罪を犯すもの 第四章 3
あたしの村に飢饉がきたのは、十三の時だった。
それは、すごく長い飢饉だった。少し良くなってはまた飢え、あたしたちはもうずっと疲れ切っていた。
始めは老いた方が殺されていった。
昔語りの婆はもう早くに弱っていたから、気がついたら家にいなかった。食べ物を与えられなかったのかもしれないし、山に捨てられたのかもしれない。
鳴山では弔いの鈴が鳴りっぱなしだった。
婆が死んだから、誰もあたしに鳴山の話をしてくれなくなった。時の帝が人を殺してはいけないと言ったのだよ、と言ってはくれなくなった。村には、人死にが出た時にお互いを傷つけ合う野蛮な風習だけが残った。追いかけて新たな死人が出ないようにするために、体を傷つけるだけで止めときましょうね、という意味で行われる儀式だということを、もうみんなよく知らなかった。婆が死んだから。
食べ物がないから、人は少なければ少ないだけいい。
あたしだってそう思う。
守られるだけの赤んぼが死んだ時なんか、あたしだって悲しくない。笑えないけど、悲しくはない。
かわいそうだと思う。そういうことを考えてしまう、あたしが。この時代が、かわいそうだと思う。でも止まらないのだ。
そうしてるうちに、あたしの番が来たのだった。
親を裏切ってしまったし、村を裏切ってしまったし、あの人は死んじゃったし、あたしを守ってくれる人なんかもういなかった。ああ、あたしの番だな、と思った。こんな風に犠牲を出して生きていたら、いつ自分がそうならないとも限らないと、あたしは知っていた。
死ななくちゃな、とあたしは思った。
弔いでは、一番に親しかった人が一番傷つけられる。親か妻がたいていの場合そうだ。もともと妻が死ぬ風習からきたものだから、それは仕方ないだろう。あたしは悲しいです、と泣いて訴えながら自分の体を切り刻む。死にたいほど悲しいです、と言いながらその通りする。誰かが止めてくれるまで、する。
今、誰があたしを止めてくれるだろうか?
きっと、誰も止めてくれないだろう。
あたしがそう思ったように、死んでしまえと思うのだろう。食いぶちが減るから。
あの人が死んだから子供も産めないし、他へも嫁げないし、あたしは本当に役立たずだとよく分かっていた。親だって村だって、勝手に嫁に行こうとした娘の面倒なんかもう見たくないだろう。その相手が結婚前に突然死んだからって、同情なんかしてくれないだろう。
死ななくちゃ。
そうしたらあの人にまた会えるはずだし。生まれ変わってまた会えるはずだし。もう反対なんかされないし。あの山も越えられるし。二人で好きなところへ行けるし。
死ななくちゃ。
そう思っていたから、お弔いまであたしは怖くなかった。刃物を握るまで、怖くなかった。
鈴が鳴り響いてあの人を弔う心にもないお葬式の中、村人たちがみんなあたしを見守っていた。役立たずの娘を見つめていた。
あたしは刃物で腕をなでた。ものすごく痛かった。死ぬほど熱かった。
「怖い!」
あたしは叫んだ。
「あの方に会いとうございます。あの方に会いたい!」
誰があたしを殺したのだろう。あたしじゃないことだけは確かだった。
ははさまじゃないといいなと思う。ととさまでもないといいなと思う。
かわいそうな、……。
しゃららららん。
鈴がこっそり山を越えたのは、十五の時だった。
その頃になるともう親も四六時中見張っているわけではない。抜けだそうと思えば、その機会はいくらでもあった。
親の目を盗んで一心に泥まみれになって鳴山を登り、頂上の草をかき分ける。 しかし、鈴が見たものは、どこまでもまだまだ続く山の稜線だった。
都は遠いのだ。
なんの備えもなく出てきて、鈴の体力は気力が尽きるのと同時に限界になった。鈴は山間に建てられた掘っ建て小屋に水を求めてさまよいこんだ。
そこに、権七がいた。
母と二人暮らしで、農民暮らしだけでは食糧難を乗り切れず、山を駆け回って山菜を探し、なんとか生を立ち行かせているという。そういう環境にもかかわらず、権七は動くよりも考え事を好む質の男だった。
