間違っていたということだ。
 お酒に判断能力を奪われてしまうなぞ、一生の不覚と言えよう。
「えっと……よくわからんが……なんか怒ってるのか?」
 戸惑うようなガウリイの声に、あたしは突っ伏したまま答えた。
「怒ってない。いや、ちょっと自分に怒ってる」
「なんだそりゃ?」
「いーの。忘れて」
 あたしはがばっと体を起こし、食堂のおばちゃんに手を振った。
「おばちゃーん! 朝食のセット、一通り持ってきて!」
 こーゆー時は、食べるに限る。
「あ、オレはAセット二人前ー」
 一丁前に二日酔いでも残っているのだろうか、ガウリイは控えめな量を注文する。
 まあ……済んでしまったことは仕方ないとして……。
 これからどーしたものだろう。
 ガウリイは何も覚えていないらしい。だけど、昨日あたしは間違いなくガウリイと寝たのである。
 あたしを抱きたいと言った、あの言葉は本心だったのだろうか。そして、その言葉に男の生態以外の感情は含まれていたのだろうか。
 もしあれが昨晩のあたしが受け取った通りの意味ならば、事はそれほど難しくない。一回目はなかったことにして忘れてもいいし、改めてきちんとした意思表示を求めてもいい。とりあえず、きっぱり事実を突きつけて事態を理解してもらわねば困る。
 だが、もしそうでなかった場合……。
 ただ女が欲しいんだという程度の意味だった場合……。
 ガウリイに告白されたと思い、あたしも前から好きだったのでそのまま寝てしまいました、などと白状するのは気まずいことこの上ない。言ったが最後、本当にすまなかった、もうこれ以上一緒にはいられない、などという展開も十分考えられる。
 それはあまり……望ましくない。
 てゆーか、もしガウリイが単なるすけべ心であんなことを言ったのだとしたら、乙女として最大の決断を行って純潔を捧げたあたしの立場ってものは、一体……?
「あ、そうだ。リナ、これお前さんのだよな?」
 ひょいとガウリイが差し出してきたのは、あたしがいつも付けているイヤリングのセットだった。
 もちろん、あの時に外したものである。ガウリイの部屋に忘れてきたらしい。
 何か気付いただろうかと、どきりとする。
「オレの部屋のテーブルにあったんだが……」
「ん、ありがと」
 ガウリイの手のひらに指を伸ばす時、昨日あたしにいろいろとしてきた手なのだと思って、少し緊張してしまった。
 その手に触れないよう、指先でそっとイヤリングを受け取る。
 イヤリングを耳に付けながらさりげなくガウリイの顔をうかがうと、彼もさすがに違和感は覚えているようだった。
「昨夜、オレの部屋に来たのか?」
「まーね。ちょっと飲み直しに」
「ふうん……。なんで、イヤリングなんか外したんだ?」
「さあ……痛くなってきたからだったかしら。あたしも酔っぱらってたから、よく覚えてないわ」
 適当な答えを返す。
 ガウリイは、疑うような目であたしをじっと見た。
「なんか変なんだよな……。オレ、素っ裸で寝てたし……」
「酔っ払ってたもんねー。風邪引くわよ、この季節でも」
 誤魔化してるつもりなのだが、あたしの様子がおかしいとわかってしまうのだろう、ガウリイは困ったように眉を寄せる。
「なあリナ……。オレ、ほんとに変なことしなかったか?」
「変って言ったら、いつだって変じゃないガウリイの場合」
「お前な。真面目に聞いてるんだ」
 さて、全力でごまかすべきか。正直に何があったか話すべきか。
 あたしは内心じと汗を流しながら考えた。
 ええいっ! うじうじしてるのは性に合わないっ!
 ここは大きく切り込んで、様子を見てみるべしっ!
「わかった。じゃあはっきり言わせてもらうけど、あんた昨夜は相当酔っ払ってたみたいで、いろいろと口を滑らせてくれたのよ」
「え? いろいろって?」
 少し顔が強張ったように見えるのは、気のせいだろうか?
