大逃走 

 デフォールシティは城壁の街である。
 今では歴史書の中に埋もれた遠い昔、この地域では戦争が名産物と化していた。迷産物かもしんないけど。辺りの街はそれぞれに武装し、高い高い城壁を築いて守りを固めた。
 中でもデフォールシティはたまたま丘陵地帯だったため、いくら周囲を固めても中心部がもっこりと高く狙いやすい感じになってしまい、その対応策として外周以外にも隔壁を建てまくった。その名残が、今のこの眺めである。
 あたしは丘陵の半ば辺りにある宿から、外の景色を見た。
 視線をさえぎるほど高い隔壁は、戦争の歴史と同時に風化していっている。今残っているのは、名物としての城壁都市だけだ。高い位置から眺め下ろせば、遠くまで段々になった壁が続き、そりゃもう大変独特ないい景色である。
 昼をすぎて食事の客も引いた、穏やかな午後だった。
 眺望が自慢の食堂には、あたしたちの他にリュートを爪弾く吟遊詩人しかいない。
 絵に描いたようにロマンティックな情景である。
 目の前で折り紙もどきに興じている大きな男を視界から外せば。
 旅の連れのガウリイは、先ほど食事の時に出てきたナプキンの変わった折り方にいたく興味を持ったようで、一生懸命再現しようとしている。従業員に聞けば済むことだと思うのだが……何やらかわいらしくて面白いので放っておく。
 あたしは食後のお茶をすすり、ほぅと情緒あるため息なんぞついてみたりする。
「なにをかわいこぶってるんだ、お前さんは」
 むかっ。
 熱中してると思ったのに嫌なところだけ見てるんじゃないっ。
「こういう歴史ある風景を見るとね、先人を思い時の流れを思ってため息のひとつもつきたくなるのよ。……ま、あんたには分からないでしょうけど」
「そんなことないぞ」
「へぇぇ?」
「オレだってな、時の流れを思うとため息のひとつふたつつきたくなる」
「すごいすごい」
 あたしはぽくぽくと手を叩いてみせる。
「たとえば、年々物覚えが悪くなっていくけど、これじゃいずれボケても変わらないんじゃないか、とか? たとえば、このまま年取って唯一の取り得の体が鈍ったら、何の役にも立たないただのクラゲになっちゃうんじゃないか、とか?」
「あのなぁ……」
 わずかにムッとした顔をしたガウリイは、すぐ何を思いついたのかニヤリと口元をゆがめる。
「たとえば、リナは年頃になってもちっとも女らしくならんが、ずっとこのままなのかなぁ、とか。たとえば、毎年抱え込むトラブルがヒートアップしていく気がするが、この調子でいくとどうなっちまうんだろう、とかな」
「……ガウリイ? 言いたいことはそれだけ?」
 あたしの殺気に気付いてか否か、彼はしたり顔で続ける。
「他にもあるぞ。リナは女らしくないなりに一応そろそろ適齢期って奴だが、オレはいつまで保護者してるんだろうなぁ、とか」
 ちまちまとナプキンを折りたたんではほどくガウリイ。
 邪魔にならない程度の音量で歌うどこぞの吟遊詩人。
 あたしはため息をつく。
 時の流れ、って奴を考えて。
 窓の外には思わずしんみりするような美しい景観が広がっていた。
 そんな、実に何でもない穏やかな午後だった。
 あたしは、思い切ってここのところずっと考えていたことの、その1つを口に出してみた。
「あたしね、あんたが好きよ」
 ――さらっと言えただろうか?
