罪を犯すもの 終章
八月に入ると暦の上ではそろそろ秋なわけだが、逆に暑さは厳しくなってくる。避暑地といわれるだけあって鳴山の辺りは涼しいのだが、それでも昼日中は時々日差しがきつく感じる。
学校までの道をキャンバス片手に歩いていた玲は、裏門に続く林道の入り口で日除けにかざしていた手を下ろした。急に視界が開けて、林道の途中で所在なさげに立っている人影も近づく前にちゃんと発見することができた。
相手はまだこちらに気付いていない。はてどうしようかと立ち止まってしばし考えるが、例の事件の最中に描きはじめた絵は時間がかかっているから今日もしっかり美術室にこもりたい。腹をくくって足を踏み出した。
「玲」
「気付かんでもいいのに」
玲は大げさに舌打ちして見せた。狭い林道で行き違って、気付かないわけはない。玲がいつも裏門を使うことを知っていてここで待ち伏せていたのだろう。
彼はバツが悪そうに頬をかいた。その仕草を、以前玲がどれほど愛したことか。
「久しぶり。その、学校がニュースになってるの見て、心配になって」
「片づいたよ。ご心配なく」
「変わりないか?」
変わり? あるに決まっている!
彼に人生を狂わされたと言ってもまったく言い過ぎではない。今さらよく顔が出せたものだと思う。だが、それも片づいたことなのだ。
馬鹿馬鹿しくなって玲は彼の横を通り過ぎようと再び歩き出した。余裕を装ってポケットに入れた手が、意図せず護身用のナイフにふれる。
ひやりとした感覚がした。
「待てよ」
彼が腕をつかんで引き止めてきた。彼は一体何の権利を持っていまだに彼氏面をするのだろう。ナイフと同じくらいひやりとした気持ちで玲はむっとしているような彼の顔を見る。
「もう会いに来ないでね」
ポケットのナイフを取りだして、ぽんと刃を出してみた。
とても簡単なことだった。
それを彼に向け、驚愕した彼の顔を見て、ひどく満足する。
「今度来たら刺してやる」
にこりと笑い、力の抜けた彼の手から腕を引っこ抜いた。
「でも今日会えてよかったよ」
何しろ、描きかけの絵がなかなか進まないのは、彼の顔があまり思い出せないことにも一因があったのだ。今嫌と言うほど見させてもらった。これで完成にこぎ着けることだろう。
棒立ちになっている彼の側から、鼻歌でも歌いたい気分で玲は歩き出した。ふと思いついてお下げをほどいてみる。これもとても簡単なことだった。
あーあ馬鹿らしい、と心の中で呟いてみたら本気で笑えてきた。
渋谷サイキックリサーチの関係者面々は、鳴山高校の事件が解決し、しばらくはそれぞれに怪我の療養やら何やらで事務所に集うこともなかった。いつもなら何の用もなくても集まってくるメンバーなのだが、こればかりは仕方ない。
十数日が過ぎて、全員が集まる約束があった。
納涼祭りである。
本来なら、ナルやリンをこの手の遊びに連れ出せるはずもない。しかし、怪我のために麻衣が荷物を持てないとメンバーが迫ったところ、引け目があるらしく大した苦もなくナルの了承が取れた。こうなればリンの同行説得は楽なものである。
かくて、まるで慰労会の如くにメンバー総出の祭り見物とあいなったのだ。
夕方、事務所には大方の顔触れがそろっていた。残るは真砂子のみだ。とは言ってももちろんナルは所長室に、リンは資料室にそれぞれおこもりである。
「そういえばさ、玲くんから手紙がきてたんだ」
テーブルに落ち着いてお茶を飲みながら、ふと麻衣が言い出した。
「へえ」
麻衣はシンプルにかわいいパステルカラーの封筒を取り出し、その中から二枚ほどを抜き出した。
「これ、ジョン宛て。お礼状みたい」
「ボっ、ボクどすか?」
恐縮しつつ手紙を受け取ったジョンはそれに目を通し、一枚をテーブルの上に置いた。写真だった。
ひっつめ髪をほどいて、眼鏡も外して着飾った玲が、両親とともに笑っている。
「お元気そうでよかったどす」
滝川がしかしなぁ、と頭をかいた。
「なーんか後味の悪い事件だったよなぁ」
「なんとなく、ね」
綾子が同意する。
麻衣は紅茶を飲み、首をかしげた。
「結局さ、こう言ったらなんだけど、好きな人のために死のうって人、いなかったんだよね、本当には。そんなもんかねえ」
「まあ、恋人だからってそいつのもんじゃないでしょ」
「そりゃそうだ」
「あ、命かけた子ならいたわね、ここに」
綾子が指を差す。突然水を向けられて、麻衣はうろたえた。
「あたしぃ!?」
「飛んでくる刃物の前にふらふら出てった子と、とんでもない静電気につかみかかった子」
「いたなぁ、そういや」
滝川もからかうように笑う。麻衣はふくれて見せる。
「別に死ぬつもりじゃなかったもん」
