the doll maker
   〜第四章 人形師



1、

 あらかじめジョンが止めておいたタクシーに、綾子とジョン、そしてナルと麻衣が分乗した。2台のタクシーはそのまま綾子の家へ向かう。始めから打ち合わせてあったのだろう、手際がいい。
 一度シートに座ってしまうと貧血がぶり返してきた。ぐったりしてしまった麻衣は、背もたれに体を預けて目を閉じる。そのままナルの質問に答える形でぽつぽつと向こうの様子を伝えた。
 麻衣の憔悴を見たナルは、少し首を傾けた。
「ただ疲れたというわけでもなさそうだな」
「ん……一気に血を抜かれたから貧血起こしてるんだと思う」
 ナルはちらりとタクシーの運転手を見て、うなずいた。
「向こうについたらくわしく聞く」
「うん……」
「まだしばらく働いてもらう。具合が悪いなら今のうちにできるだけ休んでおけ」
 麻衣はかすかに目を開け、ナルの顔をうかがった。
 感情の見えない静かな目が、道路の先のほうを見ている。
「……もたれてもいい?」
「どうぞ」
 そっけない返事に少し躊躇したが、一度口に出してしまったし、と覚悟を決めてナルの肩を枕代わりにする。体が動きにくいせいで、ひどくだるい。骨ばったナルの体でも、シートよりは大分マシだった。
 これが真砂子でも綾子でも、同じようにしてやっただろうか、そんなことを麻衣はぼんやり考えた。
「リンは、彼らの仲間か」
 唐突にナルが言った。
 リンがどうでもいいわけではないのだ。麻衣は閉じたまぶたに力を入れた。
「……彼女に捕まったのは、確か。でも、仲間といえば仲間なのかも、しれない……」
 ナルは答えない。
 麻衣は沈黙の後にゆっくりとまぶたを開ける。目線をあげると、ナルの整った横顔にぶつかった。そうしてタクシーが止まるまでの時間、彼の真っ直ぐな眼差しをじっと見ていた。



 タクシーを降りると、落ち合わせる予定の綾子の部屋には問題なくたどりついた。
 ぽつぽつと電気も消え出したマンションに入り、綾子の部屋のドアフォンを押す。一秒も待たない内にばたばたと人が動く音がした。
「麻衣っ!」
 真っ先に飛び出してきたのは綾子だ。
「アンタ、ほんとにもう、心配したのよ……っ」
 むっとする化粧の匂いに抱きしめられ、麻衣はふらついた。
「綾子ー。病人をいたわれー」
「いたわってるでしょ!」
「タックルしないでほしいです……」
 かわいくない、と綾子は麻衣の頭をはたいた。
 玄関に出てきていた滝川やジョンにもねぎらわれ、麻衣は部屋に入ってすぐソファに横にならせてもらった。まだ体が本調子にならない。
 綾子が麻衣の額に手を当てる。
「なんか欲しいものある?」
「ママ、何か食べたい……。おなかすいた……」
「はいはい」
 いつもなら「誰がママよ」と怒る綾子だが、心配そうに台所に向かってしまって文句も言わない。麻衣は微笑んだ。そういうところが綾子だ。
 麻衣は横になったまま、部屋の中を見回す。昔一度だけ来たことがある綾子の部屋は、ちっとも変わっていなかった。部屋がジャングルじみて見えるのは、所狭しと並べられた観葉植物のせいだ。植物の隙間に座っている面々が窮屈そうに見えるのは、植物の占有している面積が人間のそれよりも多いからだろう。
 ナルと滝川が麻衣を囲むように床に座って、ミーティングがはじめられた。真砂子は壁にもたれるように座っている。麻衣はその経過を知らないが、滝川が家から運び出してきたのだった。
 安原がいないことには気がついたが、どこかに調査に行っているのだろうと予測がついた。
「それで?」
 ナルに促され、麻衣は見たもの聞いたものを詳しく語った。心配をかけまいと自分の話ははぶきがちに、恵菜やリンのことを説明する。
 恵菜やリンが話していたこと、二人の様子。そして動きを封じられて血を抜かれ、それがユキに渡されたこと。恵菜が逃がしてくれようとしていたこともだ。
 麻衣の話をしかめっつらで聞いた面々は、話が終わって顔を見合わせた。
「動けなくなったって、真砂子ちゃんみたいにか」
「真砂子?」
 麻衣は首をひねって壁際を見る。普段から人形じみた姿の真砂子だが、力なく壁にもたれているその様子は、まるで本当に等身大の日本人形のようだった。
