油断をした。
その時からんできたやつらは、まあいわゆる野盗の群れ。ただ、その中には珍しく魔道士がいた。もちろん、そんなの普段はなんなく迎撃できるんだけど。
昨日からあの日が始まって魔法の使えなくなっていたあたしと、光の剣のない戦い方にまだ慣れていないガウリイは、魔法へどう対処するべきかとっさにとまどい、連携を乱れさせてしまった。
そして、あたしは野盗ごときに一撃を食らってしまったのである。
「……大丈夫か?」
野盗たちをのしたガウリイがやってきて、顔をしかめてあたしを見下ろす。
あたしは先ほど切ったはったをしていた辺りから少し後退して、街道沿いの幅のある木に寄りかかっていた。
わき腹に蛮刀でばっさりやられた傷がある。よく研いである刀なら綺麗に切れるのだが、あいつらの使うような剣はあまり切れない代わりにひたすら痛い。
いやよく切れても全然嬉しくないけど……。
「……だいじょーぶよ……」
背中いっぱいに脂汗がにじんでいたが、なんとか笑ってみせる。
「ちょっと、痛い」
本当はちょっとどころではないのだが。
「少しは治せてるのか?」
「ん。不覚すぎて心のほーが痛い」
むりやり笑ってみせるあたし。
我ながら、ユーモアを忘れない人間だと思ふ。
「リナ」
ガウリイがあたしの前に膝をつき、傷口を押さえていたあたしの手を無理矢理放させた。
「……ぅあっ」
あたしは顔を歪めて体を折り曲げる。
「血が全然止まってないじゃないか。ちっとも治せてないな」
まあ確かに、出血は止まる気配がない。一応気休め程度に
何しろ1番重い日だからなあ、今日……。
それを見て取ると、ガウリイの取った行動は素早かった。
「止血しよう。とりあえず傷口洗うからな」
自分の荷物から飲料水を取り出すと、どばどば傷口に振りかける。
「……っ。……う……っ」
痛い。痛いっちゅーの。
もーちょっと、そーっとやれんのか。
理不尽な恨みを込めてガウリイを見上げるが、その目を見ると無駄な愚痴は引っ込んだ。
ガウリイの目は、真剣すぎてもはや怖いという域に入っていた。
とゆーか、本気で怒ってるんじゃないだろうか。油断したあたしになのか、あたしを守れなかった自分になのかは知らないけど。なんとなく、後者だろうと思う。
傷口についた汚れや何かを黙って洗い流すと、清潔な布を当ててぎゅっと押さえつけ、その上から腰に別の布を巻き付ける。
慣れたものだ。痛いけど。
「町に着いたら魔法医に見てもらおう。歩けるか?」
「……ん」
と、答えてみたものの、相当に痛い。
奥歯を食いしばってうめき声を耐えているのがせいいっぱいで、歩くどころか再び傷口を押さえた手を外すことすら難しい。
うー。このまま寝てしまいたいなあ……。
だが、そうは言っても歩かない限り町には着かないし。着かない限り、傷を看てもらうことはできない。
こういう時は、男に生まれていればなあとつくづく思う。そうすれば、魔法が使えない日があるなんてことなかったのに。
「て……手を……引っ張ってもらってもいい……?」
ガウリイは、珍しく彼を頼るあたしをじっと見下ろした。本当に動かして大丈夫なのか、と自分に問いかけるように。
「もう少し休むか?」
「ま……休んでも、魔法が使えるようになるのはまだ先だし……」
「……そうだな」
引っ張り起こしてもらおうと思ったんだけど、ガウリイはあたしのショルダーガードに手をかける。
「外すからな、これ」
うおっ?
