ケリーが意識を取り戻したのは、盗賊団との交渉が無事終わってさてどうするかなどと言っていた時だった。
幸い、今日のご一行は玉砕覚悟で最後の1人まで戦うような連中ではなかった。あたしが戦線に参加してほどなく、圧倒的な不利を悟ったか気絶した仲間を抱えて逃げ出していった。
もちろん普段ならおとなしく逃がしてやるあたしではないのだが、ケリーをほっぽって行くわけにもいかないので有り金全部とアジトの場所だけで勘弁してやったのである。あたしったら太っ腹。……まぁもちろん今晩時間があったら襲撃するつもりだけど……。
でも、実際問題いつもよりちょびっとだけ苦労させられたにしては、見返りが少なすぎるというものである。
そんなこんなの恨みを込めて、あたしは起き上がったケリーをにらみつけた。しかし、彼女も負けず劣らず鋭い目をしていた。
「リナさん……あの人たち、殺したんですか」
「見てたでしょ」
ケリーはそれを聞くと、辺りを見回す。2人ばかり倒れたままになっているのを見つけて、そちらへ駆け寄った。
あたしはわざわざ間近で見たりしていないが、たぶん乙女の精神衛生上よいものではないだろう。片や胸をばっさり、片や雷の当たり所が悪くて黒焦げである。血の臭いが少し離れたここまでただよってくる。空気をねっとりと重くするような、息をしがたくなるような、錆くさい臭いである。
幸いよく見えないが、血まみれの男の体で1部分ピンクっぽいの、あれははらわたじゃないだろうか。ちらちらと白いのは骨がのぞいているのだろう。1太刀で命が途切れるほどに深く切り込んだのだから、ジョークになるような状態ではないはずだ。
もう1人はところどころが炭化している。剣を持っていた右腕は墨のようになっているし、燃えやすい髪もすっかり焼け焦げている。胴体などの水気が多い場所は原形をとどめているが、それだけに水疱に包まれた肌がむごたらしいのをあたしは知っている。
ケリーは彼らの体を1つ1つ検分して、口を押さえた。そのままくさむらに駆け込んで嘔吐するのを、あたしは黙って見ていた。気持ちが悪くなるようなものを、わざわざ見に行ったのだから仕方ない。あたしとて、初めて人を殺したときにはそんなものだった。
ちらりと横を見ると、ガウリイも静かな瞳でケリーを見ていた。
あたしの視線に気付いて、かすかに微笑むその瞳はどこまでも深いブルーだ。海のように深くも思え、空のように輝いても思える。
彼は、とても澄んだ目をしている。迷いがなく、優しい瞳をしている。
しかし、あのむごい死体を作ったのは彼だ。
そして、あたしだ。
あたしも、彼のように静かな目をしているのだろうか。
涙をこすりながら戻ってきたケリーは、うつむいていた。
あたしは、冷たく響くことを承知で、言う。
「――あんたが手を出さなければ、殺さずに済んだのよ」
リナ、とガウリイが軽くとりなすように言ったが、無視した。
今度同じことをされたら、無事で済むかどうか分からない。また人を殺すことになるのも嫌だ。厳しくても釘をさしておかなければならない。
「あたしたちだって、むやみに人殺しをしようと思ってるわけじゃないわ」
ケリーは体の脇で握りしめた拳を震わせた。
「……でも、穏便に済ませようとは思わないんですね」
悪人に人権はない、と自論をぶちかましたかったけど、やめておいた。言ったが最後火炎球唱えそうなくらい、彼女の目が切迫していたからである。
「穏便に済ますって言うのは、あいつらに有り金をくれてやるって意味よね? そんなことをしてたら、あたしたちの生活はどうなるの? 路銀が尽きて野垂れ死にするの?」
「人が、お金のために殺し合いをするなんて……」
「でも、そうしなきゃ生きていけないのよ」
「口があるのに、話し合いはできないんですか」
「話し合いなら、したわよ。力尽くで行こうって言ったのは、あいつら。その時点で、あいつらは反撃されても文句言えないのよ」
「初めから、それ以外の方法でどうにかしようとなんて、してなかったじゃないですか!」
