(はぁ……)
深呼吸をして、熱くなった顔を手の平でなでる。
しばらくそうしていると、沸騰した気持ちが少しずつ落ち着いてくる。
自分の手が、ひんやりとして気持ちよかった。
動揺が治まるまで待ってから、あたしはゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「……子供だと思われてるって、知ってるわ。あんたが全然意識してなかったって、知ってる。でも、好きなの」
無理にも少しだけ笑って見せた。
「いい返事なんか期待してないわ。ただ、覚えといてほしいだけ。あなたに覚えとけって言っても難しいかもしんないけど、まあそんくらいは、覚えといてちょうだい」
「リナ……」
ガウリイは、あたしの頭に手を伸ばそうとして、迷ってやめる。
ふれられて動揺してしまう、あたしの気持ちを彼なりに思いやってくれたのだろう。それは少し寂しいことだったけれども、きっとそういう壁を乗り越えなきゃ、意識してもらえないのだろうから、仕方ない。
「話はそれだけ。驚かせて、悪かったわね」
あたしは努めて軽く言って、立ち上がろうとした。
「リナ」
そのあたしを、ガウリイが焦ったように引きとめる。
困ったように眉を寄せた顔が、少し泣きそうにも見えた。
あたしは彼の言葉を待つために、もう1度腰かける。
「すまん、オレ……そーゆー風に、考えたことなくて」
「うん、分かってる」
「でも、お前さんのことはその、大事に思ってるぞ? それじゃ、ダメか?」
「ダメじゃないわよ。だから、そういう風に思われてるのは知ってるの。あたしはただ、言いたかっただけ。少し、あたしのこと意識してほしかっただけよ」
「ん……と」
ガウリイは情けない顔でうつむく。
「すまん……」
あたしは、髪が乱れるのも構わず、自分の頭をかきむしった。
「あーだから、謝ったりしないでよ」
「だが……なんていうか……考えたことなかったんだよ」
それは分かってるんだってば。
「考えるから。考えるから、ちょっと待ってくれ」
「うん、待ってる」
「オレがリナのこと好きだったらいいんだよな……?」
あたしは苦笑した。
こいつは、どうしてもあたしを傷つけたくないらしい。
でも、そんな風にむりやり心を歪めてもらっても、嬉しくない。そんなことしてもらわなくたって、きっとあんたはいつかあたしを好きになると思うし?
一生懸命あたしの心を守ってくれようとするガウリイを見ていたら、少し余裕が出てきた。
そんなあたしを見て、ガウリイは真面目な顔で聞いてくる。
「ていうかさ……。オレはリナのこと、ほんとにすごく大事に思ってるぞ? これは、違うのか?」
「だって、あなたはあたしに恋してないでしょ?」
「恋かそうじゃないかの違いって、なんなんだ?」
「……え」
あたしは顎に手をやってうなる。
「いや、そんな哲学的なこと聞かれても……」
「これは、ほんとに違うのか?」
「うーん」
なんと言ったらいいのか……。
あたしは自分の気持ちを思い返しながら、恋心だなあと感じたことを自信なく挙げてみる。
「そうねぇ……たとえば、ずっと一緒にいたいとか」
「ずっと一緒にいたいけど」
そういえばそうだよなあ、ガウリイの態度は。
「……他の男に取られたくないとか」
「取られたくないけど」
「ええ? えと……抱きしめたいとか」
「ぎゅーっとしてやりたいなぁ、って思うことはあるぞ?」
ううむ。
確かに、こう言ってみるとガウリイのあたしに向けた気持ちは限りなく恋に近い。
だけど、何かが違う。何かが欠けているのである。
「じゃあ、キスしたいとか」
「え、まぁ、その……時々、そんな風に思うことあるけど」
あたしは思わず立ち上がって後ずさった。
「あるのかっ!?」
「いやあるだろっ!?」
「なんでよ!?」
「なんでって、だってリナ、女の子じゃないか……。男だったら、たまには思うだろ。キスしたいな、とか」
それはあれですか? 一般に言う下心というやつですか?
ガウリイにも、そんな普通の男みたいなところがあったとは……。
いや、そういえばそもそもはナンパのつもりで声かけてきたんだっけか?
あたしは、自分が『抱きしめてほしいとかキスしたいとか思ってます』と告白したことも忘れて、顔を熱くして抗議した。
「な、なに、ずっとそんな風に見てたわけ!?」
「いや、ずっと、っていうか最近なんだが……。昔のお前さんにそんなこと思ってたら、ちょっと犯罪だろ」
「なんか引っかかるけど……それって要するにあたしのこと好きなんじゃないの、あんた?」
「だから、その違いって、なんなんだ?」
「……なんだろ? あたしまでわかんなくなってきた……」
あたしはへなへなと椅子に腰を下ろす。
ガウリイがあたしのことを好き?