「自宅で横になったまま動けなくなってたそうだ。綾子が見つけて、俺がここに連れてきた。ユキとかいう子供に会ったらしい」
「大丈夫?」
 真砂子はかすかに口元を動かす。微笑もうとしたらしい。
「まだあんまり動けねぇみたいだな。最初はこれくらいもできなったらしいが」
「あたしはそこまでじゃなかったよ」
「のようだな」
 麻衣は少し考えて思い出す。
 もとより動きの少ないリンだが、あの居間でじっと腰掛けていた様子は、今の真砂子に共通するものがないだろうか。
「リンも体の自由を奪われてんだな」
 口に出してみると、滝川が得心したようにうなずいた。
「でも、リンさんはちゃんとしゃべってたよ。声が聞こえてた」
 滝川は首をひねる。
「麻衣は術のかかりが浅かったってことで納得がいくが、リンはもうずっと向こうにいるはずだろ?」
「僕たちの情報を流したのも、きっとリンさんでおますよね」
 ジョンも不思議そうにする。
「女と一緒に買い物に行ってたって話もあるぜ」
「原さんはまだほとんど口が動かないですのに、リンさんは普通に話してはったんですよね」
「なんだぁ?」
 ナルは黙ってファイルにメモをとっている。
 綾子が簡単につまめるものを作って台所から帰ってきた。ほとんどは麻衣の前に置かれるが、全員が取れるような大きな皿も持ってきて床に置く。
「簡単なものしか作れなかったけど、食べなさい」
「きゃあ、ありがとー、ママ」
「感謝しなさい」
 綾子も手をふきながら一緒に座った。
「お前、この深刻な話をちゃんと聞いてたか?」
 滝川が呆れたように言う。綾子は胸を張った。
「聞いていたわよ。あのねぇ、リンならアタシが行った時玄関まで出てきたわよ。もちろんしゃべってたし」
「おかしなところはなかったか?」
「いつも通りに見えたけど? 妙なことは言ってたけどね」
「妙なこと?」
「あいつらに味方するようなことよ。びっくりしちゃったわ」
 麻衣も同意を込めてうなずいた。
「あたしにもそんな風に見えた」
 滝川は顔をしかめる。
「選択の自由はないみたいなことを言ってたから、捕まってはいるんだと思うけど……もしかしたら」
「心情的にはあちら側にあるのかもしれない」
「うん……」
 苦く笑って、滝川は無理にも声のトーンを上げた。
「ま、拘束されてるのはされてるとしよう。その女は、体の自由を奪う術が使える。でもってそれは好きな時にかけたり解いたりできるわけだ」
「何もしゃべらないとおっしゃる、被害者の家族の方も……」
「同じ術だな」
 全員がなんとなくため息をついたとき、ふいに電話が鳴った。いつも通り滝川の携帯だ。
「はい。……おお、少年。……ああ。……なるほど。……少年、聞こえにくいんだが。……もしもし? もしもし?」
 滝川は耳から携帯を離し、肩をすくめる。
「切れた」
「かけ直してみれば」
 綾子が呆れたように言う。滝川はもちろんすぐにリダイヤルボタンを押した。
 しかし、つながらない。
 一同がなんとなく黙って滝川の電話を見守っていた。
「……だめだ。つながらん。後でかけてみるわ」
「それで、安原さんはなんと?」
 滝川は一同を見渡した。
「ナル坊が頼んだ調査の結果だ。ユキの母親の正体が分かったかもしれない、と」



 安原は唐突に切れた電話を見つめた。
 耳から離してディスプレイを確かめるが、電波状況を示す棒は最大の三本立っている。もちろん、ディスプレイが映っているのだから充電切れの線もない。何かしらの電波障害が起こったのだろうか。
 特に移動中というわけではない。だが図書館の駐車場にいるので、通りがかった車に何かしらの問題があった可能性はある。
 リダイヤルのリストを表示して、もう一度滝川にかけてみた。だが空しくコール音がするばかりで、相手が出る気配はない。話の途中で切れたのだから、コールバックを待っているのが普通だろう。安原は首をかしげた。
 会話の最中に電話が切れた場合、双方がかけ直そうとして結局行き違うということはよくある話だ。だが、その場合話し中の音が流れるものである。呼び出し音はしていて相手が出ない、という状況は想像がつかない。
 何度かかけ直し、あきらめて他のダイヤルメモリを呼び出すことにした。
 東京のメンバーたちは綾子の家に集まっていると聞いた。綾子の自宅番号はメモリに入っている。呼び出して、通話ボタンを押す。
