アリスのお茶会

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罪を犯すもの 第三章 4

 そして、夜が来た。
 魑魅魍魎の跋扈する舞台は決まって夜。護衛部隊と化したメンバーは、麻衣を囲む形で部屋割りを組み直した。
 真砂子と綾子が麻衣と同室、男性陣はその両脇の部屋につめる。念のためインカムも置き、何かがあった時にはいつでも駆けつけられる体制を取った。
 夜がふける。
 夜は闇の領域に属するものだ。
 調査中、麻衣はよく夢の中でジーンに会う。ほとんどいつもと言ってもいい。そうして調査の助言を聞いてはナルに報告するのが麻衣の仕事のひとつと言えたのだ。
 それをいつも心待ちにしていたのに。
 麻衣はジーンに会わない。
(もう、会わないって言ってた)
 うとうととしたまどろみから目覚め、両脇に眠る友人たちを見、麻衣は闇にとらわれる。心の闇にとらわれる。
(ホントに、会わないんだ……)
 これ以上確認するのが辛くて、麻衣は眠りから逃げ出した。
 ぼんやりと夜が過ぎていくのを待つ。
 ねばつくような闇が、麻衣の意識を絡め取っていく。
『会いたい』
 胸の奥から、言葉が浮かんでくる。
『会いたい』

 トイレに立った麻衣は、玄関の前を通ってそこの鍵が開いていることに気がついた。玄関はもちろんのこと、家中の戸締まりはしっかりと確認したはずだ。まさかそんな基本的な見落としがあるわけはない。
 ドアを押さえて突然閉まったりしないよう気を使いながら、麻衣は外をのぞいた。外に張り出した大きなベランダには、明かりが灯っている。その回りを虫が飛びまわっていて、それに照らされた下には、人影があった。
 中と外を見比べてみてから、半信半疑麻衣は声をかけた。
「ナル……?」
 ベランダのチェアで何かを読んでいた人影が、顔を上げる。少し驚いた様子に、麻衣はほっとしてドアから手を放した。
「何してんの、こんな時間に」
「別に」
「資料読んでたの?」
 ナルは肩をすくめる。
「家の中だと音がよく響くから」
 彼なりに寝ている人間に気を使ったものらしい。そうなのだ、音は静かにしているとどこにいても家内中に響く有り様なのだ。
 近づいた麻衣は、彼のとなりのチェアに手をかける。
「ここ、いい?」
 どうぞ、というようにナルがジェスチャーする。
 向かい合う形に座って、麻衣は資料をながめる静かな瞳を見つめた。
「……昼間、ごめん」
 ナルが目を上げ、わずかに首をかしげる。
 麻衣が自分の頬に手を当てて見せると、ナルは目をそらした。
「……別に」
 何に腹が立ったのだろう、と麻衣は思う。
 少なくともナルを叩く前、麻衣は自分から手を伸ばそうとしていたのだ。それが、胸に小さな痛みのようにひっかかる。
 応えようと、していたのではないか? 
「夜、結構冷えるね」
「だから避暑地というんじゃないのか?」
「上着がいるほどだとは思わなかった」
 そして、イギリスは涼しいところだったと思い出す。
「イギリスの夏って涼しいんだよね?」
 当たり前の質問にナルは答えない。
「日本の夏ってナルには大変?」
 これにも、答えなし。麻衣は庭に植えられた木々の間から星をながめる。
「……ジーンも、ここ来て暑いと思ったかな。思っただろうな。中有って暑いのかな」
 前に、幽霊がいる場所は中有というと教えられた。
 ナルはさあ、というように肩をすくめる。
「僕が知ってるわけがない。麻衣は会ってるんじゃなかったか?」
「そうでした。暑くないなぁ、あそこは。温度が……ない」
 麻衣はジーンに会うあの闇の空間を思い出す。
「……今死んだら、私もあそこへ行くのかな」
 未練なら、ある。こうして死んで、彼に会えるものではないことくらい、ずっと幽霊に対峙する仕事をしてきた麻衣が知らないわけではない。その望みにとらわれて、それだけが存在の意味になる幽霊になって、玲の言う「罪を犯す」ことになるのだろう。
 ナルは膝の上に本を置いた。
「今は、死にたいと思うのか?」
「え?」
「昼間、自殺する気はないと言ったな?」
「……言ったよ」
「今は、そうでもないように見えるが?」
「そんな……」
 それはこともなげに言うことだろうか? 
 麻衣が死んだらナルはどう思うのだろう、と深く静かに麻衣は思う。本当に解剖するのかもしれない。それこそ、何の動揺もなく切り刻まれる彼女の死体を見て、さまよっている彼女の霊を除霊して、終わったことにしてしまうのかもしれない。
 死にとらわれた思考がめぐっていることに気がつき、麻衣は眉をひそめた。確かに、ある意味自殺を考えているのかもしれない。
「あたしが死んでも、ナルはかまわない?」
「馬鹿」
 ナルは本を閉じ、そばに置かれたテーブルの上に載せた。
「いいか、麻衣。霊は落ちている。お前はもしかすると強力な暗示のようなものをかけられているのかもしれない」
「暗示……?」
「そう。そう考える方が自然だな。霊をつけたのが、例の赤い着物の少女、鈴か? それに合わせて小西玲が暗示をかける」
 陰明師でもなく霊体でもない玲に人に霊を憑依させる力があるとは考えにくい。だが暗示なら、彼女にも可能だ。玲は相手の想い人を描くことで、何らかの力を及ぼすことができるのかもしれない。
「暗示というのは本来、人の良心を超える行動を起こさせることはできない。憑依はよほど深い場合それを可能とするが、霊は落ちているんだ。暗示は人に殺人や自殺を強要できない。だが、その欲望を実行に移させることはできる。もしもお前がどこかで死にたいと思っているなら、それが致命傷になりかねない。逆に言えば、絶対に拒否する意思があるなら、自殺はありえない」
(死ぬな、と言っているのだろうか?)
 おそらくそうなのだろう。
「分かったな」
「……うん」
 麻衣は彼を置いて死んでしまった彼の兄のことを思う。
 異郷の地で、彼の手の届かないところで死んでしまった兄に、彼は何の力も貸すことができなかった。死ぬな、と言うひまもなく、彼はその死だけを知って、日本くんだりまで死体を探しにくるしかなかったのだ。
 この人の目の前で死んでしまったりしてはいけない、と麻衣は思う。
 傷つける。
 『罪』になる。
 それでも死にたいとまで思ってしまうのが、恋の狂気的な罪悪かもしれない。 それでも死にたいだろうか、と麻衣は自問する。
(その答えは)