いや、その可能性は何度も考えたはずだ。
何度も何度も、期待しては粉砕されてきた。
本気で『もしかして』って思う場面もあったんだけれども、そのたびにやっぱり違うと思い知らされてきたのだ。
たとえば……。
ガウリイを好きだと自覚してから今日までのことをひとつひとつ思い返していって、その時の心の痛みをも思い返して、あたしはほんの少しだけ笑った。
やっぱり、あたしとガウリイの気持ちは違うのだと思う。
あんな風に、ちょっとしたことでみっともなく傷ついてしまう気持ちを、ガウリイは持っていないだろう。一挙手一投足に振り回されてしまうような気持では、ないだろう。
「……分かった」
「ん?」
「違い」
首をかしげるガウリイに、あたしはちょっと冗談ぽく笑って見せた。
「辛いかどうか」
「え?」
「辛いかどうか、よ」
ガウリイはよく飲み込めないという顔をしている。
この際全部ぶっちゃけてしまうつもりで、あたしはできるだけあっさりと聞こえるように言った。
「あたし、ずっと辛かったわ。一緒にいたくて。他の人に取られたくなくて。抱きしめてほしくて。キスしたくて」
ガウリイを想って辛い思いをしたことについて、彼を責めたいわけじゃない。
ただそういうことだったのだと、伝えたいだけだ。
あたしは、冷静に話せているだろうか。
「たとえあんたがあたしを抱きしめたいと思ったとしたって、それで辛くなんかならないでしょ? きっと、いつもみたいににこにこ笑ってるのよね? そこが、違いよ」
「……リナ」
恥ずかしいのだけれども、もう、ひとつ言ってしまったら全部言っても同じだし。
むしろ、胸にずっとたまっていたものを吐き出してしまって、あたしはすっきりとした気持ちにすらなっていた。
だから、痛いような顔をしてあたしを見ている自称保護者さんに、指を突きつけて笑ってやる。
「言っとくけど。このあたしのことをこんなに壊れさせるのは、あんただけなんだからね、ガウリイ!」
やおらガウリイが立ち上がって、大きく一歩を踏み出した。
腕を伸ばして、その頑丈な胸の中にあたしを閉じこめる。
「ん」
あったかい、と思った。
胸の動悸が急速に高まる。
ガウリイは何も言わない。
ただ、抱きしめられた胸からあたしと同じくらい早い鼓動が伝わってきた。
あたしはガウリイの顔を盗み見ようともがくが、腕の力が強くなって、抱え込むように押さえられてしまった。
筋肉の固まりでがちがちに閉じこめられたみたいだ。
「……何よ」
「抱きしめたくなった」
くぐもった声が頭の上から降ってくる。
「かわいそうに思ってんの?」
「辛いくらい、抱きしめたくなった。笑ってないだろ、オレ?」
少し腕が緩んだので、あたしはガウリイの顔を見上げる。
ガウリイは怖くなるくらいに真面目な顔して、あたしのことをじっと見下ろしていた。
「……本気で言ってんの」
「本気じゃないように見えるのか」
「見えないけど、一時的な気の迷いには見える」
「前からなんだ……って言ったら?」
「前から?」
ガウリイは、大事なことを思い出すように目を細める。
「前から、時々あったんだ。抱きしめたいなー……って、辛くなること。でも、お前さんはまだ子供で……そんなことだめだって……思ってた」
「ふうん」
あたしは、柔らかな檻の中で唇を歪める。
「今は、抱きしめてもいいことになったの?」
「あ……えと、いいか?」
「……そりゃ、いいけどね。なんで聞くのよ」
ガウリイは、しばらくうなりながら考えていた。
その声が胸郭から響いてひどく大きく聞こえたので、あたしは少し驚く。長い付き合いだし、緊急時に抱き上げられたりしたことも何度かあるが、こんな体勢でゆっくり話をしたりしたことはない。
「……リナはまだ子供で、そーゆーことするのは早いだろうって……思ってた。今でも思ってる。オレはリナを守る立場だって、思ってるし。だからこんなのは最悪な下心だって、真面目に考えたりしないように、してたんだ。リナもそんな風に思ってるなんて、考えたことなくて……。
でも、確かに抱きしめたくて……辛いことも、あったんだ」
囁かれる言葉の意味を考えて、体の力が抜けていく。
「他の奴に取られたくないとか、会えないとかで辛いことも……あったんだよ」
ガウリイが、おそるおそるという感じであたしの髪をなでる。
その慣れた感触が心地いい。
あたしは少しだけ体を縮める。さっきちょっとぐちゃぐちゃにしてしまったけれども。気にしないでくれるだろうか。