それは、確かに。でも。
「それは、学んでるからよ。あいつらに穏便なんて言葉がないことをね」
あいつらは初めから力にものを言わせる気で来ている。お金は渡せませんごめんなさいと言って済むなら、あたしだって100回に1回くらい謝ってやってもいい。別に紳士的な相手を攻撃するほどあたしは無分別じゃない。もちろん働かずに儲けようなんて輩は大嫌いだが。
「戦わずに両方損しない方法があるなら、教えてほしいわ。殺したいわけじゃないのよ」
ケリーは唇を噛み、しばらく考えていた。
「……心は、痛まないんですか」
あたしはまっすぐに彼女を見る。
あたしだって心苦しいのよ、とでも言ってやれば気が済むのかもしれない。でも、ここで出まかせを言えるほどあたしは大人になれなかった。あたしは、あたしの生き方を恥じてはいないのだ。
「あたしは、思ったとおりに生きてるだけよ。良心にもとることは何もしてないわ」
「そうやって戦った結果、誰かが傷つくのは仕方ないことですか」
「仕方ないわね」
「戦いを始めたら、反撃されるのは仕方ありませんか」
「ええ、仕方ないわ」
「彼らにとって、あの人たちは仲間だったはずです。仲間が殺されても、あなたは仕方ないと言えますか」
「そうね、たぶんね」
あたしは正直に答えた。
もちろん、後になってから友人をなくしたことを悲しむだろう。
しかし、我を通すために傷つけ傷つけられるのが、戦いだ。
お互いに譲れないものがあり、命をかけてもそれを通したいと思う、だから戦う。人が痛いのはいいけど自分が痛いのは許せない、なんてこと言わない。その結果負けたとしても、悔しいだろうが、言ってしまえばそれだけのことである。
そうでも考えなくては、人を斬ったりできない。
人を斬るたび、斬られるたび、いちいち泣いて悔んでいたら先に進めなくなる。人の弱っているところを見逃してくれるほど世の中は甘くない。あたしはそれを学んできた。のんびり泣いているところを後ろからばっさりやられた日には、あたしが倒してきた相手にも申し訳ない。
「……そうしなければ、生き残れないのよ」
付け足したあたしの声は、いくぶんぶっきらぼうになった。
ケリーはあたしを見つめて瞬き、分かりましたと呟いた。
「よく、考えてみます」
「ええ、そうね」
「……私は、リナさんたちが感情的な方だと思いましたけれど、なくしてしまったものも、やはりあるんですね」
あたしは答えなかった。
同情的な言葉に腹が立ったからではない。これから同じものを乗り越えなければならない彼女に、あたしもやはり同情めいたものを感じていたからである。
もしかしたら彼女が訴えるように、あたしは自分を守るために、痛みを感じる何かを少し殺してしまったかもしれない。だが、あたしはこの道を後悔などしていない。
歩き始めた彼女を追うように動き出した時、なぜかガウリイがあたしの頭をひとつ叩いた。
見上げた彼はまっすぐ前を見ていて、その感情をはかることはできなかった。
この優しい人もまた、何かを殺しているんだろうか。
あたしは弱いガウリイを見たことがない。
それから、ぽつぽつと話をしながらあたしたちは歩いた。
ケリーは以前魔族に家族を殺されているという。それで殺戮への怒りに燃えて今の研究を始めたらしい。彼女が研究しているのはあくまで生き伸びるための手段であって、戦いとは微妙に違う。襲ってくるモンスターを排除するのにためらいがなくても、人間相手の争いは別だった。彼女は、魔族に対する恨みのあまりか、人間全体を味方として考えているような節があった。
あたしは彼女のように考えることができないけれど、言っていることは理解できた。
ただ、現実には人間のすべてが味方などではありえないというだけの話だ。むしろ、仲間といえる人間はごく少数だ。こちらが弱っていても、役に立たなくても見捨てない相手。自分に不利益があってもかばおうとしてくれる相手。
それが滅多にいない以上、弱みなどをさらしながら歩いてはいられない。
