アリスのお茶会

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 ヴラドは腕に女性の体を抱えていた。背格好はマサコとよく似通っており、髪は漆黒。違うのは、マサコの肌が白く透き通っているのに対し、この女性の全身は本人ののどからあふれだした赤い液体で派手に染め上げられていたことだけである。

Once Upon A Time 4

...He conflicted with devils.

 無造作に床へ放り出された女性をナルは一瞥したが、今さら助かるものでもないことは一見して知れた。とっくに息絶えていることだろう。本来ならこの美しい絨毯の上ではなく、どこぞの山奥にでも捨てられるはずだったに違いない。そして、何年か経ってすっかり白骨化した頃、上手いこと発見されたはずだ。マサコの死体として。
「化け物の生まれだったとは知らなかったな、ヴラド」
「知らないのも無理はありません。ほんの1年ほど前からの話でしてね」
「そういえば、最近顔を合わせていませんね、大臣」
 言ったのはリンだ。彼には人外のものを見抜く力がある。リンに会っていたらとっくにばれていただろう。
「噂だけかもしれませんが、一応あなたの能力は知って避けていましたからね、青眼のリン様」
「賢明です。私たちには忌々しい限りですが」
「ケイ姫はあれでなかなか話せるお人です。悪魔降臨などという素晴らしい技術を持っておいでだ。おかげでいろいろと楽しい思いをさせてもらいましたよ。おっと、これは秘密にしておいてくださいね?」
 ヴラドは馬鹿にしたように笑う。
「残念ながら、僕にはこの国を守る役目があってね。悪魔を降ろした輩を放ってはおけない」
「そうですか。それは私も残念です。では、お慈悲にすがるのはあきらめて、黙っていただけるように努力しましょうか」
 言うなり、マサコへ向かって駆け寄る。その素早い動きに、何とかついていけたのはリンだけだった。リンの持つ長身の剣と、ヴラドの細剣がかち合う。
「3対1とは卑怯ですねぇ。こちらも援軍を呼ぶとしましょうか」
 ヴラドは片手でリンの剣をぐいぐい押し返しながら、空いた片手を宙に舞わせる。部屋の片隅にあった物陰の闇から、闇の塊とでも呼ぶべきものが2体起きあがった。悪魔の眷属である。
 マサコは部屋の隅へと逃げながら、必死に何かを唱えている。高名な霊媒である彼女だから、退魔の術を心得ているのかもしれない。
 しかし、そんな程度のものに頼るわけにはいかない。悪魔ともなれば、そこらの浮遊霊とはわけが違う。ナルは右手をしっかりと握りしめた。
「陛下……」
 シュウが咎めるように囁く。何とかして切り抜けられる場面であればナルも忠告に従っただろう。これはナルの命を縮める。だが、使わなければ今ここで死ぬしかないのだ。
 ジーンがいれば何の問題もないのに。そんな思考は、右手に集中する意識の中をかすって消えた。
 空間が歪み出す。ちりちりと肌を焦がす不快感は、右手を中心に広がっている。これを放出すればこの程度のことでは済まないと分かっている。
 リンの剣は半分がた押し返されている。迷っている暇はない。
 決心をつけかけた時だ、慌ただしい足音がした。本当はもっと前から聞こえていて然るべきものだったのかもしれないが、室内の騒音にすっかりかき消されていたのだ。
「ナル! ちょっと待って!」
「麻衣さん!?」
 シュウが声を上げる。
 集中を解かれて、固まり欠けていた力がほとんど霧散した。
 リンの剣が弾かれ、新たな形に組み替えられる。先ほどよりよほど危険な形で剣と剣は拮抗した。闇の人形は、かろうじてマサコの呪言に食い止められている。マサコの額から汗が流れ落ちていた。
 部屋に飛び込んできた麻衣が、ナルの右手を強引に取って、その場にひざまずいた。
「あたしにジーンを降ろすから。絶対できるから。信じて、ちょっと待って」
 言いながらも、すでに麻衣は集中に入っている。
 シュウが焦ったように2人を見比べた。
「陛下」
「構わない。やれ」
 目を閉じた麻衣の唇が、少しだけ微笑んだ。
「仕方ないなぁ。僕じゃどのくらい保つか分かりませんからね」
 安原が抜き身の剣をひっさげて鈍く動き始めた闇の眷属に躍りかかっていく。彼は生粋の文官だから、本当にどのくらい保つか分からない。
 悪魔は、少々の切り傷で滅びたりはしない。火をかけるか、場合によっては首を切り落とすか、あるいは特殊な力で存在から滅ぼしてしまうしかない。この場でとどめをさせるのはナルだけだと言っても間違いではなかった。
 ナルは国のためにいる。ヴラドが明らかに害を為す存在である以上、自分を犠牲にしても滅ぼすしかない。それが国の論理だ。だが、麻衣にはどうもそれが通じないらしい。彼女はナルをごく普通に1人の人間として認識しているのだ。国王なのだと理解しているのか。宮殿に残れと命令しても聞きはしない。国のためだと因果を説いても分かっているのかいないのか、なかなか従わない。
(妙なものをもらった)
 麻衣がゆらりと立ち上がった。
 ナルに向かって、にこりと笑う。それは、麻衣自身の笑顔によく似ている。
「ナル、もういいよ。やろう」
(そういえば、ジーンに似ている)
 ユージンも国のためということを理解しない人間だったから、王位を奪ったナルを恨んでいるわけがないのだ。

