アリスのお茶会

  1. Top
  2. GH Home
  3. Novel
  4. Once Upon A Time

 広間に集まっている官たちが低い声でざわめいている。本来は王の裁可を仰ぎに来たのだか他の官に用事があったのだか分からないが、とにかく今の話題はマサコ姫のこと一色である。これが見た目以上に穏やかでない話であることは、この場にいるほどの官なら感じているのだろう。
 マサコ姫は現在微妙な立場にいるケイ姫の娘である。ケイ派とナル派の対立は宮廷内では公然の秘密。前第一王位継承者ユージン皇子の暗殺説が飛び交っている状態で、現第一王位継承者の娘が誘拐される。あまりにもきな臭い話であった。
「でもね、怪しすぎますよね、それは」
 広間の入り口でナルに事の次第を耳打ちしたシュウはにこりと笑う。

Once Upon A Time 3

...He knew his job.

 集まっている大勢の官からナルの姿を隠すように、長身のリンが立ちはだかる。この話はケイ派の人間に大っぴらに言うことはできない。隠すほどのことでもないのだが、公式に発表するには早計すぎる。
「こういうことって、不思議に身内の方が信じてなかったりするんですよね」
 笑いながらも、シュウの目には強い光が宿っている。
「国民はみんな信じてるっていうのに、変な話です。陛下のことを、一体誰だと思っているのやら」
 ナルは特に何も言わなかった。となりにいた麻衣が不安そうに見上げてくる。
「誰って……?」
「誘拐なんて、何の意味もないってことですよ」
「分かりませんけど……」
「面白くありませんか? 陛下は、国内外に響きわたる神秘の王なんですよ。王に隠せる事なんてないと、みんなが知っているはずです。なのに、人1人隠しおおせると思ってるなんて」
「神秘のって……」
 分かるでしょう、というようにシュウは麻衣に笑いかけた。しかし目はまったく笑っていない。
「陛下。お務めを果たしてください」
 リンもまた同意するようにナルを見た。
 もちろん、彼らは信じている。ナルの持つサイコメトリの力が真実奇跡の力であることを。
 ナルの体と頭脳と能力の全ては、国のものである。彼が国のためにすべてを投げ出しているから捧げたものの多さに応じて国民は彼を礼拝する。美貌と、突出した頭脳と、奇跡の力。これら類い希なる資質を国民が評価しているから、その分だけ彼を信用し、支持してくれているのである。どれだけ強く支持するか決めるということは、彼らに返される恩恵を測っているということだ。
 必要とされたときに恩恵を返す、それはナルの務めである。
 それらの理をナルはよく理解していたから、ただ素っ気なくうなずいた。
「何かマサコ姫の持ち物を」
 はっとしたように麻衣の目が見開かれる。やっと言われていることに気付いたらしい。
「それって、サイコメトリするってこと!?」
「他に何がある」
「ダメだよ、ナル!」
 ナルは意外な言葉に眉をひそめた。シュウとリンも不審そうにしている。
「なぜ?」
「何でって、そのお姫様は誘拐されてるんでしょ? どんな目に遭ってるか……死んでるかもしれないのに」
「だから探すんだろう。何を馬鹿なことを」
「他にできる人もいるでしょ? ナルが苦しんでるのはその力のせいじゃない。これ以上ナルが辛い思いをする理由なんて、そんなことをさせられる理由なんてないよ」
「僕のためにマサコ姫を見捨てると? 無茶な論理だな」
「だから、他の人に頼んだって……もっと力の弱い人がやればいいんじゃない」
 ナルの力は強い。不必要なほどに強いと言ってもいい。必要な情報を得るだけではなく、同調した相手の感情や傷みを追体験してしまうこともしばしばで、悪くすれば怪我を負うこともある。
 もっと一般的な能力者なら、そんなリスクを負うことなく捜索ができるだろう。しかし、本物の能力者はそうそういるものではない。ナルは嫌だの何だの言える立場ではないのだ。
「他に当てがない。論外だ」
「あたしができる」
 3人の視線が麻衣に集中した。
 麻衣は3人の視線に含まれた複雑な色に気付かず、必死に言い募っている。
「ユージン様にやり方を教わってるし。できるよ。あたしなら外から見るだけだし、大したことにはならないから。ナルがやるよりずっといい。一番リスクの少ない方法を選ぶのがナルのやり方でしょ!?」
「……そうだな」
 眉を寄せて足を踏み出したリンを手振りで止め、ナルは麻衣から一歩離れた。
「それで、お前がリスクを代わりに負おうという理由は?」
「理由って……ナルにそんなことさせられないもん。ユージン様だって、こういう時のためにあたしにいろいろ教えてくれたんだし」
「あまり説得力のある理由ではないな」
「どうせあたしは馬鹿だよ」
「僕はリスクの少ない方法を選ぶ。お前には任せられない」
「なんで?」
 麻衣はやっと周囲の雰囲気に気付いたように3人を見回した。
「あたしが視ることが、危険だっていうわけ?」
「実績のない人間を、何をもって信用できると?」
「それは……そうだけど」
「せっかくやっていただいても、情報としての価値がない。大体本当にジーンに会ったのかどうかも怪しいものだし」
「……信じてなかったの?」
「簡単に信じるわけにはいかない立場でね」
「……っ! 何よ!」
 麻衣の顔が見る間に赤くなる。恥じらっているわけではなく怒っているのだということは、涙ぐんだ目を見れば分かる。
 彼女の大声に、辺りの注目が集まり始めていた。ナルはそれを横目で確認する。
「そりゃ、仕方ないっていえばそうなのかもしれないけど! だからってそんな言い方しなくてもいいじゃない! あたし自身が疑われてるみたいだよ」
「そうだな」
「……何よ、そうだなって」
「疑っている、と、言ったんだが」
「疑ってるの? あたしを?」
 愕然としたように呟き、泣き出す変わりに大きく息を吸い込んだ。
「このひねくれ男っ!!」
「初めて言われたな」
「じゃあ周りの目もおかしいんだね! お気の毒さま! よく覚えときなさいよ、あんたは世界一のひねくれ者だよ!」
「……不敬罪で捕らえなくてもいいのか?」
 ナルはリンに視線をやった。リンは笑いも怒りもせず無表情で話を聞いている。話を振られて、やっと重い口を開いた。
「私は、以前にも申しあげたとおり、不敬罪より反逆の疑いで断罪するべきだと思っておりますが」
「反逆って……」
「国王に取り入り、偽の情報を流そうとした疑いです」
「してないよ!」
 慌てたように叫ぶ麻衣。シュウもまたちらりとナルを見てから、麻衣に厳しい目を向けた。
「どうしてそんなこと……」
「ユージン様を見たという発言といい、この状況で陛下の代わりに情報提供をしようという申し出といい、タイミングが悪すぎてですね、怪しまないわけにはいかないんですよ、麻衣さん」
「あたしは、嘘なんかついてない。タイミングなんて知らない」
「そう言って通るものじゃないということくらいは、分かりますよね?」
「そんな……ナル」
 すがるような目をナルに向けてくるが、ナルはそれをあえて無表情で受け流し、リンに収拾を委ねた。
「この場はお前の処断に任せる」
「御意」
 リンは腰に佩いた剣をすらりと抜いた。国王の前で佩刀を許されている高官は彼だけだ。麻衣が一歩後ろに下がる。
「陛下の身辺を任されている者として、遺恨は断たせていただきます」
「リンさん……あたしは」
「抵抗はなさらない方が御身のためかと」
 背後の官たちがざわめき始める。ナルたちにとってはよく話し合った末のことだが、彼らにとっては突然の一幕に思考がついていかないのだろう。このような緊迫した状態で、遺恨が残っているのはリンの言うとおり危険極まりない。いくら警戒すると言っても前と後ろへ同時に気をやっていることは難しいのだ。
 仕方ないのだ、と言って麻衣に通じるものだろうか。ナルは静かにその成り行きを見守る。
「あたしは、おとなしく殺されたりしない! がんばって生きてきたのに! 殺されるほど悪いことなんか何にもしてないのに! そんなに物わかりよくなんかなれない!」
 あっさりとリンが動く。麻衣は体をかばうように手を前に突き出すが、目をつぶってしまっては避けられるものも避けられない。ましてリンは手練れの剣士だ。呼吸1つする間に手をねじり上げられ、背を反らせてしまう。こうなっては抵抗どころか、身動きひとつ楽にはできない。
 は、と息を吐いて目を見開いた彼女の眼前に、真っ直ぐ首を狙った刃が迫った。悲鳴がナルの耳を打った。