「それって、あたしの告白への返事だと思っていいの」
「そのつもりだ」
「そんな曖昧な、好きなような気がするってくらいの気持ちで、このあたしについてきちゃっていいの? あたしのものにしたら、離さないわよ? 最強のわがままを言うわよ?」
ガウリイは目を細めて笑った。
「オレは、もうとっくにお前のものだよ。覚悟なんかずっと前にできてる。抱きしめても……いいか?」
あたしは、せいいっぱい低い声で言う。
「……どうぞ。遅いのよ、馬鹿」
「あとな……キスもしたくなった。すごく。辛いくらい」
「……うん」
ガウリイの大きな手が、あたしの両頬を包み込む。柔らかい頬が堅い手に吸いついていく。
あたしを動けないようにしておきながら、ガウリイはいつでも逃がしてやるぞという穏やかな視線で見つめてくる。
逃げないわよ。
逃げるわけない。こうなるのを、ずっと待ってたんだから。
間近で見つめたガウリイの目は、まだ少し迷っていたけれども、あたしだけを映して真っ青な海のように輝いていた。
(もしかしたら――)
あたしは、ちょっとだけ顎を上げて目を閉じた。
(ガウリイの気持ちが、保護者に少し上乗せした程度のものかもしれなくても、それでも)
「ん」
唇に、柔らかいものが重なる。
ファーストキスだ。
いや、この間偽ガウリイにファーストキスを取られたんですけど、あれはノーカウント。ノーカウントで行きますから。
ガウリイは、あの偽みたいに情熱的に舌を入れてきてどうこうということはしなかった。
口先だけで、あたしの唇を吸ったり、甘く噛んだり、そっとなめたり。
じゃれているようなキスだと思った。優しくて、気持ちよかった。
だからあたしは、つたないながらも何とかそれらしく真似をして、ガウリイのキスに応える。
舌と舌が柔らかくふれあった時には、少しびっくりした。あの不本意なキスをした時とは全然違って感じた。今まで知らなかった感触だった。
でも、それにもすぐ慣れて、知らない感覚が気持ちよくなっていく。
その腕にふれるだけのことさえ遠くて遠くてたまらないと思っていたのに、こんなに柔らかくて弱い場所をふれあわせている。それがすごく不思議だった。
誰にも許さない場所を許す気持ちがあるからこそ、こないだと同じはずのキスがこんなに溶けるように気持ちよく感じるのかもしれない。
「……は……ぁっ」
しばらくキスを続けていて、軽く息苦しくなって離した。
いや、ちゃんと息はしてたんですけど、もうどきどきしてたまらなくなったというか……。
まぶたを開くと、ガウリイは笑っていた。
細めた目が、なんだか嬉しそうにあたしを見ている。
「……これ、あたしのファーストキスよ」
照れ隠しに、ぶっきらぼうに言ってやる。
「そっか」
偽がやったことを覚えているのかいないのか分からないが、ガウリイはそれだけを言ってあたしの頭をなでた。
何度かあたしの髪の毛をすきながら、ガウリイはなぜか少しだけ戸惑うような顔をしてあたしを見ている。あたしが首をかしげると、困ったように笑った。
「オレ……ほんとにいいのかな、リナにキスして」
「あのねえ」
「ほんとにいいのかな……抱きしめても」
この期に及んで、まだ自分の気持ちに迷ってるのだろうか。
それとも、それほどまでに強く自分を律してしまっていたのだろうか。
「……あなたが抱きしめたいと思うなら、そうして」
そう言うと、ガウリイはすぐにまた腕を回してあたしを引き寄せて立ち上がらせ、そのまま抱きしめた。
口ではぐだぐだと言ってるのに、行動には迷いがないなのが、ガウリイらしいというかなんというか……。
あたしは少し笑ってその胸に頬を寄せる。
でも、あの偽のことをまたちらりと思い出して、わずかな不安がにじむ。
ガウリイの抱擁は、あの時と同じ優しい優しい抱擁だった。
あの時もあたしは、ガウリイにこうして抱きしめられた。だけど、その優しすぎる抱擁が、薬に侵された時の切実なものとあまりにも違ったから、ショックを受けたのだ。
「……ね、なんでそんなに優しく抱きしめるわけ?」
思い切って、直接聞いてみる。
「へ?」
「もっとぎゅーってしてもいーんだけど?」
「してほしーのか?」
言うと、ガウリイはぎゅうと腕に力を込めた。
「んー」
あたしより1回りは大きなガウリイに力強く抱きしめられて、思わず声がもれる。少しだけ爪先立ちになった。
ぎゅっと引き絞られるみたいになったのは、体だけじゃなくて気持ちもだった。
