アリスのお茶会

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「陛下がお召しです」
 納得がいかない、という顔をした女官が麻衣の部屋に来てそう告げた。麻衣はにこにこと笑う。
 最初こそ女官たちの過敏な反応が気になったが、今や事情は分かりすぎるほど分かっている。今までどんな美姫にも見向きもしなかったナルが、この数ヶ月なぜか麻衣だけを毎晩のように召し出すのが不思議で仕方ないのだ。
 秘密を自分だけ知っているのが心地いい。
「ありがと。じゃあ行ってくるね」
「マイ様、お召し替えをなさりませんと」
 麻衣は普段女官たちとさして変わらない格好をしている。女官といっても王宮勤めの者たちだから国の威信をかけて着飾っているが、それでも貴族の姫が外出する時ほどではない。ある程度動きやすさを考慮した裾の長さ、飾りの量である。
 麻衣は部屋にいる時紅茶をいれる練習や礼儀の勉強などをして過ごしていたので、多少動きやすい服装を心がけているのだ。そのまま王の前に出るなど、女官たちには考えられないだろう。
(でも、はっきり言ってナルはあたしの格好なんか見てないしなー)
 お洒落をするには時間がかかるし、コルセットも体を洗うのも疲れる。それでいてうるさく飾りをつけていくと嫌な顔をされるのだから、やり甲斐もないというものだ。
「このままでいーよ。うーんと、ほらすぐ脱ぐんだし?」
 脱がない。
「そうは行きません。私たちの務めだと思って、マイ様」
「でも……ナルは、あんまりしっかり着られると脱がしにくいって……」
「……あら」
 照れたように、実のところ笑いをこらえて麻衣はうつむいて見せる。
「こほん。いえ、そうはおっしゃってもそんな召使いのような有様ではとてもお出しできませんわ」
「召使いみたいなもんだし」
「そんなことをおっしゃって」
「でも、ナルはあたしにいろいろ命令するから……」
「え」
「ね……分かるでしょ……?」
「……」

Once Upon A Time 2

...He really loved her.

