にわか剣客・涙の日々 3

 スィーフィード学園クラブ棟。
 とっくに下校時刻の過ぎた道場では、おなじみのアレが響き渡っていた。
「ほーっほっほっほっほ!」
 発生地は、1人の怪しげな女生徒である。
 セーラー服の裾は長く伸ばされてくるぶしまでを覆っているが、見境なく入れられたスリットのせいで床の間にかけた足は太ももまで丸出し。上着は豊かな胸をやっと隠す程度で切り落とされており、セーラーには怪しげな文様。本来赤いはずのリボンは見事に漆黒で染められている。
 もちろんこれは、スィーフィード学園の本来の制服ではない。本人お手製の改造セーラー服は、並みいる教師の血管を切れさせ続け、理事までが知っている。
 歩く騒音源、息をする公害、自称リナの生涯最強のライバル、白蛇のナーガだった。
 ちなみに同時刻、スィーフィード高校の裏門は家庭科部室の7回という記録をはるかに上回る、65回目の破壊を経験している。
「つまり、この件はあなたに任せてもいい、ということね!」
「ああ」
 陰気な口調で答えたのは、詰襟を顎までしっかりと留めた学生と思しき男である。
 竹刀を抱え、床の間の前に立膝で座っている。眼光が鋭すぎるきらいもあるが、廊下を歩けば陰でクールとささやかれそうな美青年だ。
 艶やかな銀髪はものすごいくせ毛でピンピンと遊んでいるが、それが妙に似合って粗野な魅力を生み出す。血色の悪い肌はその不健康な色合いに似合わず鋼のように張りがある。だが、全身から吹き出す殺気はただごとではない。
 ナーガは豊満な胸を揺らして微笑む。
「ふっ、安心したわ。中間テストが近いから部活はしない、なんて言い出すんじゃないかと心配していたのよ!」
 いかにも不良然とした格好をしているわりには、いやに健全な話である。
「試合には出る。それが剣道部員の務めだからな。たとえ家庭部のド素人が相手でも」
「ほーっほっほっほ! いい心がけだわ、ゼルガディス副部長」
 いやそもそも副部長の試合放棄を心配するような部ってどーしよーもないし。
 と、リナが聞いていれば突っ込んだのだろうが、あいにくその場には脳の神経接続に失敗した女が1人と、無愛想を絵に描いたような男が1人いるだけだった。
 この2人が部長副部長を務めるというのだから、剣道部の恐ろしさは充分分かってもらえることだろう。
「で、おれがやるのは、リナか? それとも正義かぶれのお嬢ちゃんの方か?」
 この男が言うと、『やる』というごくノーマルかつ平和的なセリフが『殺る』に聞こえるというのは、世間様一般がうなずいてくれる認識だろう。
「リナはわたしがやるわ。リナのことだもの、そうじゃなかったらまたズルっこだとか何だとか負けを認めないに決まってるわ」
「確かにな……なら、おれはお嬢ちゃんの方だな」
 面白くもなさそうに呟いたゼルガディスに、ナーガは笑みを返した。
「あなたには、別の相手をやってもらうわ」
「別の相手? あの2人以外に相手になるヤツがいるのか?」
「ふっ……これを見て」
 ナーガが制服の胸元から紙を取り出す。はらりと落ちてきたそれを拾い上げて目を通し、ゼルガディスは首をかしげた。
 それは1枚の写真だった。写っているのは、長い金髪をなびかせた20過ぎと見える美青年だ。
「これは……?」
「彼はガウリイ=ガブリエフ……この名前を知ってる?」
「知らんな。新任の教師か」
「2年B組に今年度転入してきた学生よ」
「が……っ!?」
 ゼルガディスの手から写真がぽろりと落ちる。
「これは大人だろうっ!? 誰が見てもッ!?」
「ええ、見ての通り成人してるようね。詳しい事情は不明……ただ、お金を積んで入学したらしいという噂よ」
 3年生であるナーガが、なぜ同級生である2年生のリナたちも知らない噂をキャッチしているのかは謎である。
「今年度から2年B組に入ったんだけど、以来これまでの数週間、ズバ抜けた運動神経でB組中心に注目されつつあるわ」
「注目するべきなのはそこじゃないと思うが……」
「その男が今日、並いる運動部の誘いを断って家庭部に入部届けを出した。今度の試合のためにリナがスカウトしてきたのよ。間違いなくね」
「なるほど……そいつの相手をおれにしろ、というわけか」
「そういうことね」
「くだらんな」
 ゼルガディスは写真をナーガに投げ返した。
「大人と言ってもしょせん付け焼刃の素人だろう」
「相手の参謀はリナよ。油断は命取りと覚えておくのね」
「ふん、まぁいいだろう。女を斬るのは好かん」
 というかそもそも剣道で『斬る』のはまずいしムリだろう。
「まぁ……その男が無事試合に出られれば、の話だけれどね」
 その言葉に、ゼルガディスは酷薄な笑みを浮かべた。
「本気だな、部長」
「当然よ。わたしは3年、時間がないわ。このまま卒業はできない」
「リナに勝った記録がほしいか」
「ふっ、あなたもまだ甘いわね」
 ナーガは腰まで覆う黒髪をふぁさり、とかきあげた。
「卒業したらリナに遊んでもらえなくなるから、今のうちにめいいっぱいやっておこうっていう、いたいけな乙女心よ」
「……」
「ほーっほっほっほっほ!」
「……そ、そうか」
 クラブ棟の密談の夜は、哄笑と共に更けていく――。
「ほーっほっほっほっ! ほーほっほっほっほっほっほっ!」