(すき)
胸の中に言葉がこぼれだす。
(嬉しい)
「――すまん、どうでもいいよな。子供だとか大人だとか、そんなこと」
何かがあふれるように呟いたガウリイは、あたしと同じ嬉しさを感じているように見えた。
でも。
「……やっぱり、なんか優しいわよね?」
「そうか? これ以上強くしたら、苦しいだろ?」
少し笑いながら唇を寄せてきて、ほんのわずか迷った後、それを額に落とした。
「……あのな、こーゆー時は目を閉じてくれるといいと思うぞ?」
「あ、うん」
あわててまぶたを閉じると、そのまぶたの上にも唇が降ってきた。
目尻に、頬に、耳の下に、顎に、それから唇にも2度目のキス。
1度離して、またキス。何度か、離しては口づけてを繰り返す。
「ん……」
情熱的ではないんだけど、なんというか。
すごく嬉しくなってしまうような、キスだった。
夢中で応えて、唇が離れて、2人でくすくす笑った。別に面白いことなんかないはずなのに、嬉しくてたまらなくて、笑わずにいられない。
頬をこすり合わせるように寄せて、固いけど他よりはずっと柔らかいその感触を楽しんで、またキスをした。
それで、ふと気が付いた。
この優しい抱擁は、大人が子供を抱きしめてるってわけじゃなくて。
ガウリイの性格なんだ。
ふわっとしてあたしを包み込むような、ガウリイの性格なんだ。
「リナ……」
抱きしめながら髪に指をからませて、名前を囁いてくれる。
愛しい、愛しい、って言われてるような抱擁に、泣きたくなる。
そうだ、簡単なことだった。
偽物があたしにしたのは、これとは違う。ただ、欲望を押しつけるためだけの束縛。
ガウリイが今あたしにしているのは――愛しいものを引き寄せるための抱擁だ。
そう気付いたら、ますます愛しくてどうしようもなくなった。
「……うーっ」
ちょっと暴れる振りをしてみたり、ぎゅっと服を掴んでみたり、頬をすりよせてみたり。
なんだか本当に泣けてきた。
「……ああ、そっか。それでお前さんあの時、泣いてたのか」
言われて顔を上げると、ガウリイの目もなんだかちょっと潤んでるみたいだった。
2人して笑ってしまった。
「――ガウリイ」
あたしは、やっと振り向いてくれた自称保護者に、とびきりのわがままを言う。
「もう、あたしを置いてどっかに行かないで」
前にも言ったその言葉をもう1度言うのに、今度は躊躇しなかった。
「おう」
ガウリイは、あたしのすべてを受け止めるように笑った。
「もう2度あんなことさせなくて済むように、オレ――もっと強くなるから」
静かだけれどもきっぱりとしたガウリイの言葉に、あたしはうなずいた。
それが真実の覚悟だったということを知るのは、それからたくさんの厳しい戦いの中で、ガウリイの信じがたい剣技の冴えを見た後のことになるのだけれども。
不器用で優しいこの男が、軽々しい気持ちで物を言うはずがないなんてことは、その時もう嫌というほど分かっていたのだった。
お前さんのことが好きみたいだ、とガウリイが呟いた。
その簡単な言葉に、あたしはただうなずいた。
空は快晴。
涼しい風が街道を吹きすぎてゆく。
あたしたちは肩を並べて次の町を目指しながら、時に笑ったり時にどついたりどつかれたり、この1年ちょっとの間変わりない旅の日々を過ごす。
盗賊を吹っ飛ばしたり、依頼をこなしたり、新しい出会いがあったり、また魔族とやり合うことになったり。
何ら変わりはないのだけれども、ただ1つ付け加えておくならば。
2人の距離だけは、半歩分近くなっていた。
END.
And it continues the 2nd part of original.
長らくお付き合いありがとうございました。片恋お題、これにて終了です!
小原初の純エンタメ作品を目指したのですが、いやもう大変に好評をいただきまして、励まされるやら焦るやらでございました。
エンタメ書けるじゃん私☆(一瞬の自信)
第2部で2人がやたら親密になってるのは、第1部の後実はくっついてたんだっていう解釈もアリじゃないかな〜と思いつつ書きました。いや、さすがにこれはラブラブになりすぎだと思うんですが。可能性の1つとして。
あと、ガウリイさんは重破斬のこと知っててほしいな〜というドリームを込めて。
あとはもう、これでもかとガウリナの萌えポインツを詰め込みまくりましたヾ(*≧∀≦*)ノ
ちょっとやりすぎたかも(笑)……と思わないでもないですが。
楽しんでいただけたなら嬉しいです!