「そんなに落ち込まないでくださいよ、リンさん」
 シュウが困ったように笑う。リンは先ほどから唇を引き結んで一言も発していなかった。
「上手いことあの場を抜け出すこともできましたし、リンさんの機転で3つくらいのことが一気に解決したんですよ?」
「……機転をきかせたのはナルですから」
「そりゃあ、まあ。いつもながら陛下の状況判断力と決断力には、頭が下がります。麻衣さんには気の毒ですが、完璧な作戦でした」
「私が失敗しなければ……」
「リンさんじゃなければ殺してましたって」
「傷ひとつつけない自信があったんです」
 ナルのベッドには、首にゆるく包帯を巻いた麻衣が気を失って寝かされている。その脇には椅子に座ったナルが首を垂れていた。サイコメトリの最中なのだ。
 つい10分ほど前、リンは麻衣の首筋を狙って剣を振り下ろし、麻衣の全力の抵抗に会ってうっかり剣先をかすらせてしまったのである。といっても皮1枚切った程度の傷で大した傷みも出血もなかったはずなのだが、何しろ殺されると思っていた麻衣は気を失ってしまった。それを抱えてナルの部屋に戻り、手当をして寝かしているのだがまだ彼女は目覚めていない。
 そして寸止めに失敗したリンはすっかり落ち込んでいるのである。
「ナルと麻衣さんに申し訳ありません」
「リンさんのせいじゃありませんよ。麻衣さんが変に暴れてしまったから……」
 そう言ってから、シュウはリンに笑いかけた。
「麻衣さんは、完全に白ですね」
「ええ」
「もし潜入員だとしたら、ものすごく優秀だとしか思えない。その優秀な潜入員が、あんな素人の動きをするはずがない。下手したら本当に殺されていたんですから」
「そうですね」
「僕たちはそれを納得したし、たぶんあそこにいた頭の固いご老人方もそう思ったでしょう。ついでに、みなさん陛下が女性に骨抜きになってるわけじゃないこともよぉく分かってくださったかと思います。いやぁ、陛下、機を捕らえたお見事な判断でした」
「麻衣さんもいいタイミングでいいきっかけをくださいました」
「これぞまさに『遺恨を断つ』ってやつですね」
「ええ。しばらく麻衣さんが疑われることも妬まれることもないでしょう」
「……それはありがたいですね」
「そうでしょうそうでしょう……って、え?」
 いつの間にか、ベッドの上で麻衣が体を起こしている。当たり前のことだが怒りで形相が変わっていた。
 シュウのみならずリンも思わず後ずさる。
「お芝居だったんですね?」
「え、ええまあ……でもこれで僕たちも麻衣さんを信用できますし。荒っぽい入団試験ってやつですよ」
「そんな事情が……今のあたしの耳にはいると思ってるんですかぁぁぁ!!!」
「やっぱりダメですかぁ……いてててっ」
 手当たり次第投げられる枕は、それ自体は羽毛が詰まった柔らかいものだが何しろ込められている力が違う。渾身の力といおうか、死にものぐるいといおうか、ここで仕返しをせずにどうするという一球入魂の恨みがシュウたちを襲った。
「で、でも陛下の案なんですよー」
「言い訳は後で聞きますよっ!」
 怒り狂った麻衣の暴行は、どちらかというとリンに多く当たった。リンの方へより深い恨みを抱いているわけではないだろう。単に面積が広いから当てやすいのだ。
 ふと、何の前触れもなく麻衣の手が止まった。
「……ま、麻衣さん?」
「……ナルの……案ですってぇー!?」
 時間を置いてから頭に浸透したらしい。
 くるりと後ろを向いた麻衣が、椅子に座って目を閉じているナルに向かって羽根枕を振り上げた。
「この腐れ冷血男ーっ!」
「わーっ! それはダメですーっ!」