 その晩、高笑いを聞きつけて駆け込んできた当直の教師に平謝るナーガがいたのは、言うまでもない。

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 さて、スィーフィード学園に怪しげな高笑いやら殺気やらがふりまかれている頃、部活を終えたリナとアメリアはガウリイにくっついてとあるマンションの前に立っていた。
 『留年しないよう進級させてやる』という約束をさっそく実行するためである。
 地上15階建て。品のいいグレイのタイルに、手入れの大変そうな大きなガラス。ささやかながら目を楽しませる玄関前の庭。入口にはオートロック。
 はっきり言って高級マンション。これがガウリイの住まいらしい。
「……あんた、1人暮らしって言わなかった?」
「そーだよ」
 平然と言いながらガウリイはオートロックを解除する。
 両手にスーパーの袋を提げたリナは、その後ろで固まっている。
「高校生がどうしてこんなマンションで1人暮らししてんのよっ!? 家賃いくらっ!?」
「いくらって……。いや、親が買ってくれたんだけど」
 素早く繰り出されたリナの回し蹴りが、2人を案内して中へ入ろうとするガウリイの背中に決まった。スライディングするようにすっ飛ぶガウリイ。
 本当は後ろ頭に決めたかったのだが、残念ながら身長差がありすぎて背中までしか届かなかった。
「……がっ!? こらお嬢ちゃん! 危ないだろう!」
 リナは自動ドアのど真ん中に仁王立ちしてガウリイを見下ろした。
「ぬぁにがお嬢ちゃんだ。親にこんなマンション買ってもらってるとか、あんたの方がよっぽどお坊ちゃんだわ!」
「う、そりゃまー……」
「16のあたしが自分で学費稼いで安アパートで1人暮らししてるってのに、恥ずかしくないの!? 大金持ち生まれのアメリアだって、そんなことしてないわよっ!」
 同意するようにこくこくとうなずくアメリア。
「20も過ぎたいい大人が、親がかりとは情けないっ! どうせ分不相応のマンションに住むなら、その顔で女だまくらかしてパトロンにするとか、そのくらいの芸を見せなさいよ芸をっ!」
「それはどうかと思うが……」
「そもそも、いつまでも親のすねかじりながら高校生なんてしてることがおかしいのよ。なんで働いて稼がないのよっ!?」
「えっと……」
 尻もちをついたまま、困ったようにガウリイは頭をかく。
「オレとしてもそーしたのは山々なんだけどな。話をしようにも、親父さんはここ数年会ってくれないし」
 リナの顔から怒りの色が薄らぐ。
「とにかく高校だけは出ろって金だけ送ってくるから、まぁそのくらいはしようかと……」
 雨が降ったので傘をさそうと思う、というくらい軽い口調でガウリイは言う。だが、言っている内容はかなり重いのではないだろうか。
 2回も転校し、20を超してまで高校に通っている男だ。何か一筋縄ではいかない事情があるのかもしれない。
 勢いに任せてプライベートなところに突っ込みを入れてしまったのを少々後悔して、リナはぽりぽりと頬をかいた。
「えー……なんか、悪いこと言わせちゃった?」
「いや、構わん」
 こだわりなげに笑って、ガウリイは立ち上がる。
 制服の汚れを払って、エレベーターの方を指差した。
「ま、上がれよ」
 リナはわずかにばつの悪そうな顔でアメリアの方をうかがった。アメリアが肩をすくめてガウリイに視線をやるのにうなずくと、エレベーターに向かって遠ざかる長身を小走りに追いかけた。 