 声が震えたりは……うん、してなかったと思う。
 はたから見て分かるほどには、体も強張ったりしてないと思う。
 ……うん。
 ダメならダメ、考えてもみなかったならそうだと、あっさり受け流せる程度の声音で言えたんじゃないだろうか。困らせてしまった場合、べっつにそんな意味じゃないわよー! と、軽く笑って済むような表情で、言えたんじゃないかと思う。
 心配なのはさっぱりしすぎてガウリイが聞き流してしまうことだが……大丈夫、彼はちゃんと手を止めてあたしを見ていた。言いたかった意味は、伝わっている。
 そのまましばし見つめ合い、あたしは彼の返事を待つ。
 ガウリイの青い瞳に映るものが、驚きからひどく柔らかいものへと変わる。ナプキンを包み込んでいた大きな手から力が抜けて、長い指がテーブルの上でゆっくり組まれた。
「――ああ」
 窓から降り注ぐ午後の光よりもあったかい、笑顔。
「オレの返事は……もうとっくに決まってる」
 あたしの顔は、いささか紅潮したものに変わっていたかもしれない。実のところ胸がどくんどくん言っている。
 わずかに照れたような表情で、呟くようにつむがれる彼の言葉に、じっと耳をすました。
「たとえ、お前にいつまで経っても色気がなくても」
 ほう。
「世界一のトラブルメーカーで、一緒にいていいことなんかなくても」
 ……なーるほどねぇ。
「凶暴でわがままでがめつくて自信過剰で、人の迷惑なんぞお構いなし。食い意地は張ってるわ金には汚いわ、何より好きなのが盗賊いぢめと儲けることと攻撃呪文と目立つことっていうんだからなぁ……。言うだけならまだしも実行するし、おかげで悪名が知れ渡ってるし、魔族にまで有名で狙われ続けるし。一緒に歩いてるだけでオレまで笑われるわ、それだけならまだいいが、とばっちりを受けて狙われたこと数知れず……。命なんかいくつあっても足りないし、守って役得のある相手でもなし。ただただ危険な奴としか言いようがないが、それでも……」
 ふむ。よく分かった。
「ガウリイ」
「それでも、オレはお前さんが好……」
「爆烈陣(手加減なし)」
 あたしが座っていた椅子を中心に、嵐のようなものが一瞬吹き荒れる。机をなぎ倒し、その上のナプキンやら塩コショウ、バラの一輪差し等々が弾け飛ぶ。
 ガウリイは宙に舞って、食堂の端にぽてりと落ちた。
 おもむろに立ち上がり、床のゴミを避けて、ピクピクしている男のもとへ歩み寄るあたし。
 批難のまなざしでこちらを見る彼の横に、膝をつく。
 まぁすぐに立ち直ることだろう。ガウリイ、頑丈だし。
 もう1度立ち上がったあたしの手には――鞘に納まった光の剣があった。
「何やら浮かれてくれてるよーだから改めて教えたげるけど……」
 あたしは焦った表情のガウリイに向かって、鞘を1、2度振って見せる。
「あたしは本当に危険よ♪ あんたでも女の子に告白されて油断したりするのね。これはもらっていくわね」
 言って、ウインクひとつ。
 あたしはすっぱりと身を翻してその場を後にしたのだった。
 誰か剣を貸せ、と言っているガウリイの声が後ろの方でかすかに聞こえた。

 

 そういうわけで、あたしは追われていた。
 背後に追っかけてくるガウリイの姿が見えるわけではない。はっきり言って、見えるところまで追いつかれたらピンチである。遠距離戦を保たなければ勝ち目はない。
 ただ、迷路のように折れ曲がっている上、高低差のある地形なので、時々必死に走っている金髪が見える。位置によっては、「待てリナぁ!」とか「どろぼー!」とか叫んでいるのが聞こえたりもする。
 壁と壁に挟まれた細い道を、あたしは長い剣を持ってひた走る。
 この剣、あたしにはちと重い。かなりのお荷物である。自分で使うのも無理だし、あたしが役立てるとしたら売っぱらう以外の道はない。
 しかし、言っておくがあたしは本気で逃げている。
 『追いかけられてみたいお年頃なの(はぁと)』なんぞということは断じて言わない。
 告白は、剣を騙し取るための手段だったと思うがいい。このままなかったことにしちゃるっ!