「ですから、あたしずっと山を越えたいと思ってましたの。なのに、ははさまもととさまも許して下さらないんですもの」
山越えをしてきた理由について聞かれ、鈴は答えた。
権七は肩をすくめた。
「それは、鈴姫が美しいからでしょうな」
権七は何の照れもなく、鈴を鈴姫、と呼んだ。
「いやですわ、権ちゃん。そんなことおっしゃって」
「だから権ちゃんはやめていただけませんか、権ちゃんは!」
「どうして」
「似合わんでしょう」
「似合わんことないですのに」
すまして言った鈴に、権七は背を向けて食事の器を片づけに立った。
長細い背中に不安に駆られた鈴は、声を大きくした。
「ごめんなさいね! お食事、こんな女がいただいてしまいまして」
権七は会釈を寄越したのみだった。しかし、その神経質な口元にはかすかに笑みが宿っていた。
二人が恋に落ちるのに時は長く必要でなかった。
鈴は何度親に叱られても、山を越えて権七に会いにいったし、権七も山を越えて村へ降りてきた。
「山のずっとずっと向こうには、あたし結婚のお話のある人がいらっしゃるんだそうですのよ。でも、ととさまもははさまも、あたしを大事にして下さいますもの。あたしの望みを分かって下さいます」
しかし、両親は鈴の一途な想いを理解しなかった。
山を越えたいと無邪気に憧れた鈴を理解しなかったように、権七と結婚したいと言い出した鈴に手を上げて怒った。
そうして認められぬまま、権七は山菜取りの最中に崖から転落死した。弔いは、村の方式で行われた。
喪主は、権七の母よりむしろ、婚約者であった鈴だった。
「それは、悪意からだったのです」
いつのまにか場面は山中に変わっていた。
麻衣は目の前でひざまずき、墓に向かって手を合わせる鈴を見た。
「村の方は、親不孝ものなあたしを、よく思ってはいませんでしたから。……かわいそうです」
「村の人が?」
「人を愛するよい心を知らない方は、かわいそうです」
麻衣を振り向いてほのかに笑ったその顔は、会議室で見た赤い着物の少女に間違いない。体が身構えてしまうが、鈴に害意がないのは麻衣にもよくわかる。
「鈴……鈴姫」
「はいな」
「あなたは何が望みなの?」
控えめな鈴のまなざしが、真っ直ぐに麻衣を見た。
「権七さんに会うこと」
「死ななくてはいけないの」
その口から、ふたつの言葉が発される。同じ声で、同じトーンで、鈴の心はふたつに引き裂かれている。
(そうか、そうだったんだ)
権七に会いたいと思う鈴が、好きな人と別離せざるをえない女を哀れむ。そして、村や親に縛られている鈴が、一人になった女は死ななくてはならないと義務を実行する。
なげいて傷つけ合うという、死人を出しかねない村の弔いを実行しているのだ。
ふと、鈴は顔を上げた。
「あたし、そろそろ失礼しますね。麻衣?」
「うん」
小作りなかわいらしい顔をほころばせ、鈴は立ち上がる。たもとの鈴が校舎中に鳴り響いていたあの音を鳴らせる。
しゃららら。
それは弔いの、哀れみの音だ。
一歩踏み出した鈴の姿がかき消え、麻衣は墓に近づいた。それは粗末な墓だった。権七の母の作ったものだろうか。たどたどしい手書きで権七の名と生没年が刻まれていた。
その崩れそうな文字を、麻衣はそっと手でなぞる。鈴は自分の手できちんと弔いたかっただろうなと思う。
せめて、と麻衣もまた手を合わせて短い間祈った。
麻衣が眠っていたのはごく短い間だったようだ。
目覚めると、まだ綾子とナルは喧嘩状態におちいってはおらず、麻衣は、これは相当な短時間だったのだなと悟った。
「夢……見れたよ」
ナルが無感動にうなずく。
「鈴の望みが分かった。浄霊、できると思うよ」
「やるじゃない」
綾子が笑う。麻衣はガッツポーズを作って見せて、手元の紙に権七の名前と生没年を書き記した。
それを、ナルに向かって差し出す。
ナルが紙を受け取って目を通し、うなずいた。
「鈴姫を浄霊する。ぼーさんと安原さんを麻衣の護衛に、あとは全員学校に向かう」