 あたしは一回深呼吸をして気持ちを整えてから、早口で言い切った。
「……『お前さんのこと抱きたいと思ってる』ってゆった」
「ええええええっ!?」
 ガウリイは大声を上げて、椅子を蹴倒しながら後ずさった。
 元から比較的色白のガウリイだが、いまやその顔からは完全に血の色がなくなっている。
「いや……ウソだな? オレのこと、からかってるんだろ」
 騙されまいとするような疑いの声で、そのようなことを聞いてくる。
 だが、強気の言葉とは裏腹に、握りしめた拳はぶるぶると震えていたりする。
 事実を指摘されたせいなのか、思ってもみなかったことを言われたせいなのかはわからない。
「……あれって、本心……だったの?」
 乙女ちっくに恥じらいつつもじもじと言ってみると、ガウリイは目をさまよわせた。
 別に、急に頭がピンク色になったわけではない。揺さぶりをかけているのである。
 これでするっと本音を言ってくれれば、苦労はないのだが……。
 ガウリイはしばし何かを悩んでいたが、取るべき態度を決めたのか、急にすっくと姿勢を正した。
「その手には乗らないぞ。オレが記憶をなくしてると思って、からかってるんだろう。オレはそんなこと言うはずがないっ!」
 ううむ。言うはずがない、か。
 そんなことは思ったことがない、と全否定されたわけではない。だがこの言葉をもって、昨日の言葉が本心である、と判断するには無理がある。
 あたしは舌打ちを胸の中に押し込め、わざと大げさにぶりっこ演技を続けて見せた。
「からかってるって何のこと? ガウリイ、ひどいわっ!」
「お前なあ……」
 あたしのふざけた演技に、ガウリイはあからさまにほっとした顔をした。
 ううむ……。揺さぶったくらいじゃかわされるか……。
 となると……。
 次なる手を考えていると、不意に脇から山盛りのお皿が差し出される。
「お客さん、男らしくないよ、認めちまいなよ。で、店で騒がないでね」
 不機嫌に言った店のおっちゃんに、あたしとガウリイは気まずく視線をずらした。

 部屋に帰ると、いわくいいがたい脱力感が襲ってきて、あたしは再びベッドに倒れてしまった。
 体もいろいろと痛い。
 その痛みを意識すると、情けないが泣きたくなってきた。この痛みは、昨日のことが夢でなかった証なのだ。
 だが、ガウリイにとっては夢になってしまった。
 一体、あたしにどーしろというのだ。
 カマを掛けて遠回しに様子を伺ったりせず、正面突破するべきなのか?
 しかし、それはあまりにリスクが高すぎる。
 どっちにしろいつまでも黙っておくわけにはいかないだろうが、ガウリイの気持ち次第では言い方を変える必要がある。単純な話、ガウリイが軽い気持ちだったのだとすれば、あたしもまた興味本位だったと言ってやればいいのである。そうすれば、あれは一夜のお遊びでしたということで問題ないはずだ。
 ……不本意だけど……。
 あたしは、いまだ鈍い痛みを訴える下腹部を押さえて、ため息をついた。
 ここに入ってきた熱いものを、今も生々しく覚えているのに。
「……あの、ばか」
 小さく呟くと、悔しさで胸が熱くなった。

 街道を歩くあたしたちの横を、荷馬車がぽくぽくと追い越していく。
 少し強くなってきた陽気に、体が軽く汗ばむ。
 幸い体の痛みは歩いている内に治まってきた。若干気だるいのは否めないが、それは二日酔いだということにしておく。
 ガウリイはいつもより少し離れた場所を歩いて、ちらりちらりとこちらを窺っている。あたしはできるだけいつも通りを装いながら、会話の糸口を探す。
「……」
「……」
 だああああっ! 気まずいっ!