 たったかたったか順調に道を走っていたあたしの後ろで、通行人がざわめいた。
 危険を感じてあたしはちらりと視線をやる。
 ご近所さんの屋根を乗り越えたガウリイが、するすると窓などを足がかりに降りてくるところだった。ち……ショートカットしよったな。
「リナぁ! こら、剣返せーっ!」
 もちろんあたしは返事せずに後ずさりする。
 余計なことを言っている場合ではない。なぜなら。
「……地精道っ……」
 小声で呪文を唱えていたからである。
 ガウリイが最後の1階分をかっとばして、道に飛び降りてくる。見物人たちが場所を空けていたところへしたっと着地。その時!
 がっしょぉぉぉん!
 石畳が砂のように崩れ落ち、着地したガウリイの足元が陥没した!
 思い切り体重がかかっているこの状態で、避けられるはずがあるまいっ!
 ……と思ったんだが甘かった。
 ガウリイは身軽に落とし穴墜落を逃れる。崩れかかる大きめな石のかけらに足をかけ、落ちる寸前の一瞬に軽い動作で踏み切って次の石へ。そうやって固い地面へたどりついてしまった。
 言うのは簡単だが、実行するのは至難の業である。多少固めの水面を走っているよーなもんだ。
 どよめく観衆。
 深い穴をのぞきこむ子供と、それを引き戻す母親。興奮する少年たち。
 でもって、鬼気迫る形相で追っかけてくるガウリイ。
 彼が頑張ってる間に呪文を唱えていた、あたし。
「翔封界!」
「ああっ! 反則だっ!」
 何が反則だ。
 これはゲームじゃなくて真剣勝負なんだからね、ガウリイ。
 すごい勢いで差を詰めてきた彼の手が、一瞬風の結界にふれる。
「うきょわわわっ!」
 何しろ不安定な結界なんで、まともな制御が利かず近くの家に突っ込んでしまう。
 どしゃしゃしゃがががっ!
 壁が崩れて、あっけにとられる家人の顔がちらりと見える。
 何とか体勢を立て直して、手が届かないように高度を取った。高く飛ぶとスピードが出ないのだが、この場合仕方ない。人間離れした運動能力を持つガウリイに対抗するためには、どう頑張っても生身の人間では不可能なことをするしかない。
 あたしは、そのまま街の中心部へ進路を取った。
 真っ直ぐ街の外へ行こうとすれば逆なのだが、そうすると下降することになる。屋根に上って移動するという非常識な相手である。屋根から見れば、街の裾野部分は丸見え。どこへ向かっているのかバレバレになるような進路は選ぶべきではない。
 本気で撒く気があるのならば、当然1度中央を越える方がいい。行きたい方向と逆へ進むことで、相手がこちらの意図を見失ってくれれば言うことはない。
 ガウリイがまた屋根をよじ登っていると思われる間に、あたしは適当な距離を取って術を解いた。
 逃げている時にふらふら空をさまよっているなんて、見つけてくださいと言っているようなもんである。
 幸いこの街は障害物だらけ!
 上り坂を必死に駆け上り、あたしは途中でぜーはー息をついた。
 大体、あたしはさほど体力のある方ではない。しかも、重い荷物付き。これでさっさと走れとゆーのは一種の拷問である。
 ……と、風に乗って流れてくる聞きなれた声。
「待てーっ!」
 ぐんぐん坂を上ってくる体力馬鹿の姿。
「ふえぇぇぇっ?」
 もう追いつかれた!?
 あたしはあわてて呪文を唱える。
「氷の槍!」
 対象は――ガウリイの足元辺り!
「どぅわぁぁっ!?」
 一瞬にして氷の坂となった道を転げ落ちていくガウリイ。
 おー我ながら見事な滑り台……。
 罪のない一般人や道端の植木鉢なんかも一緒に滑っていくが、まぁ必要悪というやつである。
 きゅきゅきゅきゅっといい音を立てている金色の塊が小さくなるのを見届けて、あたしは再び走り出した。重い体と荷物をひきずるようにして。

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