「麻衣、お茶」
「はーい」
 いつものようにナルが命じると、麻衣はくすくすと楽しそうに笑った。
 ナルは心おきなく本を読んでいるので、彼女が何を笑っているのかは知らない。数ヶ月で見違えるように美味しくなった紅茶がそっと机の上に出される。ナルはただ黙ってそれを受け取るだけだ。
 彼女をこの部屋に呼ぶようになってから、3ヶ月ほどが経った。最初のうちこそ、7日に1回ほど儀礼的に呼ぶだけだったが、最近では遠慮なく毎日のように呼び出している。呼んだところでいつも通り仕事をしているだけで気を遣う必要もないし、邪魔をされないなら美味しい紅茶をいれてちょっとした雑用をこなしてくれる人間が控えているのは便利なことある。
 麻衣はこれ以上ない寵愛を受けている、と言われているのはナルも知っている。夜のほとんどを国王の自室で過ごし、ナルが暇であればしばしば昼間にも呼び出されるのだから当然だろう。
 昼間、ナルは政務以外の時間を研究所で過ごしている。表向きは聖書の研究機関だが、主な研究対象は神の奇跡とでもいうべきものである。ナル自身が神秘の力の持ち主であり、姉であるケイ姫も、兄のジーンも特殊な力を持って産まれた。その力や幽霊と呼ばれるものたちについて研究しているのが王の私的研究所であった。
 研究所には、専属でジパングの人間が3人勤務しているが、実働人数はナルを入れて7人である。オーナーであり研究者であるナル、祭祀長のリン、宰相補佐のシュウ、神殿付き司祭のジョン。そして専属研究者として、リンの妻であるまどか、滝川と綾子という若い夫婦。これで総勢7人だ。
 麻衣は、昼間この研究所に通っている。もちろんめあわせられる相手を決めるためなのだが、ここまで聞けば大いに問題があることは明白だろう。
 神とも女性とも結婚していない男性が、シュウ1人なのである。
 しかしそんな小さいことを気にしている場合ではない。もちろん側室を作ることに大した問題はないし、神の教えに背くのはむしろ夫のある(ことになっている)麻衣の方である。男たちは黙して審判を待っていた。
 そもそも、通う相手ができればしばらくは時間稼ぎができるだろうという判断もあり、麻衣に猶予を与える意味もあり、この3ヶ月事態は動いていなかった。変わったと言えば、表向き王に寵姫ができたということだけである。
 麻衣は、毎日お茶をいれて雑用をするために部屋へ泊まっていた。
「で?」
「で? って、何が?」
 自主的に本棚の整理をしていた麻衣が振り返る。そんなことは女官の仕事なのだが、ナルは本の内容を理解していない相手に本棚をさわられるのを極端に嫌った。麻衣はいつもナルのいる時に片づけるので、分からなければすぐ聞いてくる。
 力仕事をして軽く汗ばんだ麻衣は、上等な絹のハンカチで丁寧に手を拭う。もともと商人の家で雑用をやっていたそうだから、慣れたものである。
「例の話は、決まったのか?」
「相手ー? そうだなぁ」
 麻衣は困ったように笑うと、ベッドにぽすんと腰を下ろした。
「誰でもいいんだよね。奥さんいても?」
「お前には夫がいるんだが」
「だよねぇ。奥さんとも知りあいなのにね、あたし」
 時折、ナルも人選を誤ったかと思う。麻衣は確かに口が堅いようだし、道理を理解する頭もある。ナル自身も通わせるのに大した苦痛を感じないどころか、悪くないと思いさえする。だが、彼女は実に真っ正直な性格だった。
 もっと、国のためなら何でもするくらいの女を選ぶべきだったかもしれない。
「ぼーさんは同じジパング人だし、明るくて話やすいな。子供扱いされてるけど」
 麻衣は考えながら感想を話す。ナルは半分体をベッド側に向けながら、椅子に座ったまま書類に目を通していた。
「ジョンはとっても優しくて、絶対無理なんか言わなそう。恋愛なんてあんまり縁なさそうだなぁ」
 実際神に誓願を立てているのだから縁はないだろう。この計画に一番難色を示しているのも心優しい彼だ。子供ができるのは神の意志だと悲しい顔をした。
「シュウさんは面白い。すっごく頭よくて、さすがって感じ。ああ見えてけっこう真面目な人みたいだから、申し訳ないけど」
 シュウはつかみどころのない態度の裏に、彼なりの正義感や誠実さを持っている。大罪を割り切るには、忠誠心より自意識が勝っているところがある。
「リンさんは話し辛かったけど、実は優しいなんてかっこいい。研究所の人では一番素敵かな」
 意外なところに来たな、とナルは内心感心していた。リンならいいかもしれない、という気持ちが働く。彼は直接の臣下たちの中でも、誰より信頼している部下だ。
(リンならいい……?)
 ナルはふと自分の思考に引っかかりを覚えた。
 誰でもよかったはずだ。ナルの立場としては早いところ彼女に妊娠してもらう必要がある。必要なのはそれだけで、その経過も相手もどうでもいい部類の問題だ。
 案外、自分の所有物である女に独占欲を覚えているのだろうか。そう思いつくと、ナルは自らの青臭さに失笑せずにはいられなかった。抱く気もなく面倒がって後宮に放り込んでいるというのに、いざ他人に盗られるとなるとくやしいとは、何とも子供じみた話ではないか。
 後宮の女性たちは、ナルにその気があろうとなかろうとナルの所有物である。たとえナルが主人としての務めを果たしていようといなかろうと。ここで今女官の代わりにお茶をいれている麻衣もまた、彼に所有権がある。他の男に譲るのもナルの意志1つで叶うことである。国のために出仕させること自体にナルが罪悪感を覚える必要はない。
「あ、そうだそうだ」
 麻衣が笑って続けたので、ナルははっとして思考を断ち切った。
「ナルのお兄さんがいいかもなぁ、あたし。それってダメ?」
「兄……?」
「うん。やっぱりダメか」
「笑えない冗談だな」
「あんたがどんな冗談に笑うっていうんだい」
 麻衣はまったく悪びれていない。ナルは嫌な感触を覚えた。
「兄に会ったことがあるのか」
「あっ。バレちゃまずかったのかな。そういえばお忍びって言ってたような……」
「そういう問題じゃない。会ったことがあるんだな? 後宮で?」
「うん……何度か訪ねてきてくれたよ」
 ナルは立ち上がって麻衣の腕をつかんだ。
「えっ、何?」
「間違いなくユージンか」
「間違いなくって……ナルにそっくりだったから、たぶん。ナルじゃないなら、兄弟だとしか思えないけど」
「そうか……」
 つかんだ腕の力を緩める。麻衣は痛そうに二の腕をなでた。ナルはどうしようもなく疲れた気分になり、麻衣のとなりに腰を下ろした。麻衣が驚いたように見上げてくる。
「ユージンは……5年前に死んでいる」
 今度は麻衣の方が呆気にとられた。