 それからさらに10分ほどの時間が経ち、折よく麻衣が落ち着いた頃にナルは目覚めた。
 目を開けた瞬間、おなじみの頭痛より辺りの惨状のために顔をしかめたが、そこで何があったかは容易に予想がついた。
「ナル! 気がつきましたか」
 妙にすがるような調子でリンが声をかけてくる。よほどひどい目にあったらしい。
「ああ……」
「大丈夫?」
 麻衣が駆け寄って顔をのぞき込んできた。その目の色を見れば、本当に心配されているのが分かる。彼女が無事仲間として迎え入れられたことを思い、ナルは口元で笑って答えた。
「心配ない」
「本当に? 全然?」
「くどい」
「じゃあ一発殴らせてね」
「は?」
 周りの止める間もなく、ナルが言われた意味を理解する間もなく、かなり力のこもった平手打ちが頬に決まった。
 目を瞬いて視線を戻すと、麻衣が満足そうに笑っていた。
「あーすっきりした。お互い無事でよかったね、ナル」
「……あきらめなさい、ナル」
 悟りきった調子でリンがのたまった。
 ナルはため息をついて抵抗をあきらめると、上体を起こして背もたれに預けた。サイコメトリの後は大層疲れる。これは能力者にしか分からないだろう。
「リン、ケイ姫の別荘を訪れる手はずを整えてくれ。それから、今すぐヴラド大臣の動きを封じる。理由をこじつけて屋敷から出すな」
 リンは驚いたように表情を変えたが、特に反問することもなく部屋を飛び出していった。
 それを見送ったシュウが代わりに疑問を口に出す。
「ヴラド大臣ですか? しかし彼はバリバリの陛下派閥だったような……」
「表向きはね。いつの間にやらケイ姫と結んでいたらしい。やるなと、ヴラドを褒めるべきかケイ姫を褒めるべきか……」
「ケイ姫と結んでいたんですか?」
 ゆっくりとシュウが聞き直す。そのアクセントの付け方に彼が悟っていることを感じて、ナルは小さく微笑んだ。
「ええ、ケイ姫と、です」
「ケイ派と結んだわけじゃないんですね。じゃ、この件はケイ姫本人が裏で操ってるってことですか」
「そうなりますね」
「陛下、何が違うのかよく分かりません……」
 控えめに間抜けな発言をした麻衣を軽蔑の眼差しで見やる。
「馬鹿だな」
「……さっきの仕返ししてるだろ」
 そんな不毛なことはしない、と思いつつナルはため息をついた。
「この派閥争いについては知ってるか?」
「すこぉしだけ」
「知らないなら知らないと言え。ユージンが死んでいたことも知らず、派閥争いにも気付かず、お前は後宮で一体何をしてるんだ?」
「紅茶いれる練習してるんだいっ」
「非建設的だな」
「自分でやれって言っといてーっ」
「リンが戻るまでやることもないから親切に説明してやろう。僕にケイ姫という姉がいることくらいは知ってるだろう?」
「それは、知ってる」
 頬をふくらましながら麻衣が一応うなずく。
「先代には子供が3人いた。上から順にケイ姫、ユージン、僕だ。この内正妻から産まれたのがケイ姫1人、僕とユージンは妾腹。しかも僕たち皇子2人はかなり後になってから産まれた子供だった」
「だからケイ姫が女王様になるはずだったんだよね?」
「そう。僕らが産まれる前に先代が身罷ればそうなっていただろう。しかし先代が退位する数年前に僕らが産まれてしまった。男児がいればそちらの優先権が高い」
「どんなに小さくても?」
「小さかろうが、頭が悪かろうが。ケイ姫は長い間皇帝教育を受けていて、支持する貴族もかなりいたんだが、それでも産まれたばかりのユージンに王位継承権を取られてしまった。やがてユージンが事故死したんで、結局僕が継ぐことになったんだが」
「それは悔しかっただろうね」
「かもな。だが本人のこと以上に僕らが問題にしたのは、ケイ姫についていた貴族たちだ。宮廷の勢力は支持してくれる貴族で決まる。どれだけ位の高い貴族が支持するか、どれだけの人数が支持するか。ケイ姫には支持するものが多かった。もちろん僕らが産まれたことで大半はこちらに流れたんだが、手のひらを返し損ねたやつらも多かった」
「ケイ姫の力も強いままなんだ」
「彼ら、ケイ派と呼んでいるんだが、ケイ派の貴族たちは、ケイ姫に王位についてほしい。ケイ姫が王位につけば自分を支持している貴族たちに当然見返りを与えるからな。僕が王位にいる限り、僕は僕を支持する貴族たちを優先する。当然だな?」
