誤魔化す 前 片恋お題: 9

 パジャマのままショートソードだけつかんで部屋を飛び出したあたしは、となりの部屋の扉を叩く。
「ガウリイ、今の音はなに?」
 返事はない。
 ドアノブを握って回してみると、すっと何の抵抗もなく回る。
 おかしい。ガウリイが鍵を開けっぱなしにしたりするはずはない。
「入るわよ」
 念のためショートソードを抜きながら、あたしは部屋へと踏み込んだ。
 中は、あたしの泊まっている部屋と同じ作りだった。最低限の家具が、みっちりというほどではないが余裕があるとも言えないくらいの間隔で配置されている。
 そのわずかな床の部分に、ガウリイが倒れていた。
「ガウリイ!!」
 駆け寄りそうになった足に急制動をかけて、壁に背を預ける。
 遠くからガウリイの様子を確認した。外傷はない。息も落ち着いている。見た感じ大事はなさそうだ。
 詰まりそうだった息が少しだけ楽になる。
 賊は……!?
 慎重に擦り足で移動しながら、部屋の死角を検める。
 といってもそうそう死角があるような広い部屋ではない。誰かが部屋に潜んでいる様子はなかった。
 ただ1つ見つけたのが。
「あの小瓶……!」
 占い師のばあちゃんから押しつけられたあの怪しい小瓶が、机の上にあった。
 あたしの部屋からなくなったものだと断言することはできないが、タイミングからしてかなり可能性は高いだろう。
 あたしはショートソードを鞘に戻して、机へと駆け寄る。
 小瓶の蓋は開いており、中身はすっかり空だった。そして、見覚えのない手紙が添えられている。
『試供品です。よろしければどうぞ』
 手紙の差出人は、この宿屋ということになっている。
 だけど、もしこの小瓶が本当にあたしの部屋からなくなったものだとしたら、かなりおかしな話だ。
 そもそも、あたしはあれを手に入れてから今朝まで1度も部屋を出ていない。ということは、あれをあたしの部屋から持ちだそうと思ったら、寝ている間に盗み出すしかないのである。とてもじゃないが普通の人間には無理だろう。
「そもそもこれ、何の薬なのよ……」
 あたしから盗んでガウリイに渡した人間は、それを分かっていたのだろうか? ガウリイに飲ませて何かの得があると思ったのだろうか?
 その思惑は推測することしかできない。
 可能性を消去していくと、考えられることもないではないが……。
「ん……リナ?」
 うめき声に気づいて顔を上げると、ちょうどガウリイが意識を取り戻したところだった。
「ガウリイ!」
 あたしはガウリイのそばに駆けよって膝をつく。
 頭が痛いのか、ガウリイは額を覆うようにしてのっそりと体を起こす。
 どうやら大したことはないようで、あたしは安堵のため息をついた。
「いててて……なんだ……?」
「大丈夫? どこかおかしくない?」
「ああ……別に」
 別にと言いながらも、ガウリイは頭を押さえたままうつむいている。
「ねえガウリイ。あなた、あの薬を飲んだ?」
「薬? ああ、なんか置いてあったやつ、飲んだけど」
 ガウリイが顔を上げ、あたしを見た。
 続けて何か言いそうな雰囲気が分かった。それなのに、それきり言葉を忘れてしまったかのように、口を半開きにしたまま黙ってしまう。
「……何よ」
 食い入るように見つめられて、思わず目を伏せる。
 こんな間近で見られたら、恥ずかしいっちゅうの。
「かわいいな」
「げふっ!」
 あたしはまともにずっこけた。
 か、か、かわいいとはまた聞きなれない言葉を聞いたものですが……。
「そーやって照れるところもかわいい」
「ごほっ!」
 真顔で。真顔でですかそのセリフ。
 ちょ、ちょっとどう反応していいか分かんない。
「赤くなっちまって。ぎゅってしたい」
 な……なあああああっ!?
 あたしはなすすべもなく床に突っ伏して、ぴくぴくと震えた。
 いかんっ! このあたしがボケられっぱなしで何のリアクションもとれないとはっ!
「び、美少女天才魔道士たるこのリナ=インバースがかわいいなんてこと、今さら言われるまでもないわっ! だいたい、あんたの普段の態度の方がおかしいのよっ! このあたしと一緒にいて、のほほんのほほんと色気のないこと言ってばかりで、見る目がないって言うかっ!」
 えっと……ていうか……考えるべきところはどういうリアクションを返すか、ということではない気がする。
 ガウリイは面白い芝居でも眺めるようにあたしを見ていた。笑い含みのその目線が、なぜか異常に色っぽくてくらくらする。
 いや。あたしは全然面白くないし、見せ物でもないんだけど。
「そうやって照れて強がるところが、たまんないんだよな。知ってるかお前さん、そういうところが男をそそることもあるんだって」
「そ……そそるって何ッ!? あんた何言って……っ!?」
 まだ床に座ったままのガウリイくんは、聞いたこともないような男臭い声で、くくっと笑った。
「初心だな」
 うぐ……っ!