 ナルが事情を説明し終えると、部屋の中には困惑したような沈黙が流れた。場所はナルの部屋、集まっているのは腹心2人である。
 こうして3人で定期的な会合を開くことは、即位前から続けられている習慣だ。それぞれに際だった能力を持つ3人の話し合いこそが、今のこの国の頭脳と言ってもいい。
 シュウはしきりに眼鏡をさわり、頭脳を回転させている様子だ。リンが言葉少ななのはいつものことだが、眉間に刻まれたしわが心情を物語っている。
 大方のことには泰然としている2人の様子が、事態の深刻さを演出していた。
「つまり……ユージン様の幽霊出現説は、がぜん真実味を帯びた、と」
 低い声音でシュウが呟く。
「僕たちは読み違えたのか……」
「麻衣さんが潜入員だという可能性が残っています」
 リンの声は冗談では済まされない。彼は、むしろその可能性の方を憂慮しているようだった。
「それらしい素振りはありませんか、ナル」
「僕は信用できると思ってるけど?」
 表面上ナルの態度は平静だ。
 しかし内心彼は驚いていた。リンの発想に驚いている自分に、驚いていたというのが近いだろうか。信用できる相手も充分に疑う癖がついているはずだったのだが、彼女の無邪気な様子に警戒心を剥ぎ取られていたらしい。
「僕も、彼女が嘘をついているとは思いにくいですが」
「私もそう思います」
「なら……いや、でもそうか。僕ら全員が安心しちゃいけないですよね」
「そういうことです」
「もしも一向に嘘をついているように見えない彼女の態度が才能だとしたら、それは怖ろしい才能ですよね。その可能性は考えておかなくちゃいけない。万が一の時のために」
「真っ白か、真っ黒か。2つに1つです」
「あれが嘘なら、とんでもない嘘上手ですから……油断していて済まされる相手じゃない。本当なら、それで問題がない」
「警戒しておくに越したことはないでしょう」
 2人の意見は一致し、視線によって主人の意見が仰がれた。ナルはゆっくりとうなずいた。
「2人の進言はもっともだ。だが、麻衣がケイ派の人間ならあっさり僕の寝首をかけばいいことだと思うが? 我ながら隙だらけだ」
 麻衣は毎日のナルの部屋に泊まっている。それは、とりもなおさず毎晩寝顔を晒しているということだ。刃物などは厳重に監視されるから持ち込むのは難しいだろうが、紐の一本くらい衣装からいくらでも調達できる。男の体といっても、寝ているところに全身で馬乗りになれば首の1つくらい絞められるだろう。
 しかし、そこまで考えてからナルは舌打ちした。馬鹿なことを言った。
「いや、忘れてくれ。それじゃ意味がない」
 そう意味がないのだ。
 ケイ派の人間はナルを位から引きずりおろしたい。醜聞でも失態でも病気でも死でも構わないだろう。ナルに皇子がなく、ユージンが死んでしまっている今、まともに王位を継げると思えるのは、第一王位継承者のケイ姫だけだ。事態は、どう転がっても王座をケイ姫の元に落としていく。
 しかし、例外がある。ケイ派の人間がナルを殺した大逆の犯人として挙げられてしまった場合だ。大逆の処断は厳しい。犯人の血縁一族、連座したものすべてとその家族、そして担ぎ出されたケイ姫本人にも累が及ぶことは間違いない。これでは即位など夢のまた夢である。
 あくまでも陰謀と気付かれずに退位させなければならない。
 今ナルが暗殺されれば、真っ先に疑われるのはケイ派の人間である。ケイ派がさらに強力で揺るぎない勢力であれば真実をもみ消すこともできようが、現在の状況ではナルの勢力が完全に優勢である。追及はまぬがれない。