 とにかく、とにかくなんとか会話を始めないと……。
「……ガウリイ、あんだけ飲んで二日酔いなんないの?」
「へ?」
 ガウリイは瞬いて、首を傾げた。
「いつもならないだろ? 記憶はなくなるが」
「ま、そーなんだけど」
 またしばし、街道をゆく。
「昨日はあんた、ほんとに酔ってたみたいで、いろんなこと言ってたんだけど……」
「いろんなこと言ってたのはほんとなのか……」
 てゆーか、ウソは一個もついていない。
「それで、ちょっと疑問に思ったんだけど、その……あんたって、あたしが知らない内にこっそりすけべな店に行ったりしてんの?」
「は……?」
 ガウリイは間抜けな声を上げた。
「えっと……オレ、そういうことを、言ってたのか? 昨夜……」
「まあ、そんな感じのことをね」
 それについての話をしていたのは本当だが、昨晩ガウリイはあたしの疑問をはっきりと否定した。
 とりあえず、そこから確認。
 緊張しながら答えを待っていると、ガウリイはあわてた様子で言った。
「いや待て。そんなことはしてないぞオレ」
「ふーん? ほんとに? 男なら興味あるもんでしょ?」
「いや、興味はまあ……だけど、ほんとにずいぶん行ってないからな?」
「ずいぶんって、どんくらい?」
「覚えてないが……ずいぶんだなー」
「へー。あたしに遠慮しなくていいのよ?」
 昨晩は、この会話から『実はお前さんをどーのこーの』という流れになったのだが……。
 素面のガウリイはそこまで甘くはなく、大した動揺も見せずにさらりと否定してきた。
「遠慮なんかしとらん。そういう気にならないんだ」
「なんで?」
「なんでかなんて知るか」
 あたしの追及をあっさりいなし、戸惑ったような顔で頭をかく。
「あのなあ、女の子があんまりそんなことに興味持つもんじゃないぞ? 別にやましいことがあるわけじゃないが、そうっとしといてくれるのが大人ってもんだ」
「うん、まあちょっと気になったもんでね。いい年の男なのに、そういう様子見せないしさ。ねえ、もしかして好きな人がいるわけ?」
 できるだけ明るい声で聞くと、ガウリイは少しの間黙った。
 だが、すぐにいつも通りのとぼけた声で続ける。
「そんなこと気にするなんて、珍しいなあ。リナも年頃ってやつか?」
 ちっ。受け流されたっ!
「そーそー。あたしもお年頃なのよ。で、どうなのよ、うりうり」
「そーゆーのは、人にぺらぺらしゃべるもんじゃないんだよ」
「いいじゃない、長い付き合いなんだし」
「酔ってしゃべらなかったもんを、素面でしゃべると思うか?」
 昨日酔ってしゃべったんだっちゅーの!
「そういうお前さんはどうなんだ?」
「へっ? あたし?」
「人に聞くなら、自分もしゃべらなきゃずるいだろ」
「いや、あたしは……」
 今度はこっちが少し黙る。するとガウリイは、急に大股になってあたしの側までやってきた。
 寄り添うような位置に来て、大きな手でぽん、とあたしの頭を叩く。あたしの小さな頭なんか、包み込んでしまえるような大きな手だった。
「なあ、リナ」
「……っ。何?」
 思わず過剰に反応してしまったあたしを見て、ガウリイは困ったように手を下ろした。
「……いや……なんでもない……」
 き、気まずい……。
 いや、その……しょうがないじゃないかっ! ああいうことの後で、初めて触られたんだからっ!
 いつも通りの仕草なのに、その手の大きさを改めて感じてしまって……たまらなくなったのである。
 あの手が昨日……いやいやいや。回想はもういいから。
 体が熱くなるのを止められずに戸惑うあたしから、ガウリイはまた少し距離を取る。
「えっと、ちょっと考えごとしてた。何?」
「……いや」
 ガウリイは首を横に振って、口をつぐんでしまった。
 だめだ、こんな探り方では、何も言ってくれそうにない。
 ガウリイのポーカーフェイス、恐るべしっ!
 ……感心してる場合じゃないけど……。
 どうやら、この微妙な雰囲気は当分続くことになりそうである……。

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