そんな風に1刻ばかりも鬱々と歩いた頃だ。
ふいにガウリイが立ち止まった。
「……敵?」
聞くと、ガウリイは首をひねってまた歩き出した。
「うーん、何かいる気がしたんだが」
「いなくなったの?」
「ああ」
あたしも首をひねった。
やっかいごとに巻き込まれるのはいつものことだが、とりあえず現在付け狙われている記憶はない。あるとすれば先ほどの盗賊団の残党だけど、それならかかってくればいいはずである。こちらの戦力が分かっているのに偵察めいた真似をしてもしょうがない。
とにかく、少しだけ警戒しながらまたしばし歩いた。
それが起こったのは、森に囲まれた道をぽてぽて進んでいた時である。
となりのガウリイが突然緊張したかと思うと、かなり前を歩いていたケリーに鋭く怒鳴った。
「伏せろっ!」
あたしは咄嗟に短剣へ伸ばしていた手を離し、あわててその場にうずくまった。口の中では呪文を唱え始める。
あたしには何の危険も察知できない。しかし、ガウリイの野生の勘は本物である。一瞬の迷いもなかった。
「……へ?」
ケリーの方はそうはいかないようだった。
伏せるどころか立ち尽くし、きょときょとと辺りを見回していたりする。
ゆうに10歩は先に進んでいたケリーのところへ駆け寄ろうと腰を上げかけたあたしは、ガウリイに手を引かれて阻まれた。
彼はあたしを放り投げるようにして手近な岩の陰へ押しやった。押されたというより、岩に激突したという方が正しい。ガウリイは基本的に乱暴な扱い方をするやつではない。何かが物凄くヤバイ、という悪寒のようなものが背筋を走った。
重いものがどさりとあたしに覆いかぶさる。あたしは全力で風の結界を張る。
それは、せいぜい1秒の間のことだった。
呪文を唱えながら、あたしは見た。
どこか遠くから走ってきた赤い火線を。
それが少し離れた場所で木に当たり、暴風のような破壊が周囲に撒き散らされるのを。
集中を途切れさせることなく結界を張り終えた自分を、あたしは褒めてやりたい。
――竜破斬だった。
風の結界を解き、上にのしかかってかばってくれたガウリイが退いた後、あたしが真っ先にしたことは竜破斬を唱えることだった。
先ほどの竜破斬、あたしほど魔力の強い人間が唱えたものではない。その上遠くから放ったせいで狙いが甘かったため、小さな怪我で済んだのである。少なくとも結界とガウリイの体に守られたあたしは。
遠くから大技で攻撃、これはあたしもよくやる手である。
しかし、相手には誤算がいろいろとあった。
まず、森の中で視界が悪かったこと。自分の位置を悟られないためだろうが、こちらの居場所を誤認するようでは仕方ない。先ほどガウリイが感じた気配はあたしたちの位置を探りに来たものらしい。その後の移動距離は適当に目測したんだろう。
そして、こちら側の咄嗟の判断力。岩陰に隠れて爆発の前に風の結界を張るなど、少しでも迷ってしまったら間に合わない。
何よりも、ガウリイの危険察知能力。普通、迫ってくる呪文に何10メートルも先から気付いたりしない。
一撃必殺のつもりだったのだろうが、生き延びてしまったからには有利なのはこちら。向こうはこちらがどうなったのか分からないだろうが、こちらからは向こうの位置が特定できてしまったのである。
「黄昏よりも昏きもの――」
離れた場所に、小さなクレーターができている。木が緩衝材になったのか、術者の能力不足か、あたしが全力でやった時ほど激しいことにはなっていない。それでも辺りの木がべこべこと薙ぎ倒されているが。
横目で確認したガウリイは、さすがに応えたのか小さくなってしまった岩に背を預けて荒い息をついている。その体は細かな傷だらけだ。
彼は岩陰に隠れて直撃を避けた。少し遅れたとはいえ、結界の中にも入った。もともと頑丈だし、プレートメイルをまとっていて少々の衝撃では傷つかない。
「血の流れよりも紅きもの」
だけど。
ローブ1枚で立ち尽くしていたケリーは……?