 つまり、麻衣がナルを殺そうとしないことをもってケイ派の人間ではないとは、決めつけられないのである。
 栓のないことを言った、とナルは悔やむ。今この場で麻衣の潔白を証明することは難しい、それが事実だ。
「彼女の動向には十分注意を払ってください。いいですね」
「ああ」
「それから……幽霊話の真偽ですね。これが分からないことには、どうにも」
「分かるんじゃないのか?」
 ナルが言うと、臣下たちは顔を見合わせた。
「麻衣がユージンを見てる。見てるだけではなく何度も話をしているそうだ。これは他の目撃談とはずいぶん雰囲気が違う」
「ええ。他の話では、廊下に立ってにっこり笑ってたとか、陛下への恨み言を呟いてたとか、そんな嘘くさいのばっかりですからね」
「話をしている、という嘘をつく人間はどちらかというと少ない。目撃した、という嘘は簡単につける。相手が幽霊では当人のその日の行動を知る必要もなく、でたらめを言っても矛盾が出にくいからだ」
「話をしてるって言っちゃったら、陛下とユージン様しか知らない話を持ち出されたときすぐ困っちゃいますもんね」
「そういうことですね」
 ナルは指を組んで2人の顔を見渡した。
「僕は、前にも言ったとおりユージン目撃談は嘘だと思っている。ジーンが王位を奪った僕を恨んでいると噂を流し、地道に人望を削っていくためのつまらない嘘だ」
 ユージンは事故死だった。これはナルが特殊能力で見たのだから間違いないと彼らは信じている。だが、彼の死で王位継承権がナルに転がり込んできたのは事実で、それによってナルを疑う気持ちがいまだ蔓延しているのも事実である。
 これをあおるように出てきたのが、ユージンの幽霊目撃談である。特に1年ほど前から活性化しだした。世継ぎが産まれずケイ派の力が付いてきた頃である。ユージンはナルを恨んで幽霊になった、ということはユージンを殺したのはナルではないか、という疑心を起こさせるための仕掛けだ。
 これは実に子供だましの噂なのだが、もとからあった疑心を呼び起こすためにはそこそこ有効な手である。実際問題として跡継ぎのないナルの立場は不利なのであり、ナルへの猜疑によってそれを思い出した臣がケイ派に寝返ることはありえる話なのだ。
「だが、これが嘘だったとしても本当だったとしても、今のところ確かめるすべはない。僕たちの研究もそこまでは進んでいない」
 ナルとて、自分たちのもって生まれた能力を調べるために進めている研究がこんなことに役立つとは思っていなかった。だが、もっと研究が進めば幽霊話の真偽を確かめることくらいはできるのではないかと、現在その研究を急いでいる。
「だが、麻衣の話が本当だったと仮定すると、少なくとも僕たちが真実を知ることはできる。ジーンから直接聞きださせればいいんだ」
「麻衣さんの話の真偽は、どう判定します?」
「とりあえずサイキックを判定する研究はそこそこ確立しているはずだが?」
 なるほど、と呟いたシュウがふいに笑顔になった。
「なんですか?」
「いえ、陛下は麻衣さんを信用してらっしゃるんですね」
 ナルは含みのある言葉に顔をしかめ、反論しようと口を開いた。
 その時である。急に廊下を走ってくる足音がした。
「陛下! 陛下!」
 ナルたちは口をつぐみ、話を打ち切った。
「どうした」
 扉のところまで出ていくと、まろぶように女官が駆けてくるところだった。
「ご歓談中申し訳ありません」
「いい。それで」
「先ほどシュウセイ大臣閣下が後宮にいらして、マイ様と口論に……! 閣下はひどく興奮なさっておられ、マイ様に乱暴な扱いを……どうか、陛下お止めくださいませ!」
 ナルは眉をひそめ、分かったと一言告げた。