「……なんだ?」
 やはり、相手は出ない。
 何か、よくないことが起きたのではないだろうか。突然電話を切り、その後呼び出しに応じられなくなるような何か。
 悪寒が走り、けしていい部類のものではない震えが起きた。
 安原は次々にメモリを呼び出して電話をかける。
 事務所、麻衣の自宅、滝川の自宅、安原自身の自宅。綾子と真砂子の携帯。携帯を持っているのは滝川の他にこの二人だけだ。だがどれも呼び出し音がするばかりで返答はない。ジョンの下宿先と、真砂子の自宅にもかけたが、これも返答がない。
(そんな馬鹿な)
 安原は瞬いて手の中の携帯を見つめた。
 他の場所はともかく、ジョンの下宿先や真砂子の自宅には他の人間がいるはずである。外はすっかり暗くなっており、いい大人があまりふらふらと出歩く時間とも思えない。誰か出ていいはずだ。
 もしかしたら携帯の方の問題かもしれない。
 思いついた安原は、近くの公衆電話に走った。
 携帯のディスプレイに呼び出したメモリダイヤルを見ながら、再び一軒一軒電話をかけていく。
 しかし、誰一人として彼の呼び出しに答えるものはいなかった。
 彼はひどく奇妙な気分に襲われ、抱えていた資料を強く握った。事件の核心に近い場所にいるのだ、ということを強く意識した。



 それで、とそっけなくうながすナルの声に、滝川はうなずいた。
「ほんの一瞬で切れちまったからほとんど話は聞けなかったんだが、少年によると村長が渡してくれた資料の中に、連続殺人以前の殺人事件がのってたらしいんだ」
「以前の殺人? 同一犯じゃないってこと?」
「ま、たぶんな。俺も知ってる事件だが、確か犯人は死んでたはずだし」
 滝川は、あぐらを組んだ足の上にどっかりと両手を突く。
「被害者は森野恵菜、二十七歳の女性だそうだ。聞いた覚えがないか?」
「知ってる、それ……」
 呟いたのは綾子だった。
 麻衣は、恵菜、という名前にそれが確かにあの女性のことだと悟る。
「あれって、九具津村関係の事件だったわけ?」
「なんじゃねーの、村長がわざわざ資料を入れたんだから」
「意外と記憶って曖昧なもんね。あれだけ話題になったのに」
「聞いたような覚えがあるが。説明してくれないか」
 肩をすくめたのはナルだ。彼は日本語を読むことが得意ではないから、新聞も流し読みしているだけなのである。
 代表して話し出したのは、綾子だった。
「一時期、かなりゴシップのネタになった事件なのよ。今年の、二月くらいだったかしら?」
 綾子は顔をしかめるようにしてその事件を語る。
「殺人事件というより、無理心中事件だったわ。その森野さんて人は結婚して子供もいたんだけど、久保田って男が彼女に横恋慕したらしいのね。久保田は森野さんを誘拐、一週間の間自宅に監禁したあげく、殺しちゃったの。直後に自分も自殺してて、犯行動機は彼の手記から推察されたらしいわ。思い通りにならないから殺した、ってね」
「あ、その事件か。知ってる」
 麻衣もまた目を見開き、すぐに顔をしかめた。気持ちのよい事件ではない。
 久保田は三十を過ぎた立派な大人である。その一週間は無断欠勤していたらしいが、職にも就いていた。充分な学歴もあり、真っ当な社会生活を送っていた。平凡な男の唐突な凶行に、当時はかなりの週刊誌が騒ぎ立てたものだ。だが犯人も動機もはっきりしていたため、うわさ話は大した時間もかからず消えていった……。
「犯人の久保田の家からたくさん人形が発見されてね。彼女のことも人形扱いした男って、フェミニズムブームを受けてかなりたたかれたもんよ」
「人形扱い……」
 引っかかるフレーズに、麻衣は綾子の言葉を繰り返していた。
 どこかで聞いた言葉だ、と思い恵菜のセリフを思い出す。
(人形にはならない、って確か恵菜さんは……)
「麻衣、原さん」
 ぴしりとした声を出したのはナルだった。
 刺すような視線を受けて、麻衣は横になった姿勢のまま体を緊張させた。
「ユキの母親とは、森野恵菜に間違いありませんか」
「間違いない」
 麻衣ははっきり答えたし、真砂子も不自由な頭を多少心許なげながらうなずかせた。
「ユキの母親は、半年前に殺された森野恵菜……なら、ユキは?」
 核心をつく問いに、麻衣は体を固くした。
(なら、ユキちゃんは?)