 先ほどから、マサコはずっとナルにすがって泣いている。
 その横で、麻衣はシュウとリンに説教を食らっていた。
「よくここまでたどりつけましたね」
「場所は分かってたから、研究所に飛び込んで援軍を頼んだんだよ。下に綾子とまどかさんが来てるんだ」
「一体どうやって抜け出してきたんですか? 危険なことをしたのではないでしょうね?」
「うーん、あたしも窓から飛び降りようとか考えたんだけど、とてもできそうになかったからやめたよ?」
「それなら、どうやったんですか。錠が外れるとは思えませんが」
「また疑わしくなってきた?」
「いえ、ユージン様を降ろしてナルのPKを受け取るなど、普通危なくてできませんから」
「ふふふ……そのね、ユージン様が鍵を開けてくれたの」
 シュウはあきれたようにため息をつく。
「ユージン様はやけに麻衣さんの肩を持つんですねぇ」
「ナルを任せたいみたいだよ、あたしに」
 3人は何となく、ナルの方を見る。ナルはマサコに抱きつかれて閉口したように、それでも振り払うことができず泣かせるままにしている。
 シュウはそっと麻衣に耳打ちした。
「悔しくありませんか?」
 麻衣はくすりと笑う。
「あそこで振り払えないナルが好き」