 後宮の一角は、悲鳴が満ちていた。
 平素静まり返って女官たちのさざめき笑いが響くのみの宮であるが、今は人垣を作った女官たちが神経質な声を上げている。おろおろと騒ぐ彼女たちで、事態を収拾しようとする女官長の声もかき消される。
 リン1人を連れて後宮を訪れたナルは、表情を厳しくして一喝した。
「何の騒ぎだ」
 陛下、と声を上げた女官たちが、端から道を空けて最高の礼をとる。それで少しは静まった。一番部屋近くにいた白髪の女官長が、慌てたように進み出てきて礼をした。
「これは陛下。尊い御身をこのような場にお呼び立てして、申し訳ありません」
 彼女はナルを先導してきた若い女官をにらみつける。その娘の独断で呼んできたものらしい。
「マイ様!」
 扉の近くにいた女官が、ナルの前にも関わらず悲鳴をあげた。間を置かずに、部屋の奥の方で重いものが倒れた音がする。
 ナルは周りに構わず中へ踏み込んだ。
 寝台に寄りかかるようにして麻衣が尻餅をついている。その前にいて肩で息をしているのは、確かに大臣の1人であるシュウセイだった。大臣には後宮へ踏み込む権限があるが、もちろんナルの側室に無体を働く権利はない。
「これは一体何事ですか、シュウセイ殿?」
 ナルよりも2回りばかり年上であるシュウセイに、ナルは慇懃な口調で話す。平素から嫌味を込めているその口調が、荒れたこの場ではことさら冷たく響いた。
「陛下」
 憎々しげにシュウセイは呟いた。年下の生意気な青年に礼を尽くすことがシュウセイにとってはなはだ不本意であると、ナルはよく承知している。
「この娘に礼儀というものを説いていただけです。わざわざお越しになるほどのことではありませんよ」
「彼女の教師をあなたにお願いした覚えはありませんが?」
「お若いあなたに教師は無理でしょう。こういうものは、年長者の務めでしてね」
「おせっかいは結構です。僕の家庭教師にでも命じてしておきましょう」
「役立たずの家庭教師に任せてはおけませんな。何しろ、国王陛下の教育もおざなりに済ませるような人間だ」
「無礼が過ぎるようですね、大臣」
「無礼が過ぎるのはどっちですか!」
 シュウセイは貧弱な体を震わせて吠えた。
「国王の務めをないがしろにして世継ぎを作らないと思えば、こんな貧相な小娘にうつつを抜かして! 陛下は私がどれほど我慢してきたかご存じか!」
「さて、知らないな」
「なら教えて差し上げるが」
 狭量な怒りに燃えた目が、座り込んで肩を抱いている麻衣をにらむ。麻衣も負けずに彼をにらみ返していた。
「あなたには位の高い妻がおられるんですよ。ご存じありませんでしたか? これは優秀な頭脳でいらっしゃる」
「妻? そういえばいましたね、父親に恵まれない不幸な女性が」
 彼の言う妻とは、なぜか非常に高級な貴族の家に生まれたシュウセイの娘である。いまだ正妻と呼べる相手はいないが、正妻の座に納まれるかどうかはかなりの部分出自がものを言う。シュウセイ自身も位の高さに支えられてここまでの暴挙に出られるほどであるから、どれほど強い後ろ盾を持っているかは明らかである。
 シュウセイから妻にと強く押されて後宮に入れた娘は、確かに正妻の座にもっとも近い場所にいた。ナルの意志と関わりのない話である。
 シュウセイはたっぷりと含みを持たせて、麻衣に視線を送る。
「本当に父親に恵まれないのは、この貧民の方でしょう」
「ほう? ミカミ氏は優秀な商人だと思うが」
「ミカミ氏が父親なら、ですな」
 麻衣が驚いたように体を震わせた。
「調べさせました。ご存じないなら、よくご承知おきください。この小娘は上手いことミカミ氏に取り入って彼の娘だと認知させ、後宮に入って我が国を馬鹿にしている。妻たちをないがしろにし! 陛下をだまし! 本来ならここで大きな顔をしていられる身分ではないのです!」
「なるほど。言い分は分かりました。だからと言って、あなたに僕の選んだ女性をどうこう言われる筋合いだとは思えませんが」
「筋合いですとも! 私を馬鹿にして、ただで済むと思っているんですか?」
「あなたの娘に魅力を感じられないのは、あなたの育て方の問題であって僕の落ち度ではないのでは?」
「子供を作ることもできずに、落ち度ではないなどとよく言えたものですな」
「いい加減にしてよ!」
 黙って唇を噛みしめていた麻衣が、耐えかねたように叫んだ。
「あたしを卑しめるだけならともかく、なんであなたにナルの悪口が言えるんですか!」
「小娘、お前が呼び捨てにしていい相手ではない!」
「あなたが暴言吐いていい相手でもないです! こんなにこの国のために一生懸命やってる王様に、何の文句があるっていうんですか? 何にも知らないくせに! ナルがどれだけがんばってるか、知らないくせに!」
「この……っ」
 顔色を変えて麻衣に掴みかかろうとしたシュウセイに、ナルは何も言わず一瞥を送った。『僕の前で殴る気ですか?』と言わんばかりに。
 シュウセイはのどを詰まらせて、ナルの前をすり抜けた。
「後でどうなっても知りませんからな!」
「初めからそう思ってくださると助かりましたね」
 成り行きを見つめていた女官たちが、あわててシュウセイに道をよける。あんな相手でも頭を下げなければならないのだから、彼女たちも報われない。
 同じく控えて見ていたリンが一歩進み出てきた。
「危ないようなら対処するつもりでしたが」
「ああ。大丈夫だ。この後、公務はなかったな?」
「はい」
「なら、今晩はここに泊まる」
 視線で人払いをうながすと、女官はもちろんリンも一礼してその場を去っていった。後に座り込んだままの麻衣と2人だけで残され、ナルはため息をついた。

