Conflicts between survival and prayers
   〜断章 生存と祈り



 あなたが生き延びるためには人を殺さなきゃいけないの、と言ったのはママだ。
 ママは泣いていた。ママは泣き虫だ。
「お母さん」
 あたしは言った。あたしはママをお母さん、と呼ぶ。なんとなくそうしたかったからだ。
「どうしていつもお母さんはめそめそ泣くの? あたしが殺すよ。お母さんにしろなんて言わないよ」
「そうじゃない! そういうことじゃないの!」
 悲鳴のような声でママは言った。
「なにが違うの? 人を殺さなきゃいけなくなるから、あたしは死ね? そう言ってるの? そうは聞こえないけど」
「幸、あなたを死なせたりしない」
 ママは涙でいっぱいの目であたしをひたと見つめた。
 反則だ。
 こういう目をしたママに、あたしは逆らえない。
「あなたを守るためなら、あたしは鬼にでもなるわ。でも、覚えておいてちょうだい。あなたはあたしと、他のたくさんの人たちから血を吸って生きているの。それを当たり前のことだと思わないで。『痛み』を理解して、幸」
「……」
 自分は化け物なのだ、と、そう言われているようにしか思えなかった。生きるために殺すしかないなら、いちいち痛みを感じていられる? いちいちママの、犠牲者の、涙を思いだしてられる?
 そんなことをしてたら、死にたくなっちゃうわ。
 その手を血で真っ赤に汚してるくせに、ママはどうしてこうもお人好しなんだろう。ことあるごとに泣いていられるのだろう。それが『ギゼン』だとは思わないのかな?
 あたしはあたしの前に視線をそろえて膝をついているママをくだらないと思い、ふいと目をそらした。
 林の中に立てられたこの小屋のような家は、けして広いとは言えない。中でも生活に使ってる部分は決まってるから、一目で見渡すことができる。
 ママから目をそらしたあたしは、部屋の隅にある椅子に腰掛けているとんでもなく背の高い男の人に目をとめてしまった。
 彼は、昨日あたしが連れてきた。
 普通なら殺すところだったんだけど、あたしがママに言いつけられてるのは、『優しくされたら殺しなさい』ってことだった。彼は全然優しくなかった。それで連れてきたのだ。
 ママが力を使って動けなくしてるけど、殺す気はないらしい。そこにおもちゃみたいに置かれてた。
「殺すなら……リンを殺しちゃえばいいんじゃないの? 早いよ」
「幸! やめてちょうだい!」
 あたしは肩をすくめた。

 家の外は林になってる。
 近くには村があるんだけど、あたしは行ったことがない。ママも行かない。小さな村だからよそものに敏感なのよ、とママは言った。まずいことをしてるあたしたちには行きにくい場所なようだ。
 あたしは生まれてからまだ少ししか経ってないから仕方ないけど、ママも村ではよそものらしい。
 あたしはうさぎを抱いて家の外にある切り株に座った。
 うさぎはかわいい。
 あたしが生まれる前からうちにいたうさぎなんだけど、とてもかわいい。
「うさぎ、あんたはあたしの人形よ」
 あたしはうさぎの真っ黒な目をのぞきこんでそう言ってやった。
 うさぎはうんともすんとも言わない。ぬいぐるみなんだから、仕方ない。
 あたしはうさぎの口に指をかけ、思いきり引っ張った。
『わかってるよ、ユキ』
「わかってるならいいのよ。一緒に人を殺しましょうね」
『そうだね』
「あたしが生きるためには、人を殺さなきゃいけないんだって。ママが言うのよ。勝手な話よね、勝手にあたしを産んでおいて、死にたくないなら人を殺せ、でもそれを痛いことだと思えって言うのよ」
『ユキは死ぬ方がいいかい』
 うさぎの口を使って言ってみて、あたしは少し考えた。
「ううん」
『どうしてだろう?』
「どうしてだろう?」
『ママが嫌いかな?』
「ママが嫌いなのかな?」
『ユキが死んだら、何がどうなるんだろうね』
「どうなるんだろう、何か、変わるのかな?」
 あたしは考えてみた。だけど、よくわからなかった。
 ママの涙だけ思い出した。
『ママが泣くね』
「……」
『ママが泣くから、生きなきゃね』
「……勝手な話よね」
 ママはあたしを勝手に産んだ。そして、あたしを失いたくないと言う。そう言いながらあたしが手を伸ばしても、その手を振り払う。
 人にさわっちゃダメ、そう言って怖い顔をする。
 それでもあたしに、生きて、と言う。人を殺してあたしが生きて、と言う。ママの考えも、ママの都合も、全部平気であたしに押しつけるのだ。
「あたしはママの人形みたい」
『その代わりに僕は、ユキの人形だよ』
「もちろんよ」
 結局、文句を言ったところで、やることが変わるわけではないのだ。
 あたしはうさぎを腕に抱えて、家に戻ることにした。
 玄関から続く嫌いな廊下を抜けると、目の前が居間になっている。たいてい、うちの人たちはここで生活してる。
 居間の入り口になるガラス戸の前に立つと、中の話し声が聞こえて、あたしはなんとなく立ち止まった。
「ごめんなさい」
 ママがまた泣いていた。
 リンは椅子に座ったまま、床の上のママを見ていた。もっとも、立ち上がりたくてもできないだろう。縛られているわけじゃないけど、ある意味ではそうだ。
 リンはもう、人形になりかけている。すでに体は人形のようなものだ。そのうち心もそうなるだろう。
「幸には血がいるの。分かってるわ、罪だって。こんなこと許されるはずないって。でも、血がないと、人間の血に流れる力がないと、あの子は生きていけないの」
 まだしゃべることくらいはできるはずだったが、リンは何も言わなかった。
「あなたを死なせるつもりはないわ。本当は誰も、死なせたくなんかない。死なせたくない……」
 今まであたしたちが一体何人殺してきたと思っているんだろう。
 なのにママは、また泣いた。
 『ごめんなさい』と言って、泣いた。
「身勝手な言い分ですね」
 低く、静かな声でリンが言った。
「分かっています」
 ママはリンの手を握って崩れるように膝をついた。リンはそれを静かに見下ろしていた。ママはきっとリンが好きなのだ。あんなこと、あたしにもしてくれたことはないのに。
 あたしはなんにも言わないでもう一回外へ出た。
 勝手にすればいい。
 どうせあたしはママの人形だ。
「でも、うさぎ、あんたはあたしの人形よ! あんただけはあたしの好きにしていいのよ!」
 うさぎは笑ってるような泣いてるような変な顔をしたままあたしの言うことを聞いていた。
『うん、そうだね』
「だったら笑いなさいよ、こういうときくらいあたしに優しくしなさいよっ!」
 あたしは動かそうともしないうさぎの小さな口を力いっぱい横に引っ張った。
 ビリッ、と嫌な音がして、うさぎの口から白い綿がのぞいた。
 うさぎはあたしの手の中で笑っていた。
 あたしはびっくりし、それから声をあげて笑った。
「あはははは、あんた、笑えるんじゃない。上出来よ」
 うさぎは、口元だけ笑っていた。目は相変わらずよくわからない変な目のままで、あたしを見ている。
『僕はユキの人形だから、何をしてもいいよ』
 うさぎは言った。素直でいい子だ。
『でも、僕を愛してね。抱きしめてね。僕はユキのためだけに生まれた人形なんだから』








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