あたしは、彼女がいたはずの方向を見ることができなかった。
「時の流れに埋れし 偉大な汝の名において 我ここに闇に誓わん
我等が前に立ち塞がりし すべての愚かなるものに
我と汝が力もて 等しく滅びを与えんことを――! 竜破斬っ!」
全力ノーセーブの術が遠くで破裂した。
すっかり見晴らしがよくなってしまった森を進み、破壊の後が途切れた辺りであたしたちは野営をした。
当然といえば当然のことだが、敵を始末した後に駆け寄った時、ケリーは事切れていた。
倒れてきた大木に押しつぶされたらしい。
魔法と腕力でその木をどかし、彼女を埋葬した。その作業のために時間がかかり、あたしたちは予定していた村まで進めなかったのである。
その後、盗賊団の残党からの襲撃はなかった。あたしの竜破斬が一掃したのか、あるいは必勝だったはずの策を破られてあきらめたのか。どうせあきらめるならもっと早くにそうしてくれればよかった。
言葉少なに焚き火をおこし、保存食をかじる。それは味気ない食事だったが、ケリーの分も計算されていたから量だけはあった。いらない、などと自己満足的なセリフは吐けない。ガウリイも黙々と食べた。
そのまま寝てしまおうかとも思ったけど、抱え込むのはよくない気がした。だから、あたしはもやもやを焚き火にくべてしまうつもりで、言う。
「……護衛失格だったわ」
となりの相棒が、あたしの方を向く。
「自分の身を守るのが、最優先だ。傭兵として当然だろ」
「あんたは自分じゃなくてあたしを守ったわ」
「自分も守ったよ」
柔らかく言うが、反論する口調ではなかった。
彼だって自覚しているのだろう。あの時、彼はとりあえずあたしだけでも助けようとしたのだと。
「無茶ね」
炎がゆれて、彼の顔の陰影がゆらゆらと動く。
「失格だったのは、オレだな。咄嗟にリナを守ろうとした」
「そうね、失格ね」
彼があたしではなくケリーをかばいに走ったら、どうなっていただろう。
あたしは無事じゃ済まなかっただろう。結界だけでどのくらいの防護になったのか。意識を失っていた可能性は高く、すぐさま反撃に移ることはできなかっただろう。そして残党には逃げられていたか、あるいはとどめを刺された。
ケリーは、助かっただろうか。死にはしなかったかもしれない。ガウリイは少しでも安全な場所へ逃げ込ませただろうから。あたしにしたように、多少強引でも。
結局、全員無事で済む方法はなかった。
でも、より弱いケリーをかばった方が、まだ少しはマシだったような気がした。
――彼は命を選択した。
「仕事、失敗しちゃった」
「ああ、そうだな」
「別に、彼女が悪いことしたわけじゃないのに……あたしの油断でミスするなんて、自分が情けないわ」
ガウリイはしばらくこちらを見ていたが、おもむろに手を伸ばし、あたしの頭を引き寄せた。
「……ケリーは、かわいそうだったな」
そう言いながら、彼の言葉は穏やかだ。
辛くないわけじゃないのだろう。その言葉にわずかに混じる複雑な響きがそれを伝える。
でも、たぶん彼はどこかで思っている。
『あたしが無事だったから、それでいい』……と。
ガウリイは優しい。あたしにだけじゃなく、誰にだって優しい。ケリーのことだってたぶん嫌いじゃなかったと思う。どうでもいいなんて思っていないと思う。
ただ、『仕方ない』と思っているのだ。
あたしを守ることができたから、何かを成すことができたから、それでいいとあきらめてしまえるのだ。
そしてあたしも、あの時、彼を守るために世界を混沌に差し出した。だが、結局彼も世界も無事だったからそれでいいと、そう思っている。
そうやって切り捨てることができてしまうのだ、あたしたちは。
ああ。
ああ。
ああ。
ああ……。
ああ――……。
あたしたちは、歩む道の中で、何かを殺してしまった。
「……あんたは、護衛失格だったけど保護者としては合格だったわ」
「そうか」
「ええ」
それでも、あたしたちはこのまま歩いていく。
胸を張って。
『仕方ない』と言えない命があるだけ、それでもマシなのかもしれない。
『仕方ない』と言えない相手のことがあたしは悲しくなって、久々に泣きたいと思う感情を思い出した。
大丈夫だ。
この腕の中なら、大丈夫だ。
無防備に泣いても、弱みを見せても、彼は決してあたしを裏切らない。
あたしが泣いて使い物にならなくても、彼はきっとあたしを守ってくれるだろう。その身を盾にして、ぼろぼろに傷ついてでも、守ってくれるだろう。
たとえこの手が闇を生み出そうとも。
たとえその手が血にまみれていようとも。
お互いだけは守り抜くのだから。
あたしは、必ず守ってもらえるのだから。
この腕の中でだけ、あたしは弱みをさらせる。
どうか、血塗られたその手で、あたしを護っていてください。
END.
あぅあぅ……なんて暗くて分かりづらいお話……(涙)。
ふと、思ったのですよ。リナは明るくて感情豊かだけど、喜怒哀楽のうち「哀」はあまり見せないな、って。盗賊たちを殺す時に何を考えているのかなぁっていうのもあって、いろいろ考察してみました。
なんてゆーか……リナもだけどガウリイが何か怖い(汗)。
そんなつもりは……。でも彼だってリナに付き合ってる以上同じものを見てるわけで……そして、リナ以上に「哀」を見せない人なんですよね。それを考えたらこんな話ができてしまいました。
シリアスは疲れる(><;)。