 ナルが何も言わずにベッドへ腰かけると、すぐ横の床に腰を下ろしていた麻衣はのろのろと腕を下げた。今までずっと肩を抱いていたのだ。
 ドレスの胸元が半分がた裂けている。最悪のことになる前に呼び出されて幸いだったな、とナルは心の中でひとりごちる。シュウセイは本当に厄介なことにナルですらそうそう無視はできない高位の貴族である。それを嵩に着ての無体も多い。女官たちでは対処できなかっただろう。
「せっかく子供ができても、あたしみたいなのからじゃ子供が困るって……」
 ぽつりと麻衣が呟いた。
「産まれた子供を、もっと位の高い妻の子供ってことにされちゃうかもしれないって。そうなの?」
「そういう例は、あるな」
「大臣の娘ってどんな人? 子供を大事にしてくれるかな?」
 ナルは答えなかった。その女が非情な女だからではない。どんな女か今ひとつ思い出せなかったからである。
「あたしが正妻になるのって無理かな……。ナルは嫌?」
「僕の好き嫌いの問題じゃない」
「やっぱり、そうなんだ」
 麻衣はさびしそうにため息をつく。それが子供じみたため息ではなく、ひどく艶っぽく感じられたから、ナルはうまく無視することができなかった。
 となりへ座るよう麻衣に仕草で命じる。彼女は素直にベッドへ登ってきた。
「養子縁組をすれば、不可能ではない」
 麻衣の驚いた視線が横顔に刺さるのを感じる。
「世継ぎを……男児を産めば、それを理由に正妻へ押し上げることはそれほど難しくないだろうな」
「そっか。そうなんだ。ありがとう」
「まだ何もしてない」
「なぐさめてくれたんでしょ?」
 ナルは口元に笑みを浮かべた。
「どういたしまして」
「素直でよろしい」
 この言葉には、本気で笑いがもれた。
「何よー。笑うかー? ナルはホントに素直になった方がいいよ」
「お前みたいな馬鹿正直では、国がつぶれる」
「つぶれないよ。何だよ」
「真っ正面から大臣に楯突いた結果がこれだろう」
 胸元のちぎれた布を引っ張る。麻衣はかっと赤くなって胸を押さえた。
「うるさいな! 脅されただけだもん」
「だといいな。強姦されたら処女なのがばれる」
「そんなこと真顔で言わないでよーっ」
「事実だろう」
「心配なら嘘なんかつかなきゃいいんだよ。みんな上手くだまされてるみたいだけどさ!」
「僕はお前とは違う」
「どうせあたしは馬鹿正直だよ」
 ぷいと横を向いたかと思うと、麻衣は赤い顔のまま勢いよく続ける。
「例の話ね! あたし、ホントは嘘なんてつきたくないよ。ナルじゃダメなの!?」
「……ダメだから言っているんだが」
「やっぱりね! 言ってみただけ!」
 完全に照れている。ナルは少々あきれてその額を小突いた。
「いいから、もう寝ろ。まだ猶予はある」
 本当は刻一刻と状況が悪くなっているのだが、急かしてどうにかなるとも思えなかった。彼女の存在だけで、一体どれほどの抑止力になるだろう。実際、今日のようなことが起こる。
 ナルは反対側に回ってベッドにもぐり込む麻衣を振り向いた。
「麻衣、すまない」
 麻衣はあわてたように体を起こす。
「何が!?」
「今後も今日のようなことは起こるだろう。僕の責任だ」
「そんなの……仕方ないよ。分かってる。大丈夫だよ」
 ナルですらほっとするような、屈託のない笑顔。
「そんなことより、ナルは自分の心配して。一番大変なのは、ナルなんだからね! ちゃんと自分を労ってよ?」
「心がけよう」
 ナルも上着を脱ぎ捨ててベッドへ体を滑り込ませた。宮殿のベッドは広いから、男女が2人余裕を持って横になっても、まだ腕を横に伸ばしたくらいの隙間がある。それでも、同じベッドに寝ているのだ。
 燭台の灯りを吹き消しながら、その奇妙な状況をナルは強く意識した。手を伸ばしてもう一度試してみようか、とも思ったが、拒否された前回のことを思うと危険を冒す気にはなれなかった。
 壊したくない程度には貴重な関係になりつつあるのか、と気付くと実に不思議な気がした。