 ガウリイの部屋は9階にあった。扉を開いてすぐの玄関には大理石が使われ、廊下から居間にかけては全体に明るい色の高級なフローリングが敷かれている。マンションの外観にたがわず上品な造りだった。
 中身の方も男の1人暮らしにしては片付いていた。ガウリイの後について上がり込んだリナとアメリアは、きょろきょろしながら案内されるまま居間へ入る。
 居間にはシンプルなダイニングテーブルが1つ、椅子が2つにソファ1つとあるだけで、極端に物が少ない。テレビすらも置いていない。片付いているというよりあまり物を持たない生活らしい。
「適当に座っててくれよ」
 言いながらガウリイは両手に抱えていたスーパーのビニール袋を持ってキッチンに足を向ける。リナとアメリアも、それぞれ持ってきた袋をキッチンカウンターに置いた。
 全員分を合わせると相当な量である。来る途中でスーパーに寄って買い込んできた食材なのだが、リナとガウリイが競うようにカートに放り込んだ結果際限なく増えてしまったのだった。
「それより、古いテストとか残ってない? どういうところを間違えてるのか見ておきたいんだけど」
 リナがここに来た目的は別にガウリイの私生活をのぞくことではなく、家庭教師としての務めを果たすためであった。アメリアはただの好奇心だが。
 大量の食材を次々冷蔵庫に放り込みながら、ガウリイは首をひねる。
「どういうところも何もないんだが……。テストなら、大体取ってあるんじゃないかな。これだけ片づけるから、何なら勝手に探してくれよ」
「寝室?」
「ああ」
 リナは居間の扉を開けて玄関に続く廊下に戻った。
 3つある扉を1つ1つ開けてみて、目的の部屋を見つける。
 さすがに寝室には物がないということはなく、脱ぎ散らかした服や多種のダンベルなどで雑然としていた。クローゼットは開けっぱなし、机の上には教科書などがうずたかく積まれていてしばらく使われた様子はない。カーテンが閉めたままになっていて薄暗かった。人の部屋の匂いがする。男の部屋という感じだ。
 だが、汚いという感じはしない。グレーや白のシンプルな雰囲気でまとまった部屋は、むしろ大人の男の部屋という感じがして、リナは少し戸惑った。
 全開になったクローゼットの中にやけにきちんとしたスーツらしきものが並んでいて、また戸惑いが深くなる。
 床に落ちた服や何かを踏まないようにクローゼットの方へ近寄る。前の学校のブレザーかと中身を寄せてみたが、やはりどう見てもスーツだ。しかも、フレッシュマン向けにたたき売られている吊るしの安物などではなく、その生地や仕立ては高級なものに見える。これも、金持ちの実家から買い与えられたものなのだろうか。
(けど、一体何のために?)
 スーツの脇には、やはり上等な生地のネクタイが吊るされている。1本や2本ではないし、買ったまま使ったことがないという様子でもない。普段から使っているのだ。
(謎なヤツ)
 好奇心に惹かれてネクタイの1本を手に取ったところで、大股で部屋に入ってくる気配があった。アメリアの歩調ではない。ガウリイだ、と思って振り向くと、案の定金髪の長身が入ってくるところだった。
「このスーツ、何?」
 ガウリイは少し笑う。
「ああ。バイト用」
 それだけ言ってネクタイを取り上げると、リナの肩の上から手を伸ばしてすっとクローゼットを閉めてしまった。
 見せたくないものだったのだろうか。リナは首をかしげる。
「前の学校のテストだよな。だいたい学校のもんはここに放り込んでるんだけど……」
 ガウリイは、床にどんと置かれたプラスチックのケースを開けた。その中には、テストや書類といったものがごちゃまぜに積み重なっている。
 スーツへの興味は薄れ、リナはケースをのぞきこんだ。
「うあー。これ、すごい量ね」
「いやぁ。整理するのめんどくさくて」
「まぁ取ってあるだけいいと思うけどね。とりあえず各教科のテストを一通り探しますか」
 リナは腕まくりをした。 

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