 死ななくちゃ。
 彼はあたしのものだと言ったでしょう? あたしは彼のものだと言ったでしょう? 
 あなたがいなくちゃ生きていけないと言ったでしょう? 
 その気持ちは嘘でしたか。一時の情熱でしたか。熱病のようなものでしたか。 家族よりも大事だと思って走ったのに、今さらどうするつもりですか。
 死にたいほど苦しいでしょう? そのはずでしょう。
 泣いて叫んで自分を傷つけて、その痛みが血が傷口が燃えるように苛んで口もきけなくなってのども裂けてそれでも治まらないくらい、心が痛いでしょう? 
 だから死ななくちゃ。それなら死ななくちゃ。
 あの人を求めて脈打つ血管を千切ってしまいましょう。あの人を探して打ちつける心臓を破ってしまいましょう。
 あの人を求めるだけの狂おしいこの心を終わりにしてしまいましょう。
「かわいそうな……」
 鈴を打ち鳴らして臨終の時を祝いましょう。

(――違う!)
 心の中に響く声を強く否定した時、足音が聞こえた気がして、麻衣は別荘を取り囲む林の中へ目をやった。
 部屋を出てどのくらいたったろうか。大した時間ではあるまい。二人とも立ち上がった記憶はないし、他のメンバーがこの暗い中ベランダより外へ出ているとも考えにくい。
 林の中に何か獣でもいるのだろうか? 
 しかし次の瞬間、背中から来たような奇妙な震えが襲い、麻衣はそんなことではないと確信した。
「ナル」
「どうした?」
「何か、来る」
 ナルはわずかに表情を変え、立ち上がった。
「なぜ」
 痛みに似た視線が麻衣を見るが、それは一瞬のことだった。
「中へ入れ」
「う、うん」
 林に背中を向けるのが怖くてもたつく麻衣に冷たい視線を送って、ナルは早足で扉に近づき、取っ手に手を伸ばす。
 光が間近で弾けた。
 放電のような音が耳を打ち、ナルの手が弾き飛ばされた。
「ナル!」
 慌てて麻衣がその手を取ろうとするが、ナルに邪険に振り払われる。垣間見えた手のひらがひどく赤くなっていた気がして、麻衣は息を呑んだ。
「何これ」
「おそらく静電気だな」
「うそ、こんなに?」
 厳しい目でナルが扉を見、林をにらむ。
 壁を叩こうとした麻衣の手を止めて、ナルはベランダの中央に近い方に出ていった。
「この闇の中で林へ逃げるわけにもいかない。閉じ込められてるのは家の中の人間じゃなくて、僕たちだろうな」
「あたしが、狙われてるの?」
「他に誰が狙われるんだ?」
 それはそうだ。ナルである理由はない。
 麻衣は、別荘の窓を見上げた。すぐそこに、仲間がいるのに。
「ぼーさん! 綾子! リンさん! ジョン! 真砂子! 安原さん!」
 大声で呼ばわるが、その声が中に届いているかどうかは分からない。普通なら、よろい戸が閉まっているとは言え聞こえないわけはないのだが。
「麻衣、鈴の音は聞こえるか?」
「聞こえないっ!」
 それどころではなく、麻衣は乱暴に怒鳴る。
「誰か!」
 ひどく冷静に、ナルは林の中に目をやっていた。
 近づく彼女たちの気配にどうしようもなくて麻衣は目をきつくつぶる。そうしてふと見ると、ナルはよろい戸の空いたままの台所の窓の前にじっと立っていた。
「ナル?」
 そのガラスの鏡の中に、女が映る。白い服を着た、優しい表情の女。
 麻衣は弾かれたように振り向く。真後ろに闇から産まれ出てきたような白い服の女性がいて、小刀のようなものを胸にかまえていた。
「ナッ、ナウマクサンマンダバザラダンカン!」
 不動明王呪を唱える。白い軌跡が見えた気がして、次の瞬間には女が後ろへともんどりうって倒れた。
(どうしよう、傷つけたくない……!)
 林が作る闇から、泡のように女たちが現われる。街頭もなく、近くの家もない別荘地では、一寸先が闇である。どこから何が現われても、気がつかない。背にした別荘以外の三方を闇に囲まれて、麻衣は震えながら剣印を結んだ。
 いつのまにかすべるようにナルが麻衣の前に立つ。
(除霊してしまわないで、ナル!)
 除霊は有無を言わさず殺してしまうことだと、前に真砂子が言った。真砂子と麻衣以外には、霊を除霊せずにあの世に送ることができない。
 彼女たちは、麻衣も真砂子もなっていたかもしれない、悲しみのとらわれびとなのだ。

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