 結局、寸前で手加減されたヴラドは捕らえられ、神殿の采配によって火あぶりにされることになった。何しろ位の高い官であるため、誰も見ていない場所で勝手に手打ちにしてしまうことははばかられたのである。異端者は火あぶりと決まっている。滅ぼせないという心配はないと思われた。
 ケイ姫はしばらくの間逃亡していたが、外出に不慣れな女の身で数刻と保たずに捕らえられた。死刑になることもありえるが、王族であることもあり、精神に異常をきたしていると思われたこともあり、おそらくはどこかに幽閉されることになるのだろう。
 乱戦で負った傷の手当を麻衣にさせながら、ナルはそういったことを簡単に指示し、後のことを専門の官たちに任せた。そもそも本来なら彼が自ら出ていく筋合いではないわけだが、ことが慎重を要する事態だっただけに、大げさにせず処理したかったのである。下手をすればマサコまで一味と思われてしまう可能性もある。
「これで、ケイ派はおしまいですねぇ。いやぁ、めでたいめでたい」
 祝賀会をしましょうとでも言いかねない調子でシュウが笑う。
 リンは、シュウほど単純には喜んでいなかった。
「同じことですよ。いつも今回ほど分かりやすい悪人がいるわけじゃない」
「まぁ、今回の主犯たちは本当に悪魔関係者さんだったわけですが、やったこと自体はよくある駆け引きですからねぇ」
「これからもありますよ」
「手を変え品を変え……争いの種はつきませんからねぇ」
 それでもシュウはまだ笑っている。ことを深刻に感じさせないのが彼のスタイルだ。
「逆に、王位継承権を持ってる人間が少ないのがラッキーかもしれませんね。あとは、有力な王族ってマサコ姫だけでしょ」
「マサコ派ができますか」
「母親のケイ姫が捕まりましたから、ケイ派ほど強くないでしょうけどね」
「できますか、やはり」
「できるでしょう、やっぱり」
 2人は次の争いの火種について世間話のように話し合っている。
 ナルは特に口を挟まずそれを聞いていた。そういうものだと、彼はよく知っている。覚悟もできている。
「でもねぇ、あたし自分もナルもちょっと安全になるいい案があるんですけど」
 ナルの左腕にできた浅い裂傷を水とアルコールで清めながら、麻衣が言った。
「へぇ、どうするんですか?」
「あたしがナルの子供を産むの。そしたら跡継ぎもできて、あたしは正妻になれるかもしれなくて、ちょっとハッピーじゃないですか?」
「……だから初めからそうして下さいってお願いしてるはずですが……」
 シュウとリンは深いため息を吐く。
 この娘の馬鹿さ加減はどうにかならないのだろうか、とナルもまた冷たい目で椅子の横にひざまずいている麻衣を見下ろした。
「そりゃそうだけど……でも、その話全然進んでないし……」
「進める気があったのか?」
「あるよぉ。だから、あたしはナルがいいって言ったじゃない」
 話の流れですらっと言われた言葉に、空気が止まった。
 麻衣は赤くなっている。
 シュウは1つ咳払いをした。
「……名案ですね」
「確かに、いい案のようです」
「万事ハッピーですよ、実際。それがいいと思います、陛下」
「それでは、私たちはこれで……」
「どうぞ、心おきなく」
 2人はそそくさと立ち上がった。
 後にはやけになったようにナルの腕を水浸しにしている麻衣と、上手く反応できないでいるナルが残された。