「恵菜さんは、ユキちゃんを生んだって言ってたよ……」
 寝室で聞いていたリンと恵菜との会話を思い出しながら、麻衣はそう告げる。
「じゃあ、夫との間に生まれた実の娘か。そう考えるのが自然だな」
 綾子も曖昧にうなずく。
「恵菜が死んだことを分かってないってこと?」
「理解していないのかもしれないし、もしかしたら知っていて受け入れているのかもしれん」
「まあ子供って柔軟だしね」
「 馬鹿 」
 滝川と綾子の会話をナルがさえぎった。
「なによお」
「ユキのために恵菜は麻衣の血を抜いた。普通の子供に血が必要か? ヴァンパイアじゃないんだ、人間の血をどうする気だ」
「……そうか」
 部屋の中に重い空気が流れた。
「……ユキちゃんも、人間じゃない……」
 普通に笑っていた。普通に話していた。母親の愚痴を言い、ぬいぐるみをかわいがっていた。
 あのユキが、人間ではない。
 麻衣は黙って目の前の皿に盛ってある料理を口につめた。
「恵菜が生んだ、人間じゃない、恵菜には子供がいた……」
 滝川が呟く。
「情報が足りないぜ」
 滝川が取り出して再びコールした電話の音が、部屋にやけに響いた。
 しかし、まだ安原は出ない。
「村長にかけてみるか」
 滝川は、鞄から手帳を取り出してそこに書いてある番号に電話をかけはじめた。だが、これも相手が出る気配はない。
「……だめだな」
 見守っていたナルがため息をついた。全員が同じ気持ちだった。
「……ねえ、恵菜は何が目的なのかしら?」
 唐突に綾子が言った。
「何って」
「だって、恵菜を殺した男はもう死んでるし、恵菜自身も自分が死んでることを分かってるんでしょ? これだけはっきり動いてるんだから」
「まあ、幽霊になるって言うと復讐のためか自分が死んだことを分かってないって言うのが一般的だが」
「ユキさんのためと違いますやろか」
 困ったように微笑んだのはジョンだ。
「本物の人間じゃなくても、恵菜さんにとっては自分のお子です。ユキさんのことが心残りでこの世に残ってらっしゃるんと違いますか」
「うん、恵菜さんはユキちゃんのことすごく気にしてるみたいだった」
「リンにも執着してるみたいだったけどね」
 口を添えたのは麻衣と綾子だ。
「自分の子供と、リン……?」
 滝川が眉を寄せた。
「家族か?」
「あ!」
「そうですね」
 滝川の思いつきに面々が顔をあげる。それは、ひどくありそうなことだった。
 しかしナルは一人憂鬱な顔をする。
「家族?」
「何? 何かおかしい?」
「失った家族を作り直すために、人をさらい、術をかけて拘束し、罠を張って血を集めるのか? そんな周到な霊は聞いたことがない」
「でも……」
「その考え方は悪くない。ただ、そうすると恵菜は霊じゃないな。……鬼だ」
 鬼、と麻衣たちは口々に呟いた。
「そうするとつじつまは合うな。同時に何人もの人間を術にかけ、それを継続するほどの力があることも。はっきりとした思考を持ち、ずっと実体を保っていられることも」
「鬼は人に化ける。大勢の人間を化かす。そういうことか?」
「そう」
「鬼……生きているが人間でもない子供……まさか」
 滝川は凍ったような声で呟いた。
「まさか、何?」
 麻衣はずいぶん回復した体をソファから起こす。滝川はひどく白い顔色をしていた。
「鬼は人を作る、という民俗信仰がある。人の死体から骨を集め、それを人の形に並べて魂を吹き込む。そうしてできた人間は、百日経つとほぼ本物の人間と変わらないという。……恵菜が鬼で、恵菜が生んだのがユキなら、それは殺された子供たちの骨を集めて作られた人間かもしれん。言ってみるなら、人造人間だ」


 誰もが押し黙った。
「……浄霊してあげることって、できないかな?」
「難しいだろうな」
 言ったのは、堅い顔をして報告に目を落とすナルだ。