「自分の勢力を支えてくれてるんだもんね」
「本来ならケイ派の人間もじきにこちらへ流れてくるんだが、事情が違った。僕には跡継ぎがいない。ケイ姫はいまだに第一王位継承者なんだ」
「ケイ姫が女王になる可能性はまだあるってこと?」
「あるな。このまま僕が死ぬまで跡継ぎを作らなかったら、なおさらだ。ケイ姫の方が年上だから先に死んだとしても、次の第一王位継承者になるのはケイ姫の娘、マサコ姫だ。どっちにしろケイ派は損をしない」
「気の長い話だねぇ」
「これを悠長に待っていてくれたらな。だが、そうでもないようだ。ケイ派はできるものなら今すぐ僕に退位してほしい。暗殺が手っ取り早いが、疑われては意味がない。もちろんそれも警戒しているが」
 と、ナルは麻衣を見た。正確にはその首に巻いた包帯を、だ。
「だから、あたしも信用するわけにはいかなかったってこと?」
「一応な。ジーンの話を持ち出したりするし」
「ユージン様が何なの?」
「実は、僕がジーンを暗殺したんじゃないかという疑惑がある。ジーンは事故死だ。僕はそれを知っているが、これは信用してもらうしかない。信用できないという人間もいる。そういうやつらは、僕の派閥の中でも中立派に近いな。疑惑が深まればケイ派に寝返る可能性もある」
「でもケイ派がこれ以上強くなっても、ナルが王位にいる限りどうしようもないよね?」
「殺すことができるな。罪をでっち上げることも。支持の得られない国王はつまらない捨て駒になるだけだ」
「そんな……」
「ジーンの幽霊が目撃されるという騒ぎが相次いでいる。これは、ジーンが僕を恨んでいるらしいという……つまり、僕が彼を殺したから彼は天国にいけないんだという動揺を起こすための策ではないかと、僕らはにらんでる。麻衣が会ったというなら本当に幽霊がいるのかもしれないが、それにしても噂の大半は嘘だろう」
「それもまた気長だねぇ」
「僕が跡継ぎを作る気配がないからな。危険を冒すよりはそれでよかったんだろう。だが、事態が変わった」
 麻衣は顔をしかめて自分の胸を押さえた。
「あたしが……」
「そういうことだな。のんびりしていられなくなったわけだ。それで、危険な手段に出た。ケイ派の要人誘拐という大博打だ」
「その罪をナルになすりつけようってわけ? そりゃ、疑う人はいるだろうけど」
「これをどこぞのつまらない貴族が思いついたなら、それだけの話だ。だが、話が違う。計画をしたのはケイ姫本人とヴラド大臣だ。ヴラド大臣はこっち方の重臣だな」
「両方の派閥の超実力者が、手を組んだ、ってこと?」
「ヴラドならこちらの内懐にいくらでも入ってこれる。偽の証拠の10や20、平気で演出するだろう。いつからそんな気になったのかは知らないがな。僕の元でいつまでもシュウやリンに勝てず働いているよりは、ケイ姫本人と共犯者になった方が利益があると踏んだのだろう。実際、計画さえうまくいけばその読みは正しい」
 ナル側の対応が後手後手になっている事実は否めない。ヴラドをそれほど信用していたわけでもないが、損得計算のできる男だと思って油断していた。いや、油断していたのはケイ姫自身が乗り出してくるほど度胸があるとは思っていなかったところだろうか。
 それでも、勝算はあった。ヴラドたちがナルのサイコメトリを過小評価していたことだ。誘拐などという生ぬるい手段ではすぐに発見できる。向こうの行動が読めれば、証拠を挙げることも難しくない。これで証拠を挙げられてしまえば、ケイ姫自身が出てきている以上ケイ派に未来はない。
「ヴラドは子供を作れと一番うるさく言っていたんだが。いい役者だったな」
「ほめてる場合か」
「とにかくマサコ姫は無事だ。ケイ姫の別荘に押し込められている。マサコ姫の方は計画に無関係のようだな」
「じゃあ、本当に誘拐されたんだ」
「実の母親に……悲惨な話ですねぇ」
 シュウもまた眉をひそめたとき、待っていたリンが帰ってきた。
 彼は珍しく焦ったように部屋に飛び込んできた。
「ナル、ヴラドはすでに自宅にいません。今行方を探させていますが、どこに行くとも言わず出ていったようです」
 ナルは椅子を立った。
「行きますか」
「別荘を訪ねる許可は取ったな?」
「はい」
「なら、娘を誘拐された哀れな姉姫を見舞いにでも行くとしようか」