 2人きりで残されてから、かなりの時間が過ぎた。もう必要ないだろうに傷の消毒をやめようとしない麻衣は、うつむいてナルを見ようとしない。
「何か意見言ってよね」
「何を」
「困るとか、ありがたいとか、あるでしょ。いろいろ」
「へぇ」
「へぇじゃないっての!」
 とりあえず、困りはしない。ナルは考える。ありがたいわけでもない。試してみるにはかなりの思い切りが必要だ。
 今まで、後宮の部屋に入ることさえ苦痛だった。どんなきっかけで部屋の主の心情を読んでしまうか分からなかったからだ。それは決まって痛みを伴う心情だった。
 彼女たちにも夢見ていた未来があった。愛の囁きを交わしてみたかった。手順を踏んで、甘い期間を経て、もったいぶった婚儀をあげてから決意をする時間がほしかった。それらすべてを置き去りにして、ただ王家の血筋をつなぐために大勢の妾の1人として後宮に放り込まれたかったわけではないのだ。
 そういった悲哀を踏み台にして、ナルは今ここにいる。それが悪いともいいとも思わない。そういったものだと悟っているだけだ。だが、その悲哀を間近に感じてしまえば無視はできなかった。
 仕方ないと、彼女たちは心の中で泣いていた。
「麻衣」
「はーい」
「これは命令だが。笑え」
 麻衣は伏せていた顔を上げる。ただ怪訝そうな顔をしているだけだ。
「最初の謁見の時にもそう言ったよね。それって何のテスト?」
「笑え、と言ってるんだが?」
「面白くも嬉しくもないのに笑えない、って言ったよ?」
 予想はしていた答えだったが、それでもナルは呆れた。
「僕はお前の主人なんだと分かってるか?」
「……一応」
「命令を聞く気は?」
「……あります」
 麻衣は不服そうにふくれた。
「笑えばいいの?」
「いや」
「何なのよー」
「消毒はもういい。さっさと包帯を巻け」
「……はいはい!」
 脇に置いてあった包帯をそれでも丁寧な手つきで巻き始める麻衣を見ながら、ナルは後ろで結っている麻衣の髪を持ち上げてほどいた。
「きゃっ。な、なに?」
「そのままでは横になれないだろう」
「え……あ、ああうん」
 これから何が起こるのか悟ったらしい麻衣は、顔を強ばらせて包帯を巻く作業に戻った。やけに手が遅くなったようだ。時間稼ぎのつもりか。
 それでも拒む気はないようだ。彼女を試すのはもう充分だろう。自分を試してみるか、と彼はかなり楽な気持ちで思った。試験を前にした緊張のようなものは何もない。合格することを知っている気分だな、と分析すると興味深い思いがする。
 どんな頼み方をしても無理強いになると、彼は知っていた。だから誰にも手を出す気になれなかった。
(どうやったら、彼女に無理強いができる?)
 命令を聞こうという気がない人間に。
 無理強いしてみたいくらいだ。命令を聞く気にさせられるか? それもまた、興味深い実験かもしれない。
 包帯の端が巻いた部分に押し込まれた。
「終わったな?」
「あ、いやちょっと歪んじゃったかなと……」
「それでいい。立て」
「……や、やだ」
「……へぇ?」
 ナルが椅子に座り、麻衣がその脇にひざまずいている状態である。ナルも床に降りればともかく、その気はない。となると手を伸ばして届くのは髪と顔くらいのものである。
 手近の顔を指先でなでてみた。麻衣は唇をかみしめ、目を閉じている。逃げる気はないくせに、従う気もない。意地を張っているだけだと一見して分かるのが安心できた。
 右から輪郭をたどって、あごまで辿り着くと親指で唇を押さえてみる。ふれるかふれないかのところで往復させているうち、きつく閉じられていた唇は軽く開いた。いつしか顔も上向いて、口づけを待つように見える。その口に軽く指先を侵入させて歯をなぞった。
 直接的な快楽というものはないのだろうが、陶酔はお互いに得られる。
 ナルはもう一度ゆっくり命じた。
「立て」
 麻衣は目を開けてナルを見つめる。
「届かない」
「……偉そうだよね、ホント」
「実際偉いのだと思うが?」
「まーね。あたしよりは偉いかな……」
 麻衣はそっと立ち上がる。そうすると今度は座っているナルの方が低い。さてどう言ってやろうかと思案していると、麻衣からかがみこんで口づけをしてきた。

「完璧でしたね」
 シュウは心底安心したのだろう、晴れ晴れとした笑顔を浮かべながらリンと共に帰途に就いていた。
 もう少しで一生後ろ暗い思いを抱えながら、次王の父という重責を背負わなければならなくなっていたのである。それは安心もするだろう。実に文句ない形で決着がついた。これこそハッピーエンドというやつだ。
「麻衣さんには感謝しなくてはいけませんね。彼女でなければこうはいかなかった」
「ホントですよねー。彼女を連れてきてくださったミカミ氏にも、真剣に見返り考えなくちゃ」
「ミカミ氏と言えば、今度またいらっしゃるそうですよ」
 シュウは嬉しい驚きでリンを見上げる。
「そうなんですか? 僕得意の腹芸でも見せちゃいますよ? 研究所の人たちにしか見せたことないんですから」
「……では、采配は私が請け負いましょう」
「滝川さんたちにも何かやらせないといけませんね、これは」
 シュウはにこにことして少し足を早めた。
「また忙しくなりますねー」

 そして、物語はこう結ぶ。

...They'd lived in happy ever after.

おまけがあります〜。こちらからどうぞv

作者のたわごと

お……終わった……。え? 終わったの? 本当に終わった?(涙)
 私の大っっ好きな「ポリティカルラブストーリー」、途中からなぜか「ポリティカル」に重心が行き始めて、私は楽しいけど何か違っ! と思ってたんですが、なんとかかんとか辿り着きましたね〜。
 予定通りの展開でしたが、なんだか予定と違う雰囲気になりました…。ヴラド氏にもこんなに活躍していただくつもりはなかったんですが…(笑)。ぼーさんたちにも名前だけじゃなくてお出まし願うつもりだったんですが…(笑)。

 とにもかくにも、長い話を読んでいただいてありがとうございました(^^)。これで完結です〜v

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