「彼女は死を恨んでいるわけでもないし、恨もうにも犯人の久保田はもう死んでいる。ただ子供に対する執着でこの世に残っているんだ」
「だろうな。そうなると、除霊するのもかなり厳しいぜ。何人もの人間を同時に操る力の持ち主だ。リンならともかく、俺らでは手に負えないな」
「さいですね……」
 滝川が厳しい目をして言うのに、ジョンも同意して床をにらんだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 麻衣は思わず声を上げていた。
「手に負えないって、リンさんは? リンさんはあそこにいるんだよ? あきらめるわけ?」
 滝川は何も言わない。
「ナル!」
 麻衣が驚いて目を見開くと、滝川はちらりとナルを見た。
「見捨てるにはまだ早い、よな? ナル坊」
「リンを助けるために僕らが全滅してはしょうがない」
「ナル!」
 麻衣を冷たく見てから、ナルは低く続けた。
「だが、こんなふざけた真似を見逃すわけにはいかないな」
 ほっと息をついたのは麻衣だけで、滝川はさらに厳しい顔をした。
「……聞きたかないが、何を考えてる、ナル坊」
 ナルは不穏な笑みを浮かべた。
「ぼーさんの意見を先に聞こうか」
「不肖滝川としちゃ、ナルちゃんの画期的な突破策に期待したいね」
「僕の考えは、正攻法では勝てそうにない、ということですよ、滝川さん」
「俺の考えも、同様だ」
 滝川はため息をつき、他の顔を見回した。麻衣や綾子はきょとんとしている。真砂子は相変わらず口をつぐんだままだ。
 優しい顔を曇らせたジョンと視線が合い、滝川は苦く笑った。
「ジョン?」
「……僕は……どうすればいいのか……わからないです」
 そう言ってジョンは胸の十字架をにぎる。
「生きてはるお人が大事、と思います。でも……ユキさんは……生きてはる。ユキさんはきっと作り主がいなくなったら生きてられないと、思います……」
「それは……」
 麻衣ははっとした。
 ユキは造られた人間だと、滝川は言った。けれど、百日がたてば本物の人間と区別するものがなくなるのだ。その程度には生きているのだ。これからの人生を生きていくことが出きるのだ。
 その母親を、消してしまおうとしている……。
 その父親を、奪おうとしている……。
 その人生を、奪おうとしている……。
「ナル」
 ジョンの言葉に落ちた沈黙をさえぎり、滝川が先を促した。
「それでも、お前さんはあきらめないつもりがあるんだろ」
 ナルは黙って肩をすくめる。
「お前さんの策ってやつを説明してもらえないかね? 俺は、俺の気持ちは、あきらめるにはまだ早い」
 静かな顔を上げて、ごく当たり前のことのようにナルは言った。
「単純なことだ。これから戦おうというときに、敵に知られてはいけないものがある。僕らは恵菜のそれを知っている」
 麻衣は首をかしげた。
「知られてはいけないもの?」
「自分の弱み。恵菜のそれは、ユキだ」
「うん……?」
 それが何を意味するのかわからず、麻衣はさらに深く首を傾けた。
 ナルは厳しい目で彼女を見た。
「なぜ知られてはいけないかくらいわかるだろう」
「それを利用されると困るから、じゃないの?」
「そういうことだ」
 えー、と麻衣は口をとがらす。
「それじゃわかんないよ。ユキちゃんを利用すればなんとかなるってこと?」
「わかってるじゃないか」
「わかんないってば。具体的に説明してよ」
 ナルは固唾を飲んで見守る面々を見渡した。
「まずは、リンだけ放してくれるよう説得してみる。母親という立場上、倫理を説けばわかってもらえるかもしれない。これで駄目なら、ユキを人質に取る」
「ちょ……っ」
「人造人間は、まだ人間ではない。何か弱点があるはずだが……ぼーさん?」
 滝川はほとんど無表情に近いほどのきつい顔で答えた。