 うん! と、ナルの言葉を聞いて真っ先に席を立った麻衣は、当然のように部屋に閉じこめられた。仮にも国王の妾が気軽に外へ出るなんて、と誰も助けてくれない。別荘といっても、王宮とは目と鼻の先にあるのだが。ほとんど離れといってもいいくらいの場所である。
 しっかりと扉に錠をかけて出ていってしまった面々に、麻衣はすっかりふくれていた。部屋に残されても無駄に心配することしかできない。窓から出ようにも、外はかなり高い壁になっている。人より少し丈夫だとはいえ、女が飛び降りて無事で済むとは思えなかった。
「何よ、もう。あたしだけのけ者にして」
 要するに彼らが心配なのである。敵の本拠地に乗り込んでいくわけだ。いくらリンが手練れでも、危ないには違いないだろう。
 どうにかして外れないかと扉をいじっていた麻衣だが、そう簡単に外れるわけもない。すぐにあきらめざるをえなかった。
 このまま何時間も待っていなくてはいけないのだろうか。そう思った時だった。軽い金属音がして、扉が柔らかなカーブを描きながら開いた。
 そこから入ってきた人影を見て、麻衣は驚きの声を上げる。
「ナル!?」
 美貌の青年は、それを聞いてにこりと笑った。
「違う……ユージン様?」
「うん。助けに来たよ、お姫様」
「助けられるお姫様はあたしじゃないですよ」
「だね。この国で一番綺麗なわがままさんだ」
 麻衣は首をかしげた。
「マサコ姫って、そんなに綺麗なんですか?」
「彼女も綺麗だけど、彼女のことじゃないよ」
「……じゃ、ナル?」
 ユージンはたとえようもなく美しい微笑みを見せた。麻衣は思わずため息をついてしまう。
「……お姫様って……」
「他に頼れる人がいないんだ。ナルを助けてきてね、麻衣」
 麻衣は顔を上げ、はっきりとうなずいた。