「でも死ぬところだったでしょう」
安原までも加担して乗り出す。麻衣はなおさらすねたように体を縮めた。そして、小さく呟く。
「……死ぬつもりじゃなかったけど。あたし真砂子に殺されるかも」
「はぁ?」
ちょうどその時、所長室の扉が開き、ナルが姿を現した。
「麻衣、お茶」
「はーい」
問題発言をしたままの麻衣が立ち上がったが、まさかとどめるわけにもいかない。所長の雷は誰でも怖い。
タイミングよく今度は入り口の扉が開き、最後の一人が到着した。
「いらっしゃい真砂子」
言ったのは事務所の人間でもない綾子で、麻衣は決まり悪そうに笑っている。
「何か飲み物、持ってくるけど」
「お水にして下さいな」
おだやかに真砂子は笑った。
「お水でいいの?」
「ええ、あついですから」
「OK」
真砂子は席をすすめられたが、しばらく涼んでいると笑って入り口近くに立っていた。
麻衣がナルのカップと水を入れたグラスを持って戻ってくる。グラスを真砂子に、カップをナルに渡して彼女が身を起こそうとした刹那だった。
つかつかと近寄った真砂子が、麻衣の横顔に無雑作にグラスの水をかけた。
凍り付いた沈黙。当事者以外の誰もが唖然とした。
「……こーおきたかっ」
水に濡れたまま麻衣がうなる。
「容赦しませんと申し上げたはずでしょ」
「平手打ちでくると思ったね、あたしは」
「芸がありませんわ」
「服が思いっきり濡れたんですが……」
「包帯は避けましたわよ」
この上なく艶やかに微笑まれてしまって、麻衣はため息しかつけない。
「タオルと着替えは持ってきてありますの」
「……了解。給湯室で着替えるから、近寄らないように!」
指を突きつけた麻衣が真砂子とともに給湯室に消えるのを、みんなが茫然と見送る。
安原が我に返ったように床を拭き始める。
滝川が許しを請うてタバコに火を点ける。
綾子がソファにもたれかかり、ジョンとナルは固まっていた。
「……殺しあってそうよね」
綾子が給湯室を示せば、ジョンは感覚が戻ってきたように震えた。
「そんなこと……あらしまへんようですやろ」
明らかに言葉がおかしい。
「なるほど、『真砂子に殺される』か……」
滝川が呟けば、誰からともなくため息がもれた。
そんなわけだから二人が殺しあったあとも殴りあったあともなく出てきた時には、誰もが安堵の息をついた。何しろ安心が先に立ったので、真砂子から借りた浴衣に着替えた麻衣への賛美は後回しになり、彼女をふくれさせることになったのだった。
事務所を出ていくどさくさに麻衣はナルのとなりに並んだ。
「そういえばさ、結婚、するの?」
にぎやかに出ていく面々は、二人の会話に気付いていない。
「そういう話は、あるな」
「……イギリス、帰るの?」
「先週帰省する予定があったんだけど。依頼が入ったから、流れたな」
どこか満足げにナルは言う。
「流れたって、それ延期ってこと?」
「いや、中止」
「は? もう、帰ってこないって話は?」
「誰がそんなことを言った?」
「誰がって」
気のない素振りでナルが立ち去ると、ちょうどリンが追いついてきた。
「帰国すると言っていますか?」
ちらりと彼の顔を認め、麻衣は首を横に振った。
「中止だって言ってる」
「そうですか。ああいう言い方をすれば起爆剤になるかと思ったのですが。あまり薬になりませんでしたかね」
麻衣は思わず口を開けて足を止めた。言われたことを吟味する。
では、初めからナルは結婚など断るつもりでいたのか?
帰国するというのは単なる一時帰国で、それも帰りたくないからわざわざ興味もない依頼を受けてまで中止にさせたほどの軽い話ということか?
(まんまと躍らされた)
肩越しに振り向き、リンは口元に笑いを浮かべた。
「……あたしたちの苦悩ってば、何?」
もっとも、起爆剤にはなったのかもしれない。
それでも、麻衣は朝家を出る前に戸棚から写真立てを取り出す。
写真の中で二人の少年が寄り添っている。一人は嫌そうに、一人はひどく楽しそうに。
木の枠に小さなキスと、行ってきますのあいさつ。
いつまでも好きな人へ。
「ジーン、あたしは生きていく」


長々とお付き合いありがとうございました!
実に10年前、オフ本第1弾として出した調査物長編の再録です。
どうしても気になるところはちょこちょこ修正してますが、ほぼそのまま。
2次創作でまとまった話を書いたのはこれが初めてだったので、まだ慣れてないらしく、話の作りにオリジナル色が強いのも今思えばちょっと苦笑い(^^;)。
原作っぽい調査風景を描きつつ、最萌えであるナル→麻衣→ジーンを書きたかったお話です。
でも難しすぎた! がんばったんです! すごくがんばったんですよ!(逃亡)