「百日たたない人造人間は、体の定着がひどく弱い。強い力を入れられればすぐに壊れてしまう。人体の脂にも弱い。皮膚の接触で溶けてしまうと言われている」
「ふれることくらいなら不可能じゃないな」
 ナルが肩をすくめるのに、麻衣は跳ね起きた。
「ユキちゃんは生きてるんだよ? 本気なの!?」
「恵菜が消えればどうせ生きていられない」
 麻衣はユキの笑顔と、ごめんなさいと顔をゆがめた恵菜を思い出し、肩を抱いた。鬼というには、恵菜は優しすぎ、作られたものというには、ユキは『生きて』いすぎた。
「……やっぱり、除霊するのね」
 綾子が震える手を口に当てる。
「恵菜は除霊する」
「見逃すわけにはいかないの」
「見逃す?」
 ナルは冷たく笑った。
「なるほど、あなたがたはリンを助ける気はないわけだ」
「リンが、言ったのよ。恵菜を見逃してくれって」
「……リンが?」
「アタシのお芝居に合わせてくれたからそういう言い方はしなかったわ。でもそういう意味だったと思う。自分のことは忘れていいって。無理に助けようとするなって、そう言ってたわ。恵菜が強いことも知ってるんだと思う」
 滝川たちは困惑したように顔を見合わせた。
 麻衣はリンたちの会話を鮮明に思い出す。
(『あなたを恨んだことはありません』……)
「リンは恵菜側にいる、とそう言いたいわけか?」
「そういうことに……なるかもしれないわ。たぶん、彼女の事情を知ってて協力してあげてるんだと思う」
「それで、リンの意思を尊重して放っておけと?」
「大事な人を殺される痛みくらい分かるでしょ?」
「リンの命は保証されるのか? 死人の伴侶になって生きていられるとでも?」
「アンタがリンの幸せを決めるの? リンの人生を決めるの? リンが決めることでしょ?」
「松崎さんがここで決めることでもありませんよ」
「ならせめてリンだけ助ける方法を考えましょ。ユキや恵菜は放っておいてもいいじゃない」
「リンが助かれば他の人間が代わりに犠牲になってもいい?」
「それは……」
 綾子は唇を噛む。
「手を汚したくないならけっこう。だが、僕は恵菜を野放しにする気はまったくない」
「本当に他の方法はないわけ?」
「問答は無用だ」
 そう言ったナルの袖を、綾子がつかむ。
「待ちなさいったら! アンタ、自分が何しようとしてるかわかってるの!? 生きてる子を、道具みたいに殺そうとしてるのよ?」
「他の方法があるなら、ぜひ教えてほしいですね」
 ナルは綾子の手をきつく振り払う。
「リンの気持ちは? せめて、それを確認してからじゃ」
「考慮に値しないな」
 麻衣はそれを見て、震えた。
 こんな光景をいつか見たことがある、と思った。形を変え、姿を変えて、何度もナルは人をモノみたいに切り捨ててきた。
「……無駄だよ。ナルは、あたしたちも駒みたいにしか思ってない。理屈でしか考えてないんだから……!」
 ナルはひどく冷たい目で麻衣を見る。
「大きな口を叩くのは、理屈を理解できるようになってからにするんだな」
「あたしはどうせ馬鹿だよ。でも、正しい事をすれば、それでいいの? 切り捨てられる人の気持ちはどうなるの?」
「その進歩のない考え方には感心するね。お前は結局リンに死ねと言っているんだというのが、いつまでもわからないようで」
 ナルは口を挟むこともできないでいる残りの人間を見回した。だが、誰も顔を上げようとはしなかった。
「これは頼みじゃない。協力しろ、と言っているんだ。僕のやり方に文句があるなら出ていってもらおうか」
「――アンタの家じゃないわよ」
 ナルは冷笑する。他の人間は動こうとしない。
「……なるほど、僕が出ていくべきのようだな」
 ナルは立ち上がった。
「あなた方には失望した。手伝ってもらおうとは思わない」
 そう言い捨てると、ナルはファイルと荷物を持って部屋を出て行く。腕を突っ張って起きあがり、麻衣はその背中を追いかけた。