 その頃、ナルたち一行はケイ姫の別荘に辿り着いていた。本来なら馬車を使う必要もないくらい近い。一応街の端を通るので馬車を用立てたが、支度が整うのを待つくらいなら歩いた方が早いのではないかという距離である。
 湖畔にたたずむ別荘の前では、青ざめた面もちの召使いが馬車を待っていた。
「いらせられませ、陛下。姫様のためにわざわざご足労いただきまして、大変感謝しているとの仰せです」
「それは、会いたくないという意志表示かな?」
 若い召使いは萎縮して震えんばかりにしている。
「ケイ姫様におかれましてはマサコ姫様が行方知れずでいらっしゃるご心労が辛く、今朝からふせっておしまいです。陛下にそのようなお姿をお見せするのは、申し訳なく、はずかしいとのお言葉でして……」
「姉弟の仲だろう。恥ずかしがることはないとお伝えしてくれ。僕は帰るつもりはない」
「は、はい……確かにお伝えいたします! どうぞ、中でお待ちくださいませ。どうか、どうか姫様のお支度をお待ちいただけますよう」
「忠義なことだな」
 ナルは唇の端に笑みを浮かべて、召使いの言葉に確約を与えはしなかった。それに彼女も気付いていたかもしれないが、国王相手にそれ以上食い下がれるわけもない。黙って頭を下げ、ナルらを屋敷の中へ通した。
 屋敷は、ケイ姫の柔らかい雰囲気を映したように落ち着いた造作であった。掃除も行き届いており、ところどころには華やかな生花や絵画が飾ってある。調度品も品があって悪くない趣味だと思えた。
 ケイ姫は民衆にも人気のある姫である。ナルのような華があるわけではないが、誰にでも優しく気さくで聡明な女性として慕われていた。表と裏の顔を持つ人間は珍しくもないが、自分をも騙すとは見上げた根性だったな、とナルは思う。
 ナルはもちろん、同行してきたリンとシュウも佩刀している。いつでも立ち回れるように油断なく辺りを見回しながら、ナルの視線をうかがった。
 ナルは滅多なことではこの屋敷に足を踏み入れない。けして仲がいいわけでもない姉姫の別荘である。危険を冒してまで訪問しようとは思わなかった。それでも訪ねてきたのは、即位の祝賀会を催してもらった時のみだ。
 たった1度の記憶を頼りに、先ほどビジョンで視た部屋がどこにあるのかを思い描く。別荘といっても王族の別荘、何しろ広い。しかも見つかってはまずいものを隠しているのだから、そうそう目につくところではないだろう。
 窓から見える景色はどうだったか。扉はどちら側についていたか。地面からの高さはどのくらいだったか。
 感覚で捕らえていた光景を情報として捕らえなおしながら、ナルは屋敷の構造を頭の中で組み立てていった。
(1階というには、窓から見える木の枝ぶりが細かった)
(木が間近に見えていたということは、前庭に面した側ではない)
(窓は……2方にあった。扉を背にして、正面と左)
 ナルは召使いの先導を無視して、途中から方向を変えた。
「陛下! そちらは家人の私室にございます。散らかっておりますので、どうか……!」
「構わない。会いたい人間がいる」
「屋敷には、姫様と召使いどもしかおりません。すぐにお呼びしますので、今しばらくお待ちを!」
「自力では歩けないと聞いた。構わないと言っている。下がれ」
 召使いはうなだれる。言い逃れはできないと悟ったのであろう。
 リンとシュウもナルの後に続いた。ナルは、後ろの2人に囁く。
「裏庭側の右端だ」
「了解です」