 的確な一点攻撃であるだけに、ダメージが大きい……。
「なんで今まで分からなかったんだろ。こんなかわいい子が一緒にいたのに」
「えと、だからそれは、あんたあたしの保護者で……」
「保護者だって男と女だろ?」
「そだけど……」
「一緒の部屋に泊まったことだってあるんだぜ。もうそれはお前、『間違いがあってもかまわない』ってことだろ?」
 た、た、確かに、最初の頃はともかく最近についてはそういう含みがこれっぽっちもなかったと言えば嘘になる。
 だが、ガウリイは紳士で、そういうことは絶対にしない。その信頼の方が数百倍強かった。
(そう、ガウリイは紳士だ)
 そんな当たり前のことを思い出すと、停止していた理性が一気に息を吹き返した。
 頭に上っていた血が下がっていく。
 これは、おかしい。
 おかしすぎる。
 もはやかなり高度なギャグの域だ。
「お前さんみたいないい女を待たせるなんて、罪作りなやつだよなオレも」
 理由は分かりきっている。
 あの薬を飲んだからだ!!
 状況からしてそれ以外考えられない。
 何か変なもんに乗り移られてるんだろーかガウリイ……。
「なあ、こっち見ろよ」
「あやー困ったわね。どーしたらいーのかしら、これ」
「……リナ」
 がしっとたくましい腕に腰をさらわれる。
「かわいいよ」
 耳元で熱くささやかれると、体中に巡っていた理性の糸が一気に一束くらいぶちぶちと焼き切れた気がした。
 いかんいかんいかんっ!
 これはガウリイじゃないんだからっ!
「あ……えと」
 違うんだってばっ!
 と思いつつ、強く言えないあたし。
「意地を張るなよ。たまらんなあ、もう」
「いや、その」
 せめて耳元でしゃべるのをやめてっ!
「今まで言えなかったけど、そーゆーとこ……愛してるよ」
 へなっと力が抜けた。
 分かってんのよ? これ、ガウリイの本心じゃないって。
 でも、好きな男の顔で、好きな男の声で、『愛してる』なんて最強の殺し文句耳元で囁かれて、毅然と冷静さを保てる女がいるんだろうか。
「あ……あぅ……」
 声にならない声を漏らすだけの、無力なあたし。
 がんばれ理性。
 がんばれ常識。
「その……そーゆー風に言ってもらえるのはうれしーんだけど、正気の時に言ってほしいってゆーか……」
 押し弱っ!
「オレは正気だぞ? お前さんが知らなかっただけ、とは思わないか? こういうオレもいるって」
 思わん思わん。
「……とりあえず、その笑い方と耳元で囁くのをやめて、腕を放してほしいんだけど……」
「やだ」
 ええい。
 あたしは自力で抜け出そうと腕をばたつかせるが、それはガウリイにより深く抱き込まれるという結果を招いただけで、状況の改善にはまったくならなかった。それどころか、もう完全にすっぽり抱きしめられちゃってるし。
 び、びくともしないとわ……。
「あーもーかわいいなあ、リナ」
「いや、それは……っ」
「なあ、オレのもんになっちまえよ」
「な……なーにーよーその殺し文句オンパレードはっ!」
「君の瞳に乾杯」
 知能レベルは本人のままか……?
「リナ……」
 ガウリイは焦れたようにあたしの首筋に手を回す。
 その大きな手のひらにはあたしの後頭部がすっぽりはまってしまう有様で、腕から抜け出すどころかもはやほぼ身動きがとれない状態になる。
「ちょ……あんた何しようと……っ」
 ガウリイの端正な顔が近づいてくる。
 それは。それは……っ!?
 動悸が限界まで高まっていく。
 息が苦しくて、頭がぽーっとする。
「だ、だめだっつーのっ!」
 さすがにそれは許容できない。あたしは一生懸命顔を背ける。
 予定の場所に着地し損ねた唇は頬にあたって、不満げな吐息をもらした。
「リナ……お前……」
「いやそれは……それはだめでしょ!」
「リナ……オレじゃだめか? オレじゃ、頼りないのか?」
 どこかで聞いたセリフだな、と少し引っかかる。
「大事なことも打ち明けられないし、キスも許せない……その程度か? お前にとってのオレって」
「え?」
 力いっぱいよけていた顔を、思わずガウリイの方に向ける。
 ガウリイは、悲しそうな目であたしを見ていた。大人の男なのにしゅんとしたその顔はすごくかわいくて、あたしは戸惑う。
(どこまで本物のガウリイと繋がってるの……?)
 そう、聞き覚えがあると思ったセリフは、昨日の夜ガウリイが口にした言葉だった。
 それならば、少なくとも記憶は共有してるということだろうか?
 本物のガウリイも、この記憶を共有するのだろうか?
 それって完全に偽物と言える?