いや、なんとなく何をしようとしているのかは分かるが、人に装備を剥がれるというのは理由が分かっていても身の置きどころがないものだ。
「こ……こんな時に襲っても、燃えないでしょ?」
「お前さんなあ」
いたたまれなくて軽口をたたくと、ガウリイはあきれた様子でため息をついた。
「冗談言ってる状況じゃないだろーが」
ガウリイは真面目な顔であたしのショルダーガードを剥ぐと、マントでくるりとくるんで自分の背中にくくりつけた。
「抱えていくからな」
ガウリイは、あたしの足と首のところに腕を入れる。
まあそういうことだろう。抱えやすいように装備を外したというわけだ。
これまでも、怪我した時にガウリイが抱き上げて運んでくれたということは何度かある。実際のところ歩くのはかなり厳しい状態なので、とてもありがたい。
……のだが。
今は、ガウリイの腕の中にいるということに、嬉しいような心地いいような、それでいていたたまれないような複雑な思いがする乙女心なのである。
「歩ける……のに。らっき」
「そんななりで何言ってんだか。素直に甘えりゃいーのに」
ガウリイがあたしを抱えて立ち上がった。
こと、とその胸に頬を寄せる。
(あー……あったかい)
こんな時なのに。
あんたの腕の中は、本当にあたたかくて安心する。
痛みに飛びそうな意識の中でも、頬から伝わるその体温を甘く感じる。
「ゆっくり行くから、少しでも呪文唱えとけよ」
「……ん……うん」
これだけ痛いと、集中できるかどーか怪しいもんだけど。
あたしは脳天を突き刺すような痛みの中で、なんとか呪文を口ずさみ始めた。
吐き気がする。
頭の中に白い霧がかかって、息が苦しい。
呪文を唱えていられたのは最初の内だけだった。
今、どこまで進んでいるんだろう。町にはいつ着くんだろう。
ガウリイが何度かあたしを降ろし、水を飲ませてくれたことは覚えている。
後は、ひたすらに我慢、我慢。
まったく……我慢なんて柄じゃないのに。
たまにガウリイが変に深刻な顔して「大丈夫か」と聞く。あたしはとりあえず「だいじょーぶ」と答える。
何度かそんなことを繰り返していて、気が付いたらあたしは柔らかい落ち葉の上にマントを敷いて寝ていた。少しの間気を失っていたようだ。
自分の手がうすぼんやりと暗い色に見えて、日が落ちかかっているのだと分かる。
どうやらガウリイは、あたしを運ぶのをあきらめて野営の準備を始めたらしい。
ごつごつした道を揺られているより相当マシな気分ではある。頭がぐらぐらと煮えることには変わりないけれども。
(……だいじょーぶ)
ガウリイにそう言ったことも、嘘ではない。
このくらいの怪我では死なないと、経験上分かっている。ひたすらに辛いが。
ええと。
あたしは自分の状態を冷静に分析する。
鈍い刃で切られた切り傷の強い痛み。出血からくる貧血。傷からくる発熱。
この状態はおそらくそういうことだ。
死にはしない。だけど、とてもしんどい。
1人だったら、相当厳しいことになっていただろう。
(ガウリイ、どこ行ったんだろ)
心細くなって、ぼんやりとガウリイを探す。視界にその姿はなかった。
「ガウリ……」
呼んだつもりだったが、ほとんど声にならない。
うああー……。
弱りきっている。たかだかこの程度の怪我で。
あたしは荒い息をついて、傷口をそっと押さえる。
1人で旅をしてた頃って、どうしてたっけ。どうやって切り抜けてきたんだっけ。
あー……頭の中がくるくる回って、何も思い出せない……。
「リナ、気が付いたか」
また少し意識が飛んでいたんだろうか。ふいに声が降ってきて、はっとする。
目の前には小枝をひと束抱えたガウリイがいて、あたしをのぞきこんでいた。気配どころか、視界に入ってきたのにも気づかなかった。
(これが敵だったら、死んでるわ)
情けなさと不安と安心とが入り交じって襲ってくる。
ガウリイがいてくれたから、悠長に気を失っていられた。
ガウリイがいてくれるから、安心して休んでいられる。