 翌日、研究所へ連れていくため麻衣を伴って外宮へ出たナルは、そこがひそやかにざわめているのを見た。
 表だって大騒ぎになっているわけではない。だが、確かに不安のようなものが波となって広がり、官たちの顔を曇らせている。
 その輪の中にはシュウとリンの姿もあり、ナルの姿を見るとそっと忍び寄ってきた。不審に思ったナルが問いただすよりも早く、シュウが小声でささやく。
「マサコ姫が行方不明になりました。室内には争った形跡があり、誰かに連れ去られたようです」
「マサコ姫が……?」
 予想よりも緊迫した事態に、ナルは眉をひそめた。
「彼女は神殿の奥にいるはずだろう?」
「ええ。よほど手練れの賊だったか……あるいは、内部の手引きがあったか」
 マサコはケイ姫の娘である。当然のごとく、非常に堅い守りに囲まれているはずだった。
「この件、少し慎重にかからなくてはいけないかもしれませんよ」

第3話へ

作者のたわごと

 ほほほほ……見てのとおり、続いちゃいました(爆)。
 次で終わりです。今度こそ(^^;)。もしかしたら3話になるかもしれないとは思っていたんですが……長いですねぇ。完結編は、明日のアップになりますので、も、もう少々お待ちを〜。どんなに長くしても、次で終わらせます。
 今回予定まで進まなかったんで、ラブシーンもろくにないしねぇ(汗)。いつまでたってもぼーさんたち出てこないしねぇ(なぜだ…ぼーさん愛してるのに…)。もしかしたら最後まで出ないかも(vv;)。

 今回のキャラ解説…前回言い忘れたミカミ氏は、湯浅高校の三上昇校長です(誰が覚えてるんだそんなもの…っていうか、私よく覚えてるなぁ)。シュウセイ大臣は、松山秀晴氏です(笑)。
 いろいろと設定に無理が出たりしてますが、「眼鏡があるか、眼鏡が…」とか、「扉完備かい。イギリス中世的にはどっちかというと布で覆ってるんじゃないの」とか、「机とベッドが一緒の部屋にある宮殿って超安っぽい…」とか、ツッコミは本人もかなり感じてるんで(笑)。パラレルの面白味主体ってことで、その辺見逃してください〜(^^;)。書こうとすると、描写が倍に増えてしまう……っ。

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