 果たして、姫はそこにいた。父親譲りの黒髪、ジパングの人形によく似た美しい娘である。
 窓には鉄格子が入り、扉にも大きな錠がかかっていたが、マサコ自身は縛られることもなく自由に部屋を動いていた。リンに錠を壊させて入ってきたナルを見ると、整った顔を艶っぽく輝かせる。
「陛下。助けに来てくださったんですのね」
「ええ、まあ」
 ナルはこの娘が大変苦手である。おざなりな返事をして後は人あしらいの上手いシュウに任せようとした。後はケイ姫を捕らえ、ヴラドを探し出し、それで終わりである。マサコの無事を確保した今、後のことは専門の兵に任せても構わないはずだった。
 何かひどく悪い夢に出てくる悪魔のように、ヴラドが壁を抜けて姿を現さなければ。
 急にねじれたような壁から唐突に、そしてごく普通の顔をして部屋へ入ってきたヴラドは、ナルを見てにやりと嫌らしく笑った。
「これは親愛なるオリヴァー陛下」

第4話へ

作者のたわごと

 まぁ……世の中、いろいろありますよね(それで済ますな)。
 だいじょーぶ! 続きは同時アップです!
 単にちょっと長くなっちゃっただけです!
 さあ、こんなの読んでないで続きへどうぞ!!(爆)

  1. Page Top
  2. Back
  3. Next
  4. Menu
  5. Home
mailto:alice☆chihana.net