 そう思うと、へなへなと拒む力が抜けてしまう。
「いい子だ」
 囁かれた瞬間、あたしの視界は反転していた。
 床に押し倒された、と認識するより先に、唇に今までふれたことのない感触のものが押し当てられる。
 柔らかくて、でも表面が少しかさっとしていて、あたたかくて……。
「……んんっ?」
 あ、あたしのファーストキスーっ!
 一応ガウリイが相手なんだからいいという考え方も、いややっぱり違うし、いやでもある程度本人の記憶もあるみたいで、いや違うだろう……。
 頭の中がひっかき回されたように混乱する。
 そればかりか、ガウリイは唇の間から生暖かいものを入れてきて、しかもパジャマの裾に手を入れてきて、ちょっとそれはいくらなんでも!
「んっ! んんんーっ!」
 吹っ飛ばしてやる!
 と思ったら、この状態では呪文が使えないことに気がついた。
 をや……?
 舌で執拗に口の中を舐め回してくるガウリイは、解放してくれる気配もない。唇を吸われて、舌を舐めあげられたら、信じられないような声がもれた。
「ぅん……っ」
 何よこれ。
 自分で自分に驚く。
 だめだ、なんとか抜け出さなくては。
 思うが、これでは呪文が使えない。ガウリイ相手に力で抵抗なんて、とんでもない。
 唇離したら呪文唱えてやるっ! と念じても、本当に全然離してもらえなくて、手はどんどん奥へ入ってきて、あたしは本気で焦り始めた。
 ふれられたことのない素肌にふれる、大きな手が怖い。
 もしやわざとやってる? 意図的に呪文を封じてんの?
 ありえないとは言い切れない。このガウリイが本物のガウリイの性格悪い版で、記憶や能力をそのまま共有してるとしたら、あたしの戦い方も弱点も知り尽くしているはずだから。
 でも……それじゃあこのまま?
 胸の奥から冷たいものが染み出してきた気がした。
「……愛してるよ……リナ」
 キスの合間にガウリイが囁く。
 けして本当には唇を離さず、目を細めて意地悪な笑い方をして。
 そっと肌をなでてくる手は意外に気持ちよくて、あたしは混乱する。
「……いいだろ?」
 いい……のか?
 濃厚で熱いキスを受け続けながら、全身で抱きしめられながら、あたしは焦りと怖さとその他に『ガウリイにならいいんじゃない?』という奇妙な打算が浮かび上がってくるのを感じた。
 あたしを子供扱いしてくるいつものガウリイなら、けして言ってくれない甘い言葉。
 けしてしてくれない熱いキスと抱擁。
 これもガウリイには違いないんだし。
(いや、違う)
 強硬に悲鳴をあげる自分もいて。
 それにかき消されそうなほど小さいけれども、『ガウリイに愛されたい』と思っている自分も確かに存在して。
 あたしは混乱する。
 目が覚めたのはその後だ。
 固くて長い指が、あたしのちっちゃな胸をつかんだからだった。
「んう……っ!」
 やっぱだめだしそんなのなしだし!
 何よりも。
(ガウリイが、かわいそうだわ)
 逆巻く嵐のような思考の中で、1点だけしんとした、『ガウリイの相棒である自分』がそう呟いた。
 こんなのはガウリイがかわいそうだ。
 これはガウリイの本意じゃない。
 きっと彼は、後で傷つく。
(ごめん。本気で抵抗する)
 あたしは覚悟を決める。
 ガウリイを傷つける覚悟をだ。
「んっぐぅぅぅぅっ!?」
 思いっきし舌に噛みついて、力が弱まったところで顔を背ける。
「ぅがぁぁっ」
 口を押さえて叫び声をあげるガウリイ。
 痛いよなあ。これは痛いだろう。ほんとにごめん。
 それでもたぶん、本物のガウリイならば、体を傷つけられることよりあたしに無理矢理乱暴してしまうことの方により傷つくと思う。
 だからあたしは、情けを捨てる。
 ガウリイがひるんだ隙を突いて、全力で膝を曲げる。
 すると、乗っかっている人間の腰が浮くので。全身のバネを使って、膝でもって、つまりあそこを。ほんとにごめん。
「……ぃぃぃぃぃっ!!」
 いくら大柄な男の体とはいえど、そーゆー状態で固まっているものを跳ね飛ばすのはさほど難しくない。
 あたしは床を転がって少しだけ距離を取る。
 そして丸まって痛がってるところに手を伸ばして。
雷撃[モノヴォルト]っ!」
 ジ・エンドである。
 ガウリイはびくんっと大きく痙攣して、静かになった。
「……ごめん」
 あたしは胸元をかきあわせながら呟く。
 全身の力が抜けていった。
 そのままぺたりと床に座り込む。

 すうっとさみしさが吹き込んできたのは、こういうことになったあたしたちが完全に元のように戻ることはできないだろうと、なんとなく覚っていたからかもしれなかった。

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