それがありがたくて、だけど怖くて、言葉にならない。
結局、言えたのは一言だけだった。
「……ごめ、ん」
ガウリイは淡く笑う。
「大丈夫か」
彼の方は、あたしが意識を失くしている間にずいぶん落ち着きを取り戻したようだった。
「だい……じょーぶ」
「町まで連れていければよかったんだけどな。かなり消耗してるみたいだったんで、ここで一晩休んでくことにしたんだ。早く医者に行きたいだろうけど、熱も高いし、ゆっくり行こう」
「ん」
ガウリイの判断を信じて、あたしはうなずく。
普段呪文で傷を治してしまうあたしより、ガウリイの方が怪我の対処に慣れているだろう。
そりゃあ早く治してほしいけど、体力を消耗しすぎて
「リナ」
ガウリイは、ふいにあたしの手を取る。
「……う……え?」
「守ってやれなくて、すまん」
「……だって、あたしが……油断……」
「いや。オレが判断を間違えた」
うなだれたガウリイの唇から、吐息のような声がもれる。
「……大事なくて、よかった……」
まあ、痛いんだけど。
「水は枕元に置いてあるからな。何か食べられるか?」
「……む……」
「ん?」
「むり……」
「じゃ、食べられそうになったら声かけてくれ。今日は、ずっと起きてるから」
「……ん」
つかんだ手に、ぎゅっと力が入った。
「何かあったら呼べよ。遠慮するな」
あたしの手を包み込んだ大きな手から力が抜け、離される。
ぽん、とあたしの頭を叩いて、ガウリイは立ち上がる。
あたしを包んで守っていたものがふっと体から離れてしまったような気がして、なんだか変に心細い気持ちがした。
でも、ずっと手を握っててよ、なんて言えるわけもないし。
あたしは、小枝の束を抱えて遠ざかるその背中を黙って見送る。
ガウリイは、そのまま少し離れたところまで行って焚き付けを降ろし、焚き火を組み上げ始めた。
荷物から使い古した火打ち石を取り出してカチカチと鳴らす背中を見ていて、ちゃんと火をおこせるんだなとぼんやり思う。
旅をしているなら当たり前のことなんだけど。けして多くない野営の際にはあたしが呪文でつけてしまっていたから、そんな姿を改めて見ることはなかった。
今は何も考えず、ガウリイに任せていてよさそうだ。
あたしは熱い息を吐く。熱で体の中が燃えているみたいだ。
守られている。支えられている。あの大きな背中に。
(1人の時は、どうしてたんだっけなー……)
ろくに回らない頭で、ぼんやりと思いだす。
敵に襲われたらろくな抵抗もできずに死んでしまう、こんな心細い夜を1人で過ごすこともあったような気がする。
戦闘の途中で怪我をして、誰に後を任せることもできず戦ったことも。
調子を崩して寝込んでいるところを、当時の旅の連れに路銀取られた上捨ておかれたような気もする。
ガウリイは、あたしが初めて得た、絶対の味方だ。
遠い焚き火があたたかい。
その前に座る背中が、ひどく頼もしく思えた。
パチリ、と燃えさかりだした焚き火が火の粉を散らす。
ガウリイが、小さな鉄鍋を火にかけて中身をかきまわしている。
こちらから表情は見えない。見えるのは、大きな背中がゆるやかに動くその様子だけ。
(ねえガウリイ、あんたにとってあたしは、なんなの?)
守りたいと、一緒に行きたいと、思ってくれるその気持ちの中に、ふれてみたいとか抱きしめたいとか、そういう思いが混じる余地はないの?
(あたしは、ふれてみたい)
あたしの前に立ちふさがってくれる、その大きな背中。
あたしを守るために戦ってくれる、その鍛えた体。
あの筋肉が動くところを、指先で感じてみたいと思う。
あの汗の匂いに、包まれてみたいと思う。
(抱きしめて、ほしいんだけど)
ついつい強がりとか冗談とかばっかり言っちゃうあたしだけど、こんな遠くから後ろ姿に向かってなら、素直に言えそうな気がした。
ゆらめく炎に照らされた、あたたかな後ろ姿に。
今はまだ、くちびるだけで、音のない言葉を。
すきよ。
振り向いて。