「あんたの思い通りにならなかったら失望するの!? それって、恵菜さんを殺した犯人と何が違うっていうのよ!?」
 あと少しでその背中をつかめそうだった麻衣の腕は、ぎりぎりのところで振り向いたナルにひねりあげられる。痛い、と言った声は無視された。
「リンが殺されるのを見過ごすというなら、勝手にすればいい。だが、僕の邪魔をするならあなたがたでも容赦しない。それを覚えておいてもらおう」
 突き飛ばすように腕を放されて、麻衣はよろめく。
 力いっぱいつかまれた腕がひどく痛んだ。もう追いかけることはできなかった。


 ナルが出ていった後は、しばらく誰も動こうとしなかった。
 気まずそうにお互いから目をそらし、それぞれにタバコをふかしたり、マニキュアを塗ってみたり、ナルやリンの話にふれようとする者はいなかった。
 麻衣はもとのソファに戻り、ほとんど手をつけていなかった綾子の料理を黙々と食べた。食べるたび体力は目に見えて回復していったが、味はほとんど感じなかった。
 黙って食べているうちに泣けてきて、麻衣は泣き出さないように料理を口につめこんだ。そうしたらむせてしまって、涙がにじんだのをごまかせた。
 なぜ泣けるのかも、よくわからなかった。
「麻衣さん、だいじょうぶですか?」
 心配そうにジョンにのぞきこまれて、麻衣は笑って見せた。笑えることが不思議だった。
「綾子、水もらっていい?」
「ああ、入れてくるわよ」
 じっと座っていられないのだろう、綾子はいつになく親切に台所に立った。
 綾子から水の入ったグラスを受け取り、それを飲んで、麻衣はまたにじんできた涙をごまかすように立ちあがった。
「トイレ借りるよー」
「場所わかるわよね」
「うん」
 逃げるようにバスルームに入って、洗面所と続きになっているトイレに行き、麻衣はリビングに出て行き難くなって洗面台に手をついた。
 バスルームの扉は閉ざされている。ここなら声は聞こえないだろうと思い、声を殺して涙が流れてくるのに任せた。
 信じては裏切られるような、そんな絶望的な気分だった。
 ナルを信じることにも反抗することにもだんだん疲れてきて、涙だけあふれてくる自分がいる。リンと恵菜の言葉がぐるぐると回って立ち上がる気力を根こそぎ奪っていった。
 そうして、どれくらい泣いていただろうか。
「……麻衣」
 ふと呼ばれて、麻衣はあわてて涙をふく。
 きょろきょろと辺りを見るが、バスルームの扉が開いた様子はなかった。首をかしげたとき、目の前の鏡が黒く染まっていることに気がついて、麻衣はびくりとした。
「麻衣、聞こえない?」
 声はポケットの中から小さく響いてくる。
 その聞き覚えのあるトーンに気付いて、麻衣はあわててポケットに手を入れた。そこには、小さな手鏡が入っていた。


 やけに時間が経って洗面所から出てきた麻衣があまりにきっぱりとした顔をしていたので、滝川はタバコを灰皿において少し彼女の顔を見つめた。
「あたし、行ってくる」
「どこへ……?」
 誰ともなく問いかけるのに、麻衣ははっきりと答えた。
「ナルのところ。あたしも、ナルを手伝う」
 困惑が、一同を駆け抜けた。
 滝川はタバコをもみ消し、立ちあがった。
「待て。今、護符を作る」
「ぼーさん」
「お前らは二人とも除霊能力はないだろう」
 荷物をごそごそやりだした滝川の背中に視線が突き刺さる。
「……もう少し時間をくれ。俺はまだ、選べない」
 初めて、そんな風に滝川は素直な言葉をつづった。
 決意を込めた麻衣の姿に、滝川は彼女の強さを認め、出会って初めて対等な相手として向き合っていた。
「うん、待ってるね」
 そんな風に麻衣が